鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

新社会人へ⑪ 元"信者"の絶望と幸福Ⅲ

社会になった俺は新卒で入った会社で、"負けまくって"いた。

学生時代に培った経験、自信など何の役にも立たなかった。
社会は俺に冷たく、厳しかった。

『佐々木-川田』戦に総合格闘技の匂いを嗅ぎとった俺は、現実の厳しさに抗いたく、人気が出始めたPRIDEにハマり出した。

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断っておくが、プロレスを見なくなったわけではない。
週刊プロレス』は毎週読んでいたし、テレビ朝日の『ワールドプロレスリング』は毎週欠かさず録画していた。

ただ、そこに以前ような"熱"は無くなっていた。

桜庭が"グレイシーハンター"として人気と実力を博し出し、派手な入場して、プロレスの技をPRIDEのリングで繰り出すと、桜庭は俺の中で"プロレスラー"になった。
桜庭自身も『プロレスラーは本当は強いんです!』と発言したことを知ると、俺の中で桜庭は"ヒーロー"になった。

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彼を応援すれば、元"信者"の俺は『プロレス最強』と主張し続けることが出来た。
従来の"プロレス"は意識としてかなり遠くに置いておきながら、俺は総合格闘技のリングにプロレスを見ていた。
プロレスラーを自認しながら、MMA(総合格闘技)で勝利を重ね、Uインターの"宿敵"グレイシーを倒した桜庭はまさに俺が欲していたヒーローだった。

桜庭だけじゃない。
元"最強"の高田延彦
路上の帝王マルコ・ファスを倒した『バトラーツ』のアレクサンダー大塚
Uインターを飛び出してリングに移籍した田村潔司
同じく元"Uインター"の喧嘩屋、山本喧一と、桜庭同様、プロレスとMMAを股にかけて活躍する帝王・高山善廣
猪木イズム最後の継承者、藤田直之

皆、"ガチ"(真剣勝負)の世界に活躍するプロレスラーである。
彼らを応援する事は、イコール、俺がまだ"プロレスファン"であることの証明であり、"UWF幻想"の信者でいれた。
(藤田直之はUWFとは関係無いが…)

時は2002年。
世の中は日韓W杯に盛り上がっていた。
俺も乗ったクチだが、やはり"サッカー"は人気者のスポーツであり、華やかな"人種"のみが"所有"出来る気がした。

俺には"プロレス"しかない。

正確に言ったら、『総合格闘技で活躍する元"UWF系"の団体に属していたレスラーを応援する』ことが、一番自分らしく思えた。

『Uの遺伝子』(週刊プロレス)と言う言葉がある。UWF系の団体がやっていた"格闘技っぽいプロレス"に影響を受けたレスラーの事を指す。
俺は、そんな『Uの遺伝子』たちの戦いに熱狂した。
多少距離を感じていたが、プロレスとPRIDEなどのMMAは"地続き"であり、高田信者(UWF信者)だった俺がそれに熱狂するのは、少しもおかしくなかった。

数年前の『佐々木-川田』戦に"総合格闘技"を感じて嫌気が差していたのにも関わらずである。

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しかしだ。

MMA(総合格闘技)やK-1の試合を観ていて、次第にストレスを感じ始めていた。
ガチの試合には必ず"膠着"状態が起こる。
組み合い、グラウンド(寝技)の展開になり、ぐちゃぐちゃと揉み合うような場面を観ると、退屈さを感じてしまうようになった。

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そんな時に思い出したのは、前田日明の『リングス』の試合だ。
リングスでも、よくこうした膠着状態になった。だが、それは次の(関節)技などに行くまでの"展開"であり、そこには「次はどうなる?」といった期待感に溢れていた。
また、従来のプロレスの試合で関節技を決められてもがくレスラーの姿もダブった。「ギブアップか?」とレフェリーに聞かれ、必死に耐えるレスラー。関節技の掛け合い、攻防を思い出した。

だから、PRIDEなどの膠着も楽しめるようになった。

だが、そんな風に俺を"指導"させてくれたリングスの試合は"プロレス"であった。
巧妙に仕組まれたプロレスであり、勝敗はあらかじめ決められており、そこに上がる"格闘家"は決められた結末に向けて、格闘技っぽく見える戦いをしていたのだ。

従来のプロレスもそうである。
関節技や絞め技を食らっているふりをして、観客を煽るのだ。

ここで思い出すのが、ジャイアント馬場の『シューティングを越えたものがプロレス』と言う言葉だ。
ここでこの言葉の意味が俺にはようやく分かるようになる。
Uインターの"プロレス"や、従来の"プロレス"を観ていたからこそ、退屈な膠着状態を楽しめるのだ。

それは元々はプロレスにあったものであり、従来のプロレス➡UWF系のプロレス➡MMAと観戦する試合が変わっても、そこは変わらないのだ。

なぜなら、それは"同じ"プロレスから出て来てものだからだ。

馬場のいう通り、「シューティング(
ここではMMA全般の意味)を越えたものがプロレス」だったのだ。
もっと分かりやすく言えば、プロレスという枠の中に、PRIDEなどのMMAがあるのだ。
あのライターの「プロレスがガチか、八百長かなどいうのは次元が低い」は当たっていた。

プロレスを、Uインターを観ていたからこそ、"信者"だったからこそ、俺はPRIDEを楽しめている。
事実、PRIDEなどで活躍するプロレスラーに熱い気持ちを抱いていた。彼らのベースにプロレスがある以上、それを応援する俺もまた"プロレス"の域を出ていなかったのだ。

以前、『プロレス総選挙』というテレビ特組で『ファンが選ぶプロレスラーTop20』が発表させてていた。

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その中に『前田日明』の名前が無い事がネットや雑誌で話題になった。
当たり前だ。
前田は"プロレスに影響を及ぼした"レスラーではなく、"総合格闘技に影響を及ぼした"レスラーである。
前田がUWFやリングスで"格闘技っぽく見えるプロレス"をしてくれなかったら、日本に総合格闘技のブームや、PRIDEの隆盛、今のRIZINの熱気はあっただろうか、極めて怪しい。

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よく政治の世界や、ドラマ・映画の世界で『真実がどうかなんてどうでも良いのだ』という言葉を聞く。
大体当たっている。

社会に出たら分かる。
社会は冷たく、厳しい。自分の思い通りにならない事ばかりだ。
しかし、それが自分を取り巻く事実であり、真実である。

「俺はこんな人間のはずだ」
「私は社会からこういう風に思われたい」
「こんな自分のはずだ。そうに決まっている」

そんな"幻想"に魅入られた"信者"だらけだ。
自分も他人も。…俺も。

実社会がそうではないから、プロレスをするのだ。
幻想の自分を実現させるために。
辛い現実は外に追いやり、自分にとって都合の良い"現実"に浸る。
そうしたい。
それが、幸福なのだ。

それが社会だ。
俺は、初めは『社会=リアルファイト(真剣勝負)』だと思っていた。

だが、違っていた。
社会人は"プロレス"(筋書きの決まった勝負)をする。
プロレスをして社会に妥協し、やり過ごし、耐えて、生き抜いていく。

「ガチなら強い」
「実際は違っている」
「本当の自分は…」

どれもこれも社会に出たらあまり関係無い。

社会で強い人間の実力は社会でしか証明されない。ガチの実力など見せられなければ意味が無い。
社会は真実を欲しない。誰かの為の真実があればそれで良い。
社会に見せている"自分"が、外から見られた『本当の自分』であり、社会はアナタの内面までは興味が無いのだ。

だから、思う。

『社会=プロレス』であると。

プロレスを知ること。学ぶことは社会を知ることではないのか?

社会人はすべからく皆、社会というリングでプロレスをしている。
誰かの、自分の都合の良い"幻想"に従いながら、生きている。

そして、言っておきたい。

誰かや組織の"信者"になるのは良い。
それはひょっとしたらアナタに大きな利益をもたらしてくれるかもしれない。

だが、いつも頭の隅に置いといて欲しい。

社会はアナタに"プロレス"を求め続けるものだ。
誰かにとって都合の良い"幻想"が、常にアナタの"幻想"と重なる事は無い。
必ず差が生まれる。
俺が『10・9』のUインター勢の戦い方に絶望を感じ、『佐々木健介vs川田利明』戦に納得しなかったように"プロレス"は必ずアナタの味方では無いのだ。

"信者"になるのは良い。
だが、"信者"を求めてはならない。
誰かの"幻想"を生きても良い。
だが、そこに"ガチ"(真実)を求めてはいけない。

誰かが、"曲げた"真実を見せてくれるかもしれない。
だが、それは"幻想"だ。
実体は無く、必ず幸福になれる保証は無い。
幸福はアナタが"プロレス"をして、アナタが手に入れろ。
「シューティング(真剣勝負)を越えたのかプロレス(幻想)なのだ」(馬場)なのだから、"プロレス"の先に"現実"があるはずた。

だから、それを自分の力で実現させろ。
幻想を越えろ。
俺は今も幻想の中にいるのかも知れない。自分に都合の良い"幻想"を追い続ける"信者"かも知れない。

だが、この先に"幸福"があると今も信じている。
誰の力も借りず(なるべく…)、必ず実現させたい幸福がある。

無理かもしれない。無駄かもしれない。

そうならそれで良い。
だが、もう誰の"幻想"も要らない。俺は、俺だけの幻想を追って、現実に行き着いてやる。

だから、社会に出る直前のアナタ、これだけは覚えておいて欲しい。

『社会=プロレス。だから、現実を生きるべきだ』

誰にも頼らず(たまには頼るのもアリ)、アナタの"現実"を実現させて欲しい。
必ず出来る。
諦めるな。道は無数にあるはずだ。