鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

2023 12/17 卑屈な“城塞”(どうする家康)

大河ドラマ『どうする家康』の最終回がなかなか凄かった。

 

特に大阪城落城🔥

 

燃え盛る炎の中で、豊臣一族が全員自決。


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最期に淀殿北川景子)が「…この国もつまらなくなるわ。卑屈な者ばかりが蔓延る国になる」予言しる。

…当たっているかな?

俺もその“卑屈な人”であるし。

 

司馬遼太郎氏の『城塞(下)』の背書きで、大阪城落城に際し、『乱世の全てを巻き込み、“城”が燃える』とあった。

 

『城塞』という小説は、“大阪冬・夏の陣”でいかに大阪城の“首脳”(淀殿ら)がいかに時勢や状況を判断出来ず、勝利を逃したか、つまり『(小さな)社会において、一番の無能は“動かない”リーダーである』と、その顛末を悲劇的に描いている。


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何度も江戸(徳川方)に勝つチャンスがありながら、それを意固地に無視し、不意にした。

“散り際”は儚く美しいが、こうなった原因は、この女性のトラウマ(過去)、プライド(豊臣)、メンヘラ(空想)にある。

 

それを思うと『つまらない国に…』というような言葉が違って聞こえる。

 

卑屈なのは、世の人の常だ。

歴史上の人物もそうだし、俺もそうだ。

 

世の中、卑屈でつまらない馬鹿ばかりだ。

だが、その馬鹿もどこかで卑屈に生きているだろう。

この世は、人は、どこでも卑屈だ。卑屈な城塞だ。

 

それは笑えない話だ。

誰もが誰もを卑屈と笑えない、と思う。

それを“始める”のが平穏なら、今は卑屈で幸せなのではないか?

 

俺も全てを“巻き込んで”生きて生きたい。