1996年のプロレス界は流れるように進んだ。
プロレス団体は増え、従来のプロレスの他、デスマッチ志向、メキシコのルチャリブレ、女子プロレス、Uの流れを組む格闘技志向のパンクラスなど多様性を見せた。
*ちなみに俺はリングス、パンクラスは所謂"ガチ"だと思っている。
佐山(聡)が作った修斗(シューティング)を知ったのもこの頃だ。
Uインターは、新日との抗争を経て、他のプロレス団体のマットに上がり、"プロレス"していた。
高田(延彦)vs天龍源一郎なんて、考えられないカードがあったりしたな。
"UWF"幻想から目が覚めた俺は、それでもそんなUインターを見て、毎週『週刊プロレス』『週刊ゴング』を読んで、マット界の動向を追っていた。
この時の気持ちは、プロレスファン、"Uインター信者"にしか分からないかもしれないが、Uインターが"プロレス"であっても、彼らの"UWF"スタイルはプロレスとして"認めたい"という気持ち。
プロレスの"守護神"では無くなったが、"住人"としてなら、全く問題無かった。
だから、プロレス界全体を応援した。
この少々、複雑な気持ち、分かるだろうか?
ひょっとして俺は"10.9"の前からUWFが幻想だと薄々分かっていたのかもしれない。
そして大学生になっても、俺はプロレスを見続けていた。周りにも自然とプロレス好きが多くなった。
ある日、所属していたサークル(プロレス同好会ではないよ…)の飲み会で先輩とプロレスの話になった。
その先輩は特にプロレスファンではない。
先輩〉「鈴木、プロレス、好きなんだってな?
俺〉「はい、昔から…」
先輩〉「プロレスって、八百長なんだろ?」
俺〉「…いや、パンクラスってのや、修斗(厳密にはプロレスではないが)なんて、真剣勝負の団体もありますよ…」
先輩〉「でも、真剣勝負ってアレらしいな…。真剣勝負ってツマらんらしいな~」
そうだった。
俺が高田ら、Uインターに対して「本来はリアルファイトの実力を持っているのに、"敢えて"プロレスをしている」と思っていたのは、上の先輩の言葉通りだった。
『真剣勝負(リアルファイト)はつまらない』
そう言われてきた。そして、そう思った。
だから、"U系"のプロレスラーは"プロレス"を見せる事で、"ショウ"として金を稼いでいるに違いない。
だが、真剣勝負(リアルファイト)は予想に反し、面白かった。
90年代後半、UFCのグレイシー柔術に体表するバーリ・トゥード(何でもあり)の真剣勝負の格闘技熱が高まり出した。
プロレスも人気になったが、同時に総合格闘技ブームが来つつあった。
それを俺は苦々しく感じた。
プロレスラーが総合格闘技の試合をして負ける度に頭に来ていた。
俺の中で、総合(格闘技)とプロレスは、卓球とテニスのような関係だった。
両方ともラケットを使い、大きさは違うが似たようなコート(台)で戦う。
だが、もしテニスのトッププレイヤーが卓球をしたらテニスのように勝てるか?
まず勝てない。
似ていても、全く違う競技なのだ。
総合とプロレスも同じだ。
似ていても違う競技だ。
なのに、なぜそっち(総合)に挑む?
負けるのが目に見えているだろ?
プロレスのマットで充分に"強い"のに何故、わざわざ"弱く"なりにいく?
桜庭(和志)などの例外を抜かし、俺はプロレスラーが総合のマットに上がるのが嫌で仕方なかった。止めて欲しかった。
プロレスラーはプロレスをしておけば良い、『この"世界観"さえ守っておけば、プロレスは良くなる』と思っていた。
そんな俺が真に『プロレスが変わった日』と思うのが2001年の1.4、新日の東京ドーム大会、佐々木健介vs川田利明戦だ。
テレビで見た翌日、俺は同じプロレスファンの友人に言われた。
「あれが"プロレス"か?」
同じ意見だった。
二人の対戦は互いの意地と力がブツかる熱戦だった。見応えがあったのは確かだ。
しかし、その戦いから、そこはかとなく当時ブームの波が来つつあった"総合格闘技"の匂いがした。
明かに格闘技を意識したプロレスだった。
"新日の1.4"と言えば、プロレス界を代表する"メイン"の日だ。
その日に、格闘技っぽいプロレスを見せるプロレスラー…。
俺は裏切られた気がした。
"こっち(ファン)が必死にプロレスを守っているのに、なんでアンタらがそんな試合をしちゃうんだよ…"
俺の人生で少しプロレスと離れ始める時はこの時期だった。
他人には「俺、プロレスファンなんです」ではなく、「格闘技ファンなんです」なんて言っていた。
ブームになってきた総合格闘技(この頃はMMAと言われ出した)の波に乗った。
プロレスは暫く見なくなり、外にも海外サッカーやK-1なんがも見始めたりした。