鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

気になる人と、『仕方ない人』

先日、よく分からない事に怒っている人を見た。

「あいつは、オレを小バカにしている! 頭に来る! ぶっ◯してやりてぇ!💢」とキレていた。


だが、俺から見ると、その怒りの対象の方はそこまでその人をバカにはしていない。

 

…というか、相手にしていない。


たが、本人は「バカにされた!💢」と怒り心頭であった。今にも殴り付けるような雰囲気と怒気を孕んでいた。


こういう人が俺の周りにはよくいる。

 

他人の何気ない言葉、態度に傷付いてしまう人間…。

良く言えば、繊細。

悪く言うなら、過剰反応。


俺自身も、他人のそうした言動に反応していた事もあるし、逆に、相手を無意識に傷付け、そういう言動を注意された事もある。

少しわかるかもしれない。

人間は他人の評価が常に気になってしまうものだ。


今ではいろんな経験をして、俺は基本的に他人の言動があまり気にならなくなった。

いろんな“評価”も、(…そういう考えの奴もいるな)と思えば、他人の言動は何ともない。気にならない。


だが、その怒っていた人のように、過剰に反応し、キレる💢人がいるは事実。


何で、人は他人の言動が気になるのか?

放って置けば良いだろ?

 

…と俺は思ってしまう。

(…お疲れ様)と思ってしまう。

 

なので俺は、他人の些細な態度にいちいち怒る💥人を見ると、不思議さを通り越して、可哀想になる。

他人の行動、言葉など放って置けば良いだろ?

何故、構うのだろう。怒らなくて良い事を自分の思考、視野に入れて、あれこれと悩み、怒るのか?


疲れないか、それ?

(…そして、そうした考えがあまり良くない“結果”になるのも俺は知っている)

 


⭐そんな人とは別に、何事も『仕方ないだろ?』と言う人間がいる。


何を言っても、「仕方ない」としか言わない人。

何が起こっても、「仕方ないじゃん」と“開き直る”奴。


俺はこの言葉があまり好きではない。

これは気にしてしまうのだ。(バカ)

 

「仕方ない」とはその人の勝手に決めた“限界”である。俺からしたら、「まだまだやりようがあるだろ?」と思うし、『仕方ない』事態になったのは、「仕方がない」事をした、オマエ自身だろ?

お前が“区切り”を付けるなよ。

 

俺には『仕方ない』という人間が、すぐに諦め、すぐに他人に任せる“腰抜け”に思えて仕方ない。 

 

確かに世の中に“仕方ない”事がある。

個人では成しがたい事や、実施不可能な事もある。

「頑張れば、できる!」は聞えは良いが、個人で成し得る事には限界がある。

だから“仕方ない”は妥当かもしれない。


しかし、何も対策せず、何も動かず、ただただ受け身でいる人の『仕方ない』は非常に不快だ。

些細な事でキレる人と同じくらいの“哀しさを感じる。

考える事を放棄していないか?


こうした『仕方ない』を連発するバカが、最終的にどうなるか、俺はいっぱい見てきた。身に起きた事に対応できず、『仕方ないだろ?』と“諦める”(その人にとっては精一杯の努力…)と、それは“悲劇”しか生まない。


哀しい人たちだ…。

 

“気になる人”らと、そんな哀しい人らをみていると、どちらが哀しいか分からなくなる。    

 

気にするのもダメ。 

すぐに諦め、他人に任せたり放棄するのダメ。

 

要するに、自分で考え尽くす事を止める事ではないか?

 

『気にして無用に怒る』のは、他人への決め付けであり、人間観察の放棄。

『仕方ない』と諦めるのは、事態の放棄だ。

怠慢だ。

 

俺は、そんな風にならないようにしようと、改めて思った。