鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

司馬史観とは何か?

先日、司馬遼太郎先生がの司馬史観の話題が出ていた。


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すこし前にも書いたが、司馬氏の小説はそれ自体が史観として評されている。

 

特に明治維新関連の作品…。


『龍馬がゆく』

燃えよ剣

『最後の将軍』

胡蝶の夢

翔ぶが如く

坂の上の雲


ドラマ、映画化された作品も多い。

今回、燃えよ剣岡田准一主演(原田真人監督)で映画に。同じく司馬氏の原作の『関ヶ原』がかなり良かったから、是非観たい!

 

明治期の作品には、氏の日本近代に対する思惑が濃厚に出ていて、これを司馬史観という。


司馬氏の小説のファンである俺も『司馬史観』という言葉をよく聞く。

多くは司馬氏への批判として使われている。

「あれは司馬遼太郎の勝手な歴史解釈」という批判だ。


司馬氏は自身の小説を「フィクションである」と言っている。


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小説である以上、どんなに面白くても、それは事実では無く、小説、つまり“作り話”だ。

勝手に解釈して書くのが小説ではないか?

 

その作り話を『史観』とまで評するのは、やはり、司馬氏の創作力と物語の展開力が巧みであり、素晴らしいからだろう。

(本当にこうだったんだ…)と思わせる写実力がある証拠だろう。


だから、『司馬氏の話はあくまで小説。所詮は作った話だよ』というのは、至極当たり前の話だ。

批判は当たらないのではないか?


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俺の分析では、司馬作品は3分類に分かれる(と思っている)。


①『物語的(英雄譚)挿話』

②『説明的(写実的)挿話』

③『完全な創作』


には、『国盗り物語』『功名が辻』『新史太閤記』『峠』『龍馬がゆく』『花神』『燃えよ剣』『俄』がある。

主人公(英雄)を物語の中心に据え、“その彼”の行動、言葉から時代、物語を展開させていく。

ダイナミックで、ロマンチックで、ピカクレスな小説だ。様々な資料を元に、主人公を含めた人間像や社会情勢を繊細に描く。


には『関ヶ原』『城塞』『箱根の坂』『胡蝶の夢』『翔ぶが如く』『坂の上の雲』『殉死』などがある。

膨大な歴史資料から、その当時の歴史的“事象”を描く事に主眼をおいたような作品。(それが司馬氏の意図では無かったとは思うが…)

例えば…。

関ヶ原は日本を東西に分けた一代決戦に際しての日本中の戦国大名らの事情と動きを描いている。(石田三成&徳川家康を書いた①とも言えなくもないが…)

胡蝶の夢は幕末の日本における蘭学と西洋医学(蘭法医)、語学を担った者らを通しての事情と発展の経緯。

翔ぶが如くは、明治維持後、西南戦争まで動乱と日本の情勢を記している。

坂の上の雲』『殉死』は、維持後の明治期の政治家、軍人、文人の清廉さと日露戦争という未曽有の大戦に置ける日本軍の鮮烈で知謀奮う戦いを描いている。(後、乃木大将らの無能さ)


③は『梟の城』『大盗禅師』『十一番目の志士』がある。

司馬氏には珍しく、架空の人物を主人公にした作品。

①のダイナミズムと、②の史実の緻密さが出ているが、架空の人物なので人物構成が現実に裏打ちされておらず、他の作品からすると少し物足りないか?

だが、これはこれで面白い。特に『梟の城』ではラストの秀吉とのやり取りは見事。事実みたいに感じさせてくれた。


俺が一番好きなのは、やはり『関ヶ原だ。

物語としての躍動感は①らに比べると鈍いが(映画ではそこら辺を上手く出している)、諸大名の事情をまるで当時の人に聞いたかのように精緻に描いている。面白いのだ。


司馬作品としては、①らの作品が人気が高いのだろう。

そして、それは司馬遼太郎という人物から見た“日本”であり、日本人や日本の歴史だ。


それをエンターテイメント✨にしているから小説なのだ。

そのエンターテイメント性を薄くし、写実的場面を増やしたのが、②らだろう。


は司馬の愉快な妄想だ。これこそ“勝手な”作り話だ。


司馬史観とは何か?』と問われたら、それは『フィクションとエンターテイメントのある日本の歴史』だろう。

“良い、悪い”と論ずる必要があるか?


司馬氏は幕末明治の作品で“明治=古き良き時代”、その後(昭和)=“戦争へ向かう暗黒期”、“江戸末期=古い価値観に囚われていた時代”としているように思う。


それは司馬遼太郎という人の“見方”でしかない。


坂本龍馬

織田信長

豊臣秀吉

西郷隆盛

新撰組


皆、様々な作家が様々な観点や価値観で描いている。

その中で司馬作品が愛されるのは、その作品性の中に常にエンターテイメントという“興奮”要素を盛り込んでいたからだろう。


この原田監督の“司馬史観”評は実に的確に思える。


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司馬作品の多くは、『では我々、日本人とは何か?』という問題提起、牽いては『人類とは、どのように“分類”されるのか?』に繋がると思う。

 

『こう考えるのが、日本らしさ』とすると、『では、それ以外の人間はどうか?』と考えてしまうからだ。

…そこが『右翼作家』などと言われた由縁だが、俺は司馬氏はそういうタイプの作家には思えない。

 

司馬氏の“観ていた”ものは何だったのか?

エンターテイメントだったのか?

日本という民族の在り方か?

未来?

 

俺はそのすべてを“何となく”描きたかったような気がする。