鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

松本人志 「親ガチャ」に持論「若い人たちが軽やかな感じで遊んでた言葉」(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース


松本人志 「親ガチャ」に持論「若い人たちが軽やかな感じで遊んでた言葉」(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース

 

この「親ガチャ」の話題をここ数日、よく目にする。

要するに『生まれた環境で、将来が決まってしまうか?』もしくは、『決まっているだろ!💢』という疑問と主張だろ?

 

疑問に対しては、『環境のせいにするな』と『でも、その環境をどうにかするのは、その人次第』としか言えない。

 

だから、『決まっているだろ!』という怒りには、『残念ながら、社会はそうなっている💦』としか言えなくないか?

(…少し論点がズレているか?)

 

 

親ガチャ、は必ずある。

あるが、それで残りの人生が必ず決まったとは言えないし、言いたくない。

 

“環境”のせいにするな。

自分でなんとかしろ。

 

と言いたくなる。

俺の“知り合い”にすぐに「仕方ないじゃん?」と諦める馬鹿がいる。開き直るのだ。

 

からしたら、まだどうにか出来るのに、すぐに諦めるのだ。他人に頼るバカ。

 

全く持って、『自身で考える、行動する』事を放棄しているように感じる。思考停止というやつだろう。

 

「“親ガチャ”が悪い💢」という若い人には、この“思考停止”の気配がして、どうしても納得できないのだ。