大河ドラマ『どうする家康』の最終回がなかなか凄かった。
特に大阪城落城🔥
燃え盛る炎の中で、豊臣一族が全員自決。
最期に淀殿(北川景子)が「…この国もつまらなくなるわ。卑屈な者ばかりが蔓延る国になる」と予言しる。
…当たっているかな?
俺もその“卑屈な人”であるし。
司馬遼太郎氏の『城塞(下)』の背書きで、大阪城落城に際し、『乱世の全てを巻き込み、“城”が燃える』とあった。
『城塞』という小説は、“大阪冬・夏の陣”でいかに大阪城の“首脳”(淀殿ら)がいかに時勢や状況を判断出来ず、勝利を逃したか、つまり『(小さな)社会において、一番の無能は“動かない”リーダーである』と、その顛末を悲劇的に描いている。
何度も江戸(徳川方)に勝つチャンスがありながら、それを意固地に無視し、不意にした。
“散り際”は儚く美しいが、こうなった原因は、この女性のトラウマ(過去)、プライド(豊臣)、メンヘラ(空想)にある。
それを思うと『つまらない国に…』というような言葉が違って聞こえる。
卑屈なのは、世の人の常だ。
歴史上の人物もそうだし、俺もそうだ。
世の中、卑屈でつまらない馬鹿ばかりだ。
だが、その馬鹿もどこかで卑屈に生きているだろう。
この世は、人は、どこでも卑屈だ。卑屈な城塞だ。
それは笑えない話だ。
誰もが誰もを卑屈と笑えない、と思う。
それを“始める”のが平穏なら、今は卑屈で幸せなのではないか?
俺も全てを“巻き込んで”生きて生きたい。