鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

“屁理屈”森橋との接し方

 

大学時代の先輩に、森橋(仮名)さんという方がいる。

 

口は悪いが、世話好きな先輩だった。よく遊んだり、メシを食ったりした。


この森橋さんは、とにかく理屈っぽかった。

素直に人の話を聞かない。自分の意見を主張する。

を言っても、理屈で返すのだ。

俺も何度か、この理屈でやり込められた。

俺は、「この人、やたらと“屁理屈”をこねやがるな…」と内心で思っていた。

悪い人ではないのたが、小うるさいのだ。

…本人には言えなかったが。


そんなある日、森橋さんに違う先輩がからかいながら言った。


「お前は屁理屈しか言わんやないか?」


それに対して森橋さんは、


「…屁理屈も理屈やで?」

 

と、威張るように言い返していた。
それを聞いて、俺はこの森橋という先輩の見方を変えた。

 

『屁理屈も理屈』

 

それは間違っていないと思う。

“屁理屈”というのは、いわゆる詭弁というやつで、大した事でもない話を、言葉でどうにかしようと、無理やりに押し通す、“正当化”するのが、屁理屈だ。


それを『理屈=理論』として森橋さんはきっと自分を正当化している。自身を間違っていない、と思っているのだから。


こういう人に、正論でぶつかってもダメ🆖だ。

何故なら、自分が間違っていると認めないからだ。

例え、間違っていても認めない。あれこれと理屈をこね出す。長くなるだけだ。

(この人と真面目に話をしてもダメだ…)(…真面目に相手してもムダだな…)と思った。


俺にも小さなプライドがあり、ついつい“議論”っぽくなり、屁理屈を浴びて、口論になる。

これがダメなのだ。


そんな森橋さんは、屁理屈っぽいところを抜かせば、世話好きな優しい先輩だった。

俺の嫌いな自分の考えを押し付けてくるようなバカでは無かった。 

「止めときまーす」

「すんません、無理っす」

「…それ、嫌です」


などと言えば、無理強いしてくる人ではなかった。物分かりがよく、さっぱりとした性格だった。ただ“議論”っぽくなると屁理屈をしてきて、小うるさいのだ。


なので、そろから俺は森橋さんの話を真面目に聞かない事にした。

 

「…あ、そーすね?」

「ホントっすかー」

「あ、分かりましたー」

と、“流す”ようにした。

そうすると非常にラクになり、一緒に遊んだり、メシを食ったりしたりした。 

“強制”はしてこないから、適当に受け答えしたら

それで対応できる。

屁理屈を言われたら、適当に距離を取れば、向こうからすり寄ってくる。本当は寂しがり屋だから…。(馬鹿にしていたわけじゃないよ…)


屁理屈も理屈だが、議論にならなければ、屁理屈にもならないのだ。

関わらなければ良いだけ。

 

「別にそれ(屁理屈)をお願いしてませんよ」と言えば、屁理屈は無駄だ。“お呼びじゃない”のだ。

適当に放っておけば良い。


そんな森橋さんとは、卒業後も何度か会ったが、そんな感じで接していたら、それなりに仲良く出来ている。

優しい先輩のままだ。

 

良い先輩のままである。