「見ていてつらい」《冬ドラマがっかりランキング》上位は僅差!1位は「不幸のわんこそば」(週刊女性PRIME) https://news.yahoo.co.jp/articles/ba569b4248af54b7ea3fe941ba0fcb7c0ee4ddf3
ここ数ヵ月、楽しみにしていたドラマがあった。
テレビ静岡の『大奥』だ。
とかく、このドラマの評判が悪い。
確かに“同じパターン”のドラマを何度もやっているし、ほぼ同じ展開。
最後にはそれまで主人公を苛めていた連中が、皆、“主人公側”になる。
そして、時代劇だが、時代考証をかなり“曲げて”いる。
確か、明和(1772年間)に大火事があったが、江戸城燃えたかな?
田沼意次って、自害したっけ?(失脚後、寿命で亡くなったのでは?)
ちなみに、俗に『田沼政治は賄賂横行』『商業主義政策』などと言われているが、現在の研究では、前々代の吉宗の“質素倹約”を引き継いでいた緊縮政策だったと変わって来ている。
『賄賂横行』は、株仲間の奨励による既得権益の確保や上地令(産業地域の天領化)、御用金融資保留などによる優遇さがそうした風に見られ、実際は倹約令も出している。
だが、これ『大奥』はフィクションだ。創作だ。
本当の大奥が銅だったのか、徳川家治がどういう出自か、田沼意次がどういう政治家だったのか、はあまり関係ない。
全てはこの一言で決まる。
『その物語は面白いのか?』という事である。
時代劇には必ず時代考証が入る。史実に対し、『本当にそうだったのか?』と比較する。
しかし、それは面白さとは関係無い。
時代考証が合ってなかったり、間違っていると不愉快に思う人もいる。
俺もそうだ。
ある著名な時代小説家が書いていた。
『時代小説は“史実”という逃れれない“縛り”がある。だから、奥深く、作品は面白くなる』
全く同意する。
歴史は、日本の歴史は、我々日本人が歩んできた“道程”であり、それは“曲げらない”。その時、その時代に生きていた人々が何を感じ、何を思い、実際にはどう動いていたか、は我々後の世の人は史実から想像するしかない。
それに拘るのも面白い。
何故ならば、それが真実だからだ。
だが、“エンターテイメント”としてはどうか?
それは味気ない真実であり、つまらない日々であり、我々の日常と同じになってしまう。
そうではないだろ?
テレビの中だけは、嫌な現状や現実、つまらない真実から解き放たれたい、と思うのは間違いか?
俺はプロレス好きなので、どうしてもプロレスに例えてしまうが、プロレスは“八百長”だ。
あらかじめ結末は決められており(そうではない時もあるが)、観客はレスラーたちの“お芝居”を見ている。
だが、その“お芝居”が、我々の日常より面白かったらどうなのか?
それは、それで良くないか?
あるプロレス古参ライターが著書に書いていたが、『真実にそれほど価値は無い』
それは“フィクション”の世界において当然だ。
真実は真実として有れば良い。
だが、それが興奮(ヒート)するかは別。
プロレス会場に集まる観客は、プロレスというフィクションが面白いから、熱狂(ヒート)し、レスラーたちの“闘い”を観たがる。
そこには他者の評価(ランク)など必要あるのか?
よくテレビドラマの改編期後、『残念なドラマランキング』などが、発表される。
俺はあれをあまり信じない。
面白いかどうかは、俺個人の問題。何故、他人の反応を意識しないといけないのか?
そこには“俺だけの(あなた)のランキング”があり、それを信じれば良いだろう。
それをとやかく言われるのは馬鹿馬鹿しい。放っといてくれよ。文句ないだろ?
嫌なら見ないだけだし。
観るドラマは俺が決めるよ、バカ野郎😝
この『大奥』はかなり面白かったなあ。
特に家治(亀梨和也)が亡くなるところは良かった。
面白い時代劇だった、と俺は思う。
こういうフィクションもありだろ?
明日(3/31)の新日本プロレス浜松大会も楽しみだ。