鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

無所属中年

俺が小学生の頃に比べ、近所は変わった。
自転車レースをしていた野原は、公園になった。
缶けりで隠れた神社の社務所は新しくなった。
友達を追いかけた、あの雑木林は整地され、住宅が建ち並んだ。
茶店も何軒か、出来た。

"あの頃"に遊んだ仲間とはすっかり会わなくなった。

だが、時の流れは早くも無ければ、遅くもない。
悠々と流れ、遅々として佇む。

俺だけが、"あの頃"のままか?

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だが、俺にもいろいろあった。

会社をクビになったり、病気になったり、言葉が不自由になったり、職場で疎外されたり、放浪したり……。

そして、今また"無所属"だ。

自由だが、それは自戒と後悔と憤怒や希望が混ざっている。
あの頃の俺はこんな未来が自分に待っているなど思ってもいなかった。

ただただ明るい将来を信じていた。
そして、周りの"仲間"と仲良くしたり、喧嘩したり、くっついたり、離れたりしていた。

人間関係は少し苦手だった。
自分の"好む"人間としか関わり合いになりたくなかった。

だが、社会に出たら否が応でも様々な人間と関わるしかなくなる。
嫌な奴もいた。
尊敬すべき人間もいた。
愛した奴もいた。
楽しい奴もいた

人は、その字の通り『人の間』でしか生きてはいけない。

この39年の経験で俺が得た教訓だ。

だから、他人を考え、他人を嫌悪して、他人を信頼し、他人との関係に悩む。
そんな風にして、これからも生きていくしかないと思う。
嫌がっても他人は、そこにいる。
愛しても他人は、居てくれるとは限らない。

"無所属"だった少年の時、俺は気楽だった。
何も後ろ楯がないが、誰にも気を使わず、その日に遊べる奴と遊ぶ。
喧嘩したり、気にくわない事があったら、しばらくは口も効かない。
向こうから拒絶されたら、それ以上近付かない。

…そしたら、そのうちにまた遊ぶようになったりしたな。

だから、今でも無所属だし、それに満足している。

人間との距離を程よく取れば、俺は嫌な思いをする事はない。
それを社会に出て知った。

社会人は『他人との距離を、自分の責任でとる事が出来る』のだ。

だから、だ。
今の俺には、やはり"所属"が無い。
…一応あるが、そこが『居場所か?』と問われたら、違う気がする。

俺の所属は、"俺"だ。


でも、たまに思う。
俺は"あの頃"から、変わったのか?

…変わっていない気もするし、変わった気もする。
いろんな事があったが、俺の"根底"は変わらないし、変えたくない。…と思っている。

たくさんの人に謝り、怒られた。
僅かに誉められたり、励まされた。

どれも受け止めるべき、俺の人生だ。

だが、俺はやはり、無所属が良い。
誰かが見せてくれる、素晴らしい"人生"は素晴らしいかもしれないが、俺の人生ではない。

謝ろう。
反省しよう。
思いだそう。
考えよう。
笑うために生きよう。

こんな俺の話を『面白い!』と言ってくれた人がいた。

ならば、俺には生きていく理由がある。また"人の間"を生きる意味がある。

まだまだ無所属で良い。
他人から、仲間から掛かる同情や優しさは有難い。
だが、それに乗りたくない。
だって、"仲間"はいつも優しく、楽しいから。
楽しくない人生だから、『俺の力だけで、楽しくしたくなる』のでは?
他者に"お願いして楽しくしてもらう"人生なんて、まっぴらだ。

俺の人生は、俺のものだ。

俺が切り開く。俺が進む。

かつては、誰かに頼っていた時もあった。

もう、それは無しだ。
無いものは、自分で取りに行こう。有るものは捨ててしまえ。

無所属とは、『誰もいない』だが、『今後はわからない』のではないか?
そして、"誰もいないところ"から始まるんだ。