鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

プロレス心理学108 同調という信者

子供の頃の話だ。

よく友達から遊び誘われた。


「今日、ヒマ? 一緒に◯◯しない?」


確かに俺はヒマだった。小3の初め、近所の仲間と些細な行き違いから“喧嘩”して、俺は放課後は“自由”で“ヒマ”だった。


だが、俺にも予定はある。

朝、学校に向かう途中、授業の合間、俺は(今日は図書館に行こうか?)とか(◯◯と遊ぼうかな?)とか(遠くの公園に行ってみようかな?)と予定を立てていた。


なので、誘ってきた友達に「…あっ、俺、今日は◯◯するから…」と言って断っていた。

(たまに嫌々加わったりしたな)


途端に、その友達の表情が曇る。

「…何だよ。せっかく誘ってやったのに。お前なんかもういいよ…」とか、「何だよ、何でそんな事言うんだよ?」と怒る💢のだ。


ちょっと待って欲しかった。


別にその友達が嫌いなわけでも無いし、誘ってきた遊びが嫌な訳でもない(そうだったら、そう言っている)。

俺は、自身の予定を優先させただけであり、別にお前(友達)を嫌ったわけでは無い。


誰と遊ぼうが、何をしようが、俺の勝手、自由だろ?

俺もお前(友達)に、何かを“強制”はしていない。個人の自由を“尊重”している。


なのに何故、お前(友達)は俺の“自由”を認めないのだ?


“今風”に言えば、同調圧力


俺は、これがどうにも納得出来なかった。

(何故、誘いを断ると、そんなにキレる?)といつもキレていた。

そして、そんな事を言う友達とは遊ばなかった。

友達では無くなったのだ。


なので、小学3~4年までの俺の友達は、みんな自由で誘いを断っても怒らない奴らばかりだった。

(@無所属少年)

 

こうした『他人の自由』を認めたがらない奴らは、中学、高校、大学、社会人と時を経ても必ず俺の周りにいた。

この事から、『他人は他人の自由を認めたがらない』という“習癖”が分かった。


俺自身もそうかもしれない。

やはり、他人が自分に同調してくれるのは嬉しい。

それは“従わせる”ではなく、“協調”とさえ思えた。

 

だが、それは自身の勝手な解釈で、

 

仲良し⇒従属

協調⇒同調圧力

協力⇒強制

 

だったのかも?

他人とは自身にとって、思い通りにならない存在だ。


他人に従いたくなくが、他人を従わせたい。


それが社会における人間の“性質”なのだろう。この歳になってようやく分かってきた。

だから、人は利益、安全、安心、好意、信頼を“盾”に他人と関わりたがるのだ。

他人を、自身の自由にしたいから。


その最たるものが、“信者”だ。


信者とは便利なものだ。

何をしても、“信じている”モノを信じ、“信じている”モノを信じない者を勝手に“排除”してくれる。


信じているモノ(教祖?)が「あれ(アイツ)はダメだ」と言ったら、自分もそれをダメだと思うし、逆に「良い❤️」と思えば、どんなものでも好意的に捉えてくれる。


まさに“自分”の為の存在であり、人間の関係性において、そういった存在(信者)が多いほど、“教祖”の力が強くなる。

 

 


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俺は“かつて”、『UWF信者』だった。(正確に高田信者?)


「所詮は八百長だろ?」と言われ続けたプロレスに対し、UWF系の団体は“真剣勝負(に見えた)のプロレス”をして、侮蔑の言葉を封じて(?)くれていた。


UWFこそが、プロレスであり、リアルである、最強だ、と思えた。


高田延彦前田日明藤原喜明船木誠勝“言葉”こそ真実であり、彼らこそ、真の格闘家なのだ。


Uインター(高田)などの試合をレンタルビデオで見ると、(?)と思える点が多々あったが、俺は気にならなかった。

薄々(これは台本がある“プロレス”なのでは?)と思いながら、自分の信じていたモノを信じていた。

 


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ちなみに、


インター(高田)⇒プロレス。

リングス(前田)⇒かなり巧妙なのだが、プロレス。

藤原組(藤原)⇒明らかにプロレス。

パンクラス(船木)⇒これは“ガチ (真剣勝負)”。

 

と、今では分かっている。


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ならば、『自分だけを信じて欲しい』(と思う)人間はどうするか?


それは『自分だけを信じてくれる小さなグループ』を作るのだ。


学校の仲良しグループ。

ワンマン社長のいる中小企業。

会社内の仕事仲間or◯◯課といった作業グループ。

ママ友サークル。

共通の趣味を持ったグループ。


皆、少人数で、極めて少ない(1人?)の“中心的人物”で成り立っている。 

“教祖”だ。

その人物の意見が最優先され、その人物の意向が常に尊重される。


そうした“小さなグループ”を皆欲しがる。

自分の自由が通り、他人の自由が制限されるグループ。


なんでそんなグループが存続できるのか?


それはそこには“信者”しかいないからだ。

“教祖”の思い通りにならず、教祖を優先しない者はそこには“居られない”のだ。 


それは激しく非道で、愚かで、格好悪いのだが、その小さなグループ内では“正義”や“致し方ない措置”になってしまう。


“マインドコントロールというやつだ。

“社会的適合評価”とも言える。


“教祖”の意に従わない者は“悪”である。

そんな事はないのに、そう思ってしまう。

 

俺にも記憶がある。

『UWF(インター)を観たことが無い奴は、プロレスを語るな!』と高校の時、本気で思っていた。


今から考えたら、別に“U系団体”を見ようが、見まいが、プロレスはプロレスなので、全く構わないはずだ。

馬鹿馬鹿しい考えだった。

だが、当時の俺は心からそう信じていた。信じたかった。


だから、“信者”とは便利な存在だと思う。

一度誰かの信者になったら、その誰か(教祖)を信じ続けてくれるからだ。


だから、信者が欲しい。


だから、信者になってくれなさそうな奴は嫌だ。

 

仲良くしてくれ。

同調してくれ。

従ってくれ。

 

…となる。


同調は悪い事ではないと、それなりに社会経験をした40を越えた俺は、さすがに分かっている。(今年で42才…)


だが、他人を自分の“信者”にさせようと思っているバカは、やはり大嫌いだ。

逆らいまくって、裏切りまくって、抗い続けている。


信者には、ならない。

…いや、誰かの思惑の那珂では、もう生きたくはない。


10代の俺は、UWF✨という思想と同調していた。

20代の俺は、会社👨‍💼という思想に同調していた。

30代の愚か、金💴という思想に同調していた。


それらは、それで良かったのかもしれないが…。


もう同調しない。

また、誰も同調させない。


…でも、できるかな?