とあるYouTubeチャンネルを見ていたら、そのYouTube解説者(?)が「老害という言葉を使いだがる奴は頭が悪い…」というような事を言っていた。
俺は当初、これにかなり嫌悪感を持った。
何故なら、派遣の話をしていると、どうしても“老害”としか言えない人間(年寄り)がいる。
強情で、見栄はりで、意固地で他人を見下す。
己の利益には敏感だが、他人の事など二の次。揉めると必ず己の立場や人間関係を使って“排除”したがる。
それでいて、自分では“動けない”腰抜け野郎。
そんな奴を今まで腐るほど見てきたからだ。
コイツらを老害と言わずして、なんと言えばよいのか?
パワハラが大好きで、己の権力や金を貪るのはいつも老人ではないか?
少し前の話だ。
病院で老人の患者が、“コロナ”で“閉めきられて”いた自動ドアを足で蹴って開けろ、と怒鳴っているシーンに出くわした。
その患者の両腕は売店で買った商品で一杯だった。
俺が開けようとする前に、事務員の方が開けた。
すると“おじいちゃん👴”は激怒💢
「何故、いちいち閉めるんだ💢」
だが、それは自動ドアの横にある張り紙に書いてある。
それを事務員が述べると、「ワシは老人だから目が見えんのだ💢」とさらにキレる始末…。
これを“老害”と言わずして、なんと言えば良いのか?
己が老いている、と主張して、己のわがままを通そうとする老いぼれ。
“老い”を主張するのは、既に害💣️だろ?
俺もこんな爺さんになるのかな、そう思うと本当に情けなくなってきた。
だが、数日前、「“老害”という奴は…」という意味が分かるような事があった。
ある日の仕事中、食堂前を通ると、屈んでいるおじいちゃん👴がいた。俺は「何だ?」と思ったが、屈んで床に置いたバッグを開けていたので、“探し物”と判断した。
俺が通りすぎた後、おじいちゃんは食堂のドアをぶっ叩き出した。俺はかなりビックリしたが、それに気付いたナースがそのおじいちゃんに尋ねた。
ナ「どうされました?」
爺「ワシ、メシ食いたいんじゃ💢」
ナ「…もうお時間を過ぎてますから、閉めちゃったみたいですねー」
爺「何でだ! ワシ、この病院に入院してんだぞ💢」
俺は近くで聞きつつ、(それがどうした、爺さんよぉー💢)と思っていた。
するとおじいちゃんは、いかに自身がこの病に入院しているか、少なくないきんを払っているのか、を大声で説教し始めた。
(…また老害か👴)と俺は思った。
そして、また自分が“老人”である事を主張しだした。
いつもの“老害パターン”だ。
すると、ナースの方はそのおじいちゃん👴に優しく、「ここの食堂は関係無いですよ。“コロナ”が始まってから開店時間が短くなっただけですよ😃」と言った。
おじいちゃんは「ワシはここでコーヒー☕飲みたいんだよ💢」と言う。
それにナースは「お年寄りでも、お子様でも関係無いですよ。コロナの対策は皆さんにお願いしていますから…」とさらに優しく答えた。
怒れる💢おじいさん👴はブツブツ言っていた。
よく考えてみたら、その通りだ。
年齢で区切られているわけではない。
「ワシは老人だから…」と主張するヤツに「そもそも“老いている”というのが害だ!」というのは、同じ“区切り”で怒る💢のは一緒だ。
人は誰でも老いる。
老いる事を拒否も否定も出来ない…。実際、老いは感じている(最近目が…)
“老害”と区切るのはおかしい。
いや、区切るのなら、“老人はダメだ”と言う言葉は、あのおじいちゃんらが吐く「ワシは老人だから…」と変わらない言葉だ。
“老害”と区切ること自体に意味がない。
老いる事を否定したり、批判する事自体が意味がない。
「ワシはもう老人だから…」はそのままの言葉だ。
老人なのだ。
老いがそこにある。
老いたのだから、字が読み辛く👁️なり、たまに食堂でコーヒー☕を飲みたくなる。
それをとやかくいうのは馬鹿馬鹿しい。
解説者の言う「老害という言葉を使いだがる奴は頭が悪い…」という言葉が分かってきた。
“老害”という言葉を使い、“区切ろう”とする方が害になる。
区切る必要が無い。
それを聞いて、