鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

プロレス心理学③ "前田日明"が好きな人、この指とーまれ。

新日をクビになった前田日明は、新日を辞めた高田ら、旧UWFの選手らと第二次UWFを作った。

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その後、その第二次UWFも崩壊し、一人になってしまった前田は、新たな団体『RINGS』を立ち上げた。
俺がプロレスを見始めた頃はちょうどこの頃だ。

前に「パンクラス以外はガチ(真剣勝負)」と書いたが、俺は10年以上前までRINGSもガチだと思っていた。

だが、RINGSはプロレス(勝敗の決まった試合)だった。
何故分かったかというと、本格的にネットを始め、プロレス関連のサイトを見ている内に、『リングスはガチではないよ』という書き込みを見たからだ。
高校の時に友人宅やレンタルビデオで観たRINGSの試合はとても"プロレス"には見えなかった。

…ちなみにリングスの初期の試合には何試合かガチ(真剣勝負)があったらしく、俺はその試合を観たのか?

リングスの試合はそれだけ巧妙だった。
ガチにしか見えなかった。

寝技での関節技の掛け合い。
スタンディングでの掌打の打ち合い。
技が決まる時の膠着と興奮。

どれも"リアル"に見えた。

前田はプロレスの試合を、巧妙に真剣勝負の試合に見せていた詐欺師なのか?

…確かに、プロレスを見始めた頃、「プロレス、好きなんだよね」と言うと度々、「プロレスって八百長なんでしょ?」という侮蔑が籠った言葉を投げ掛けらた。
UWFは既に分裂していたが、「U系のプロレス団体は真剣勝負だわよ。そういうプロレスがあるんだよ、…知らないの?」と答えて溜飲を下げていた。

高田の『Uインター』には"プロレス"臭さを感じていたが、リングスは真剣勝負と思っていた。俺は"真剣勝負のプロレスがある"と信じていて、それが自分の信じたプロレスを"守る"術と思っていた。

だから、真剣勝負と思わせて、プロレスをしていた前田が許せないか?

そんな事は無い。

それはリングスで前田が見せてくれた"プロレス"は、その後に来る"総合格闘技ブーム"に絶対に必要な存在だったからだ。

前田はkamiogeで「UFCもPRIDEも全部俺が先に見せていたやろ?」と語っていたが、その通りである。

PRIDEの試合を見た俺が思ったのは、

(これ、リングスで見たな…)

だった。
総合格闘技には"膠着"が付き物だ。

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男二人が『何でもあり』のルールでリングで戦うのだ。
殴られまいと、関節を決められないように、こうなるのが当たり前だ。
プロレスのような飛んだり跳ねたり、派手な技が出るわけがない。

組み付いた二人が動かなく、なかなか次の展開に進まない。
総合格闘技の初期の頃、試合でこうした"膠着状態"になると、よくブーイングが起きた。
プロレスに慣れた観客は、試合最中の膠着状態は興奮が沸かない、"つまらない"状態でしかない。

この膠着を次の展開への"重要"なポイントと見るか、展開の少ない"不全"な状態
と見るかで、総合格闘技は大きく違う。

リングスで観た"限りなく真剣勝負"っぽいプロレスは、俺に『格闘技の見方』を教えてくれた気がする。

だから、俺は前田日明を詐欺師などとは思わない。
前田がリングスで"凄く格闘技"っぽいプロレスを見せてくれていたから、俺は2000年代前半の総合格闘技ブームを感受出来たのは間違い無い。
前田がいたから、総合格闘技の興隆があり、今の総合格闘技の根強い人気がある。

作家の夢枕獏さんは、UWFを『プロレスから総合格闘技に移行する過程で必ず必要だった存在』と言っていたが、その通りであると思う。

どうしても前田日明を悪く思えないのだ。

『どちらが本当に強いのか?』という疑問の前提には、『互いに真剣に闘う』という事がある。
真剣勝負では無い闘いには、下らない?
見るべき価値がない?

ならば、アナタは退屈な"膠着"を楽しめるのか?

"現実"というものはすべからく膠着している。
目の覚めるような技などなく、衝撃的な展開も無い…。
それが現実であり、往々にして現実というものは、分かりにくく、捉えにくく、ややこしい。
プロレスのように互いの良さが存分に発揮され、見ていて興奮する"名勝負"など早々お目にかかれるわけがない。
(だから、真剣勝負は尊いと言えるのかも?)

我々が生きる"現実"社会は常にこうして膠着している。
鮮やかな"勝利"、派手な技の数々はプロレスなら見ることが可能だ。

人は興奮を求め、興奮を得られないモノを排除したがる。
だが、現実には興奮は少なく、冷え冷えとした"事実"が存在するのみだ。

それは、『社会』と言えないか?

真剣勝負の膠着にストレスを感じたのなら、現実社会の膠着に耐えられないはずだ。

それを前田日明は教えていた気がする。

「お前ら、"現実"が下らんって言うんなら、こうやって見ろや」と…。

"下らない現実"に飽き飽きしたら、プロレスを見ろ。

現実を知りたければ、総合格闘技を見るべし。

そこにある現実は、どうしようもない現実だ。


…ちなみに今回の題名の元ネタが分かる人はなかなかの格闘技ファン(古)のはずだ。