釣れない釣り(四ッ池)から帰宅して、テレビを付けたら、
例の“パワハラ”知事の話題をしていた。
もうみんな“総叩き”だ。
何を言おうが、『辞めろ』の大合唱。
この知事自体、夕食🌃🍴を断られただけで『知事だぞ?』と怒ったりしたから、(半分冗談とは思うが)パワハラと見られても仕方ないかな?
この知事が世間の批判を受けるのは、“明らかに”パワハラだったと“受けとられる”事を認めない点にある、も思う。
ハラスメントの定義は難しい。
知事のよつな、組織のトップにいる者は何をしても“圧力”になる。
ただそれが“わがまま”だと気付いていないだけ。
そう言う意味で、むしろ幸せな方なのかもしれない。
と、久しぶりにきたイタリア料理の 『オリーブの丘』に来ている。
ここは料理などの皿をロボットが運んでくれる。
非常に便利なのだ。
人件費も抑えられ、値段がリーズナブルなのは、ほのせいか?
しかし、不安もある。
“人”と関わらなくて大丈夫なのか?
人間関係に大きく難のある俺でさえも思う。
ロボットは便利だ。言われた事を聞いて、すぐに、正確に動く。
人間と人間はいつから“関わり”を拒絶するようになったのか?
俺は他人との関わりは基本“パワハラ”だと思う。
こうした飲食店で、お客様としてサービスを受けるのは、対価💴を祓うからだが、それもパワハラだ。
例え、立場が上でも、“何か”を言えば全てパワハラだ。
問題はそれを“受けた側”がどこまで“許容するか?”だと思う。
俺も仕事場で『指導』や「仕事」の名を借りたらパワハラを散々見たし、受けてきた。
確かに後から思うと、仕事を覚える為の指導だったのかもしれない。
この知事のように、“する側”は『そんな風な意味じゃない』『仕方ない』『向こうにも責任が…』などと言う。
だが他人と関わる事自体が既にパワハラだ。
問題は“度合い”だ。
人間はロボットではない。
何でも言うことを聞き分わけはないし、反抗もする。
それも他人の度合いだ、
言えることは、パワハラの度合いが強い人は、他人を人間ではなくロボットだと思って関わってないか?
言うことを聞く人間ばかりではない。残念ながら。
ま、「恥を知れ」なのだが、ロボットの運んでくる料理を食べていると不安になる。
どこかで、他人との関わりを拒否してロボットのような便利な環境に居すぎると、この知事のようにならないだろうか?