鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

新社会人へ⑬(終) 社会という"リング"の敗者

俺がプロレスにハマるきっかけになったのは、プロレスラーの"言葉"だ。

中学の同級生の物真似に刺激され、『全日本プロレス中継』を見るようになった俺は、次第にテレ朝の『ワールドプロレスリング』も見るようになり、同じく『リングの魂』を録画し、毎週出る『週プロ』、『ゴング』を熟読し、レンタルビデオで過去の名勝負やテレビ放送の無い団体の試合を調べあげるようになった。

すると、そんな俺に「プロレスなんて八百長でしょ?」と言って来る奴がいた。

「違うよ!」と言いたいが、現実のリングで行われていることを見たら、反論出来ない。
人間をロープに降っても、ひっくり返えって跳ね返って来ないし、一度決まったスリーパーはなかなか外せないはずだ。

そんな俺が見つけたのが、UWF系の"格闘技"っぽいプロレスた。
それはプロレスの枠を出るものではなかったが、俺が「ガチンコ(真剣勝負)のプロレスがある」と主張するのに十分な存在だった(薄々分かっていたが)。

その後、『1・4』の『健介vs川田戦』に失望し、社会人になったばかりの頃は、ブームになっていた格闘技に"鞍替え"した。(プロレスも見ていたが…)

そんな俺が憧れたのは、プロレスラーの放つ言葉だ。

「この会社、腐ってんだよ!」(蝶野)
「俺をキレさしたら歩いて帰れてないですよ」(長州)
「アイツは終わった選手。200%勝てる」(安生)

イメージ 7


など、プロレスラーはリングの内外で他人を罵倒、挑発する言葉を放つ。
相手をバカにして、罵り、屈辱を与える。

もちろん、これらはギミック(芝居)であり、彼らの本心からの言葉ではない。
観客やテレビ視聴者を煽る事が目的だ。


だが、俺は羨ましかった。

前にも書いたが(NWR)、俺は『社会』とは、「うるせぇ、バカヤロウ!」と言えるか、否かが大きな問題になると思っている。

プロレスを見始めた頃、俺は鬱屈とした青春を送っていた。

特にスポーツが得意なわけでもなく、頭も良いわけではない。
そんな俺は学校でも目立った存在でもなく、正直に言って無視されているような、"いてもいなくても関係無い"存在。
クラスメートや、学校で邪険にされるたりすると、俺は腹の中では、(クソがっ!)と思いながら、苦笑いを浮かべるような奴だった。
そんな俺は、プロレスラーの放つ罵詈雑言に惹かれ、それが言えるプロレスラーという存在が羨ましかった。

周囲に「うるせぇ、バカヤロウ」が言えない俺は、それが言えるプロレスラーに自分の"本来の姿"を重ねた。憧れた。

本心が言えるプロレスラーは、『素晴らしい』と思っていた。あんな風に俺をバカにして来る奴、無視する奴に文句を言いたかった。

だが、社会人になって分かった事がある。

果たして本心を放つ事が良いことか?
"本来の姿"を見せる事が良い事だろうか?

これまで散々「サミング(目潰し)しろ!」とか、「シュート(関節技)をかませ!」などと言っていたのに、何だよ?、と思うかもしれないが、社会に出たら、あなたの"本来の姿"、"本心"などあまり必要としない。

もしも社会に出て、他人から何か言われ、すぐに頭に来てサミング(目潰し)してくるような奴は間違いなく"社会人失格"である。
まともに関係性を結べない。

他人の気持ちを慮り、良好な人間関係を結べる奴が成功する。

皆、きっと他人からの言葉には「うるせぇ、バカヤロウ」なのだが、そんな本心を隠し、従順なふりをする。

本心を放つ事は格好良いが、社会的には全く意味をなさない。マイナスになるだけである。
社会で"勝つ"のは、従順で協調性があり、礼儀正しく、"上"を敬う人間である。

だが、社会に出ると頭に来る奴が多い。
「うるせぇ、バカヤロウ」と言いたくなる奴が多い。
我慢を強いられる。
礼儀正しく、協調性のある人間が勝者ならば、
すぐに本心を放ち、怒鳴る奴は間違いなく"敗者"である。

だから、俺は"敗者"だ。
社会人になってから俺には人から注意されたり、指示されたりすると頭に来て、つい「うるせぇ、バカヤロウ」が出てしまう。出ないまでも態度に出してしまう。

だから、俺は他人から嫌われ、「扱い辛い」と思われる。他人の"好意"を"悪意"と捉えて断る。
他人からの言動などに従う理由はなく、他人のやることなど、全て「余計なお世話」だ。
こんな俺は当然のように嫌われ、嫌われるが故に孤独であり、孤独だから誰も相手されておらず、仕事も無く、金も無い。
当たり前だ。自らが招いた結果だ。

社会において本音を放つ事は勝者の"権利"を拒否する事であり、"敗者への道"につながる。

敗者には、敗者の生き方があるとは思うのだが、勝者と敗者、どちらになりたいか。
間違いなく勝者だろう。
誰もが社会では勝者になりたい。収入、人望、名誉…。
勝者には社会的なステイタスを含め、多くの利益が与えられる。

プロレスにも勝者と敗者があるが、社会のそれとは違う。
プロレスの勝敗はあらかじめ決まっている。レスラーは協力して試合を作り、観客を興奮させる。
3カウント、ギブアップ、リングアウト。様々な負け方があるが、重要なのは敗者である。
敗者役のレスラーがいかに戦い、敗者となるかで勝者が輝きと価値が変わる。
実はプロレスの敗者は敗者では無い。
破れ去った者こそ、密かに称賛され、その『負けっぷり』が喜ばれる。

時には負け役や悪役が人気がでたりするのは、その為かも?

イメージ 4



前に『真実には大して意味がない』と、書いたが、社会でも"真実"はあまり意味がない。
本心からの"怒り"。
本心からの"思い"。
本心からの"熱さ"。
本音、真意、本気…。
あまり必要とされない。
社会で必要されるのは、誰かや組織への"忠誠心"。
誰かや組織の"ペース"に合わせる"協調性"。
そんな事が上手くやれる奴が社会では勝者だ。
リアルな実力など意味が無い。
真の"実力"を隠し、"観客"を楽しませる事を主眼に戦う。

まさに、"プロレス"ではないか?

観客などいない?
いや、いや…。
それは社会とプロレスしているあなた自身や相手。あなたの周囲の僅かな人間だ。

…そんなの"自己陶酔"じゃねぇか?

自分を酔わせられない(コントロール出来ない)奴に、他人を喜ばせられるできるわけがない。

社会=プロレス。

そうならば、社会と上手くプロレスができなかった俺が敗者になるのは当たり前だ。

俺は20代の半ば、スポーツライターになろうと、ある雑誌の『ライター養成塾』に参加していた。2週間に1度、東京の出版社に通い、"ライター修行"をしていた。

イメージ 1


当時、格闘技にかなり傾いていたから、格闘技ライターになりたいと思っていた。そして、何となくだが「ライターになったらバリバリ稼げるんじゃないか?」と甘い考えがあった。

だが、世の中そう甘くはない。

雑誌のライター養成塾に通っていただけで、ライターの仕事が舞い込むほど甘い世界ではない。
塾を卒業(破門)後、俺はライター希望をあっさり捨て、当時バイトしていた地元出版社に正社員採用されることを願った。

(俺がライター養成塾に通っていたことを知っているのは、当時付き合った彼女だけ。親にも言った事がない)

その後、その会社をクビになったり、再就職した会社(公共団体)も病気(脳腫瘍)で辞めたりした。

どの職場でも俺はうまく立ち回れず、誰かに文句やアドバイスを言われたら、サミング(本音)を出して周囲に嫌われてきた。

それでも、後悔は無い。(強がりじゃないよ…)

だが、『もっと上手くやれたかな…』という悔しさは少しはある。
いろんな職場で、馴染めず、他者から何かを言われ、その度に苛立ち、揉め、溝を作ってきた。そこには俺の"本音"があり、それをストレートに出したくて、出すことを"良し"としていた。
何か癪に障ると頭に血が上り、文句を言いたくて仕方なくなる。
それでいて、本当に実力のある人には逆らわないから、始末におえない。
格好悪いなぁ。

本音など出すべきではない。
本音など社会では何も評価されない。本音から出てくる"人間性"や"表現力"が評価させる。

怒り、苛立ち、嫉妬…。
それを見せても意味が無い。
一時の、そういった"本音"の感情に駆られてはいけない。
そういう感情に"負けて"はいけない。
沸き上がる感情。他人を攻撃したい気持ち。誰かにバカにされたら倍にして返したい。憎い。アイツ(ら)が憎い。俺と同じ目に会わせたい。バカにしやがって!、地獄に堕ちろ! 死ねや!…。

イメージ 2


だか、そんな感情に駆られ、他人を傷つけたり、本音を出したら、それは"負け"だ。
アナタの負け。

プロレス(社会)という、"本音そのまま"を必要としない世界で、その本音を持ち込むのは、"反則"であり、即座に敗者である。

社会=プロレスなら、"プロレス技"には"プロレス技"で返さないといけない。"ギミック"には"ギミック"で返すべきだ。

そもそも、本音と本音をぶつけ合うのが、美しいのなら、あなたに投げ掛けらる言葉が本音かどうか、必ずわかるのか?本当に美しいのか?

本当に本音なのか?

人の本音、本心、気持ちなど簡単に分かるわけがない。
また、他人に全て本音でしか話さない奴がいるのか?
本音を聞きき、言いあえるのは喜ばしい世界かもしれない。

だが、本当の"実力"を出し合うリアルファイトのMMA(総合格闘技)は、時に味気なく、つまらない。

イメージ 3


たから、社会は"リアルファイト"をしない。させてくれない。したがらない。

"プロレス"を強いて、上辺だけの言葉、態度、尊敬とわかりながらもそれを他人に期待する。

だから、本音を出してしまうのは、負けだ。

また、沸き上がる感情に負けては行けない。

社会=プロレス。
プロレスできない奴は敗者だ。
だから、社会とプロレスすることから逃げてはいけない。
俺は、逃げていた。
"リアルファイト"という"本音"の魅力と誘惑に負け、度々と一時の感情に負けてリアルファイトをしてきた。
それは"逃げ"であり、俺を"敗者"にした。

これから社会に出る、あなたは"負けないで"欲しい。
本音を出す事の甘い"誘惑"に負けてはいけない。

"負けたくなる"時は必ず来る。
だが、負けてはいけない。プロレスをしろ。

"プロレス"の結末は決まっている。
"プロレス"は偽りの戦いであり、リングで観客に"嘘"を見せる。
プロレスラーの放つ言葉には"本音"は無い。(たまにあるけど)

イメージ 5


リアルファイト(本音)でも、プロレス(嘘)変わらないのは、全てを"失う"ことがあるということだ。

イメージ 6


映画『レスラー』のエンディングの歌(スプリングスティーン)の詞の中に『風の中で片腕でもがく男…』とある。
"本音"を出せない社会人は誰もが、『片腕でもがく』者だ。

もがき続けよう。
片腕で暴れよう。

勝者を目指せ。

だが、勝者はただの『勝ち役』だ。それを忘れるな。
あなたは誰かに"勝たせて"もらっているのだ。

そして、プロレスの敗者が敗者ではないのなら、『負け役』でしかない。

ならば、社会という"リング"の勝者は、単なる勝敗に左右されるものではないのだ。
何回も負けられる。
事実、俺は何回も負けているから、そう言い切る事ができる。
諦めるな。

(了)