鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

プロレス心理学115 他人への理解とプロレス

 以前勤めていた会社の“クソ”上司には、大嫌いな『言葉』があった。 


 それは「はぁ?」である。

 他人が自身の放つ言葉の内容を理解出来ず、そんな風に聞き返してくると、機嫌が悪くなる。


とにかく他人から「は?」と言われると相当頭に来るらしく、よく社内の人間と揉めていた。自分の主張を押し通すタイプの上司は、よく相手から「は? 何言ってんだよ?」などと言われてキレていた。 

 


上司😠「全く、あいつ💢 『は?』ばかり言いやがって…」


 

 どうも自分の意志が他人に伝わらないのが、どうにも我慢できない性質で、理解されなかったり、主張の意味自体を拒絶されるとキレる“小学生”のようなどうしようもない大人だった。


なので、俺もこの“馬鹿”から訳の分からん事を言われると、「はぁ?」とか「…言っている意味が分かんないっす」とわざと言って、からかっていた。(物凄く怒っていたが…)


俺は、この癖が未だに残っており、よく他人から文句を言われると「…ちょっと、何言っているのか、わかりません」と反論したりする。

(…よくそれで怒られるが)


何で人は他人から理解されないと怒るのか?

 

 自分からしたら理解し難い人間は、必ずいるではないか。

 また、自分の事を理解してくれない人間も少ないが、必ずいる(と思う)。


 それは逆から考えたら、『自分自身も必ずしも理解されるとは限らない』とならないのか。

 それが社会だろ?


 自分が何かを話したり、考えたりすると、それが必ず理解されると思うのは、“思い込み”であり、それこそ“幻想”だ。

 他人からしてみたら、理解できないのが、“自分以外の存在”だ。


 だからこそ、理解されないと必要以上に怒るのだろう。


 俺は「は?」と言われ、😠キレる上司を見ながら、いつも馬鹿馬鹿しさを感じていた。

 他人から理解されることなど絶対に無いのに、理解されないと怒る。

…もはや“ギャグ”でしかない。絶対に無理な事を他人にお願いしているのだ。

 

 恥ずかしくないのか?


 だが、この上司からしたら、『理解されないと、仕事にならないんだ!』とか『いちいち“反抗”してくるなよ💢 理解しろよ!』なのだろう。

(よく俺が言われてきた言葉…)


 そんな俺もまた馬鹿馬鹿しいが、俺も他人から「は?」と言われると頭に来る。


 人間は、どうしても他人に理解されたいらしい。


 では、どうしたら他人を“理解させられる”のか?


 それは、『理解されなくても、“理解”させる』ではないか?


 心の中で(…は? 何言ってだ?)と思っても、それを表情には出さず、「分かりました!」などと言えば、他人は喜ぶ。


 事実、その“クソ”上司も、何を言っているか、さっぱり分からなかったが、「分かりました!」などと言えば、満足そうな顔をしていた。


 他人に理解されたがる人間は、“小さなグループ”を作りたがる。

 そのグループ内ならば、“理解できない”という印象を他人からは受けない。

 皆、自分を理解してくれて(“フリ”かもしれないが)、「は?」など言わない。

 そのグループに居たければ、「は?」などと言わないからだ。

 そうした社会心理的な“拘束”が分かっているから、人間は小さなグループを作りだがる。

 他人から「は?」と言われないように、そうしたグループを作る。

 自分を理解してくれる人間に“依存”したがる。

 俺の一番嫌いな“人種”であり、俺もまたそんな人間である。 


 理解されたい!

 

 誰もがそう思うのだ。

 「ちょっと何を言っているか、わかりません」などと言われたくない。

 (“言われたくない”から、他人には平気で言う…)


 『他人を理解する』という、難解で無理な行動なのだが、社会ではそうしないとうまく行動できない時がある。


 プロレスの試合を見ていると、レスラー同士の“闘い”としながら、明らかに対戦相手に“協力”しているようなシーンを見る。


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(ブレーンバスターは相手の協力がないとできないらしい)

 

 何故か?


 何度も繰り返すが、


 何故ならプロレスはショー👯‍♂️だからだ。

 おそらくだが、試合の結末は決まっていて、レスラー同士は“協力”して派手な動き(技)を見せて、観ている我々(観客)の興奮を引き出すからだ。



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 (…あれ、今の技、わざと受けに行ってないか?)


 そりゃ、そうだ。

 そういう事をするのが、プロレスだからだ。ショーなのだ。


 真剣勝負ではない(…と思う)


 そんな事は皆、“百も承知”だ。理解している。


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 「そんなの八百長じゃねーか!」と怒るのなら、観なくて良い。プロレスを“理解”している観客のみが、興奮を手にする事ができるからだ。

 

 「下らん!」のならば、観なければ良い。


 他人を理解できないのが人間だが、プロレスを楽しく見ようとしたり、興奮を得たいと思うのならば、小さなグループにいるように、『理解し難いが、理解している』としなければいけない。


 プロレスを観て、「は?」と思うのならば、観ない。 それで良いだろ?

 

 プロレスを観て、「は?」と思っても『楽しみたい!』と思うのなら、プロレスのあらゆる“理不尽”を飲み込まないといけない。

 「…どうしても理解し難い」ならば、やはり観なければ良い。

 事実、俺も“プオタ”を自認しながら、総合格闘技が流行り出したら(02年頃…)、そちらに乗り換えた“前歴”がある。 

 (またプロレスに戻って来たが…)


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 プロレスは社会の縮図だと思う。


 「プロレスなんて、意味分かんないよ。あんなのお芝居だろ?」という人間が果たして、社会に出て他人や組織の言うことを理解しきれているだろうか。誰かの前で“お芝居”してないだろうか。

 

 ある高名な評論家が「プロレスは低俗で低能な人間のみが興奮するお芝居だ」と言ったが、『低俗で低能な』物事こそ、興奮しないだろうか?

 高尚なもので興奮するのは、高尚な人間のみだ。

 貴方らはそんな高尚な人間か?

 他人が何を理解しようとしようが、観客の勝手だろ?


 「は?」と言われて怒るのは、間違いだ。

 他人からしたら、自分以外の人間の言動全てが「は?」だ。

 『理解できない』と分かっていて、社会で生きている。

 それなのに、「は?」と理解されなくて怒るのは、「それは貴方もだろ?」というだけの話なのだ。