鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

新社会人へ⑦ "Fooker(フッカー)"

ルー・テーズによれば、"コンテスト"を行っていた黎明期の"プロレス"には3種類のレスラーがいたらしい。

まず、レスリング技術(あくまでも試合を湧かせる為)はあるが、フック(関節技)ができない、"ジャーニーマン"。

彼等は次第にレスリングから離れ、そのムーヴやギミックで観客を煽るようになっていって、現在のアメリカンプロレスの"源流"になった。
ジャーニーマンから進化したその後のレスラーに、で紹介した『バディ・ロジャース』がいる。

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次に、レスリング技術(あくまでも試合を湧かせる為)はできないが、フック(関節技)を決める事ができる、"シューター"。

この代表的なタイプに、猪木の師匠でもある『カール・ゴッチ』がいる。

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たまにゴッチか『プロレスの神様』と呼ばれる事があるが、正しくは"シュートの神様"である。
"シュート"とは、"真剣勝負"を意味するプロレス用語だ。

何故、黎明期のプロレスにシューターが必要だったのか?

コンテストで負けが決まったレスラーが、本番"プロレス"興行で決まりを覆そうとしたり、プロレスラーに真剣勝負を挑んで来る奴が現れた場合、そんな奴にフック(関節技)を決めて"制裁"する為た。
※彼等は"ポリスマン"と呼ばれていた。

だから、シューターはショーアップされたアメリカンプロレスを批判する。
「技術も無いのに、アピールばかりしている」
「本当に強いのは俺達だ」

しかし、ここで何度も書いたが、プロレスラーの"強さ"はレスリング技術や真剣勝負の強さでは無い。
『観客を興奮(ヒート)させた』レスラーが強いのだ。
如何にシュートが強かろうが意味はない。
単なる嫉妬でしかない。

そして、その両方を出来る"フッカー"。

テーズは自身を、その"フッカー"だと言う。
観客を湧かせるレスリングもできて、シュートを仕掛けてきたら、素早くフックを決める事ができる。
だから、テーズは最強であり、どのプロレス興行にも喚ばれ、観客を湧かせる事ができた。
なので、テーズは7年近くもNWAの王者であった。

まさに"最強のプロレスラー"だ。

現在で言えば、桜庭和志がそれにあたるかも?

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桜庭は97年のUFCジャパン(UFC非公認)で優勝した桜庭は、マイクアピールで

「プロレスラーは本当に強いんです!」

と、叫んだ。

これは、プロレスにとって非常に重大な出来事だった。

『プロレスラーは、あくまで"プロレス"の中だけで"強い"のであり、"プロレス"という枠組みを離れたら"弱い"。
何故なら、プロレスは八百長であり、プロレスラーは決められた勝負を演じているに過ぎない』

プロレスファンはそういう世間の目で見られていた。

だが、UFCジャパントーナメントという"シュート"(真剣勝負)で優勝した桜庭が自身を「プロレスラー」と言った事だ。

桜庭は強い。

プロレスの試合でも、シュート(真剣勝負)でも強い。

桜庭はプロレスラー。

だから、プロレスは強い。

こういう理論が成り立つ(はずだ)。
桜庭が勝てば勝つほど、活躍するほど、プロレスファンは"最強"を夢見ていられる。
(最近の桜庭はプロレスの方に比重をかけているが…)

それは80年代の猪木の『異種格闘技戦』と同じだ。

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普段はプロレスをしながら、時に異種格闘技でプロレスラー以外と"シュート"(真剣勝負じゃない試合もあったが…)を行う猪木は、世間に『プロレスは最強』だと証明し続けてていたのだ。

それにファンや、世の中は興奮した。
猪木に最強を夢見て、猪木の戦いに喝采を送った。
猪木最強=プロレス最強、だと思いたかったのだ。


会社や組織に入ろうとした時、人は自身独自の"能力(実力)"をアピールする。
「私は有能です」
「私はこんな事ができます」
「こんな資格持っています」
そんな風に自分の"実力"を示す。
実力で戦いだかる。
それが正しいと思う。だから、"シュート"(真剣勝負)を仕掛けたがる。

だが、世の中に出たら分かる。
社会には大した実力も内のに威張っている奴が山ほどいる。
資格や実力も無いのに、人柄や人間関係だけで上に立っている奴。
上に媚を売っているだけで威張り散らす奴。

実力がある貴方から見たら、卑下したくなる人間だが、

それが社会だ。

"実力"(シュート"の技術)だけが評価されるのではないのだ。

言い換えたら、実力が無くても社会では上に立ってしまう。
また、人間関係や実力以外の力が評価される。

ゴッチらシューターが、「実力が無い」と言いたくなるのは分かる。
確かな技術や、能力は正当に評価させるべきだ。
『自分は他者に役立つ力がある』のなら、それになりの価値を見いだされ、待遇を与えられるはずだ。

それは大きく間違っている。

実力があるか、否かは社会人の"全て"では無い。
ロジャースのようにレスリング技術以外で高い評価を得て、それが"ギャラ"(給料)に反映する場合がほとんどだ。

もし、貴方の実力がかなり高い場合、社会の周りの人間が"劣って"見える。
だが、評価はその劣っている人間の方が高い。

そこに耐えられるか?

逆に、実力が無かったらどうか?
(俺なんてこのタイプだな…)
"ジャーニーマン"やロジャースのようなタイプの"レスラー"を目指せば良い。

"フッカー"を目指すのが一番だ。
実力がありながら、人間関係も器用にこなす。
そんな社会人が最高なのだ。
だが、そんな奴はなかなかいないし、成れない。

だから、社会人になったら、まずは"フッカー"を目指すべきだ。

そしてそれが無理なら、自分を分析するべきだ。
"ジャーニーマン"になるべきか、"シューター"になるべきか。

そして、ジャーニーマンになるなら、実力以外を伸ばす事に専念する。
誰かにすがるのもありだ。媚を売るのも良いだろう。
そんな自分を卑下してはいけない。"社会人"なのだから。

シューターになら、実力以外で評価されることに嫉妬してはいけない。
"社会人"なのだから。