鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

プロレス心理学⑲ "信者"たちのプロレス

自尊心(プライド)の高い人間と、"自己ユーティリティ"の高い人間の違いは、"仲間"に対する考え方にある。

自尊心(プライド)の高い人間は、基本的に仲間という存在を認めない。
自分は唯一無二の存在であり、自分と"対等"な仲間などという存在は認め難い。

これに対して、"自己ユーティリティ"の高い人間にとって、"仲間"は自身を"演出"してくれる重要な"装置"である。
仲間から信頼される、"自分"。
仲間から尊敬させる、"自分"。
仲間から優先させる、"自分"。
そんな自分ではないといけない。

だから、自己ユーティリティの高い人間は皆、一見もの凄く"仲間想い"だ。

前田日明を見たらわかる。
第二次UWFで金銭問題でフロントとモメた前田は、後輩であり、仲間である選手らと"第三次UW"を作ろうとした。

前田にとって、UWFの後輩らは、大切な仲間であり、苦楽を伴にした戦友である。
散々面倒を見て、世話した。
また、前田は"第一次UWF"の頃から彼らの為に身銭を切り、危ない団体経営をしてきた。
それは全て、仲間の為である。

当然、皆、自分(前田)に付いてくると思った。

だが違った。
UWFの後輩らにとって、前田日明というレスラーは、常に上から物を言う偉そうで、自己顕意欲の強い先輩であり、何かあればすぐキレる危ない人間でしかなかった。
また、前田自身のレスラーとしての力に、彼らは見切りを付けていた。

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いくらWOWOWから資金提供の話が来ていても、もう一緒に"プロレス"をやる事はできない。

だから、UWFは分裂した。
(前田の先輩、藤原義明が袂を分かったのは、UWFスタイルについていけなくなったからか?)

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前田は1人で"リングス"を立ち上げた。

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こうして前田日明の目線からUWFの崩壊を視ると、前田は"被害者"であり、後輩に裏切られた哀れで、純粋な男である。

だが、「仲間たがら…」という視点は前田からの主観である。

人間は『自分が1番』と思う人種だ。
第二次UWFで"プロレス"で高田に敗れ、田村の眼底を骨折させた前田には、仲間とは

自分の意思を具現化する"装置"でしかなかったのではないか?

自分が負けようが、団体の中心は俺。
先輩である俺に、楯突く生意気な後輩は許さない。

そんな意志が見え隠れする。

"自己ユーティリティ"の高い人間が始末に終えないのは、その基本的な姿勢として、
『自分は仲間の為にやっている』という認識をアピールする点にある。

自己犠牲を厭わず、仲間の為に動く。
だが、その分、自分が何かにつけて優先されることを"暗に"望む。

これが厄介だ。
「俺は悪くない」
「俺ほど仲間の為に頑張っている人間はいない」
「俺は被害者である」

それはある意味間違っていない。
UWFにとって、前田は最大の協力者であり、主導的な存在であり、被害者である。

だから、前田日明を批判する事はしにくい。

だが、それは独善的であり、前田の存在自体がUWFというプロレス団体の中で大きくなり過ぎて、且つ、機能不全を起こしていなかったか?
誰もが前田に遠慮し、前田に"忖度"せざるを得なくなっていた。

フロントの金銭問題を追求した前田は正しい。(俺はUWFのフロント経営を疑っている)
それはレスラー内の中心選手である前田にしかできない。
その一方で後輩レスラーの気持ちは前田から離れていた。

後輩らから言えば『付き合ってられん』であり、前田から言えば『裏切られた』である。
散々面倒を見て、犠牲を払ったのに後輩らは全く前田を尊敬していなかった。慕わなかった。

"自己ユーティリティ"の高い人間にとって、1番求める他人の姿勢は、
自分を慕い、自分を尊敬し、自分を崇め奉る人間である。

それは"信者"だ。
前の『新社会人編』でも書いたが、信者は便利な存在だ。
自分を尊敬し、自分がミスしたり、間違った事をしても、勝手に良い方に受け取り、自分の言うことを何でも信じる。いかなる苦労や難関も乗り越え、自分を支えてくれる便利な存在だ。

理不尽にぶん殴っても、暴言を浴びせても、付いてくる人間が大好きだ。

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自分だけを信じ、自分だけの事を思ってくれる。

…恋愛に似ていなくはないかも?
何があっても自分を"奉る"人間。

そんな信者を求める。
同時に"信者"になりそうもない人間を徹底的に排除する。

女性からのDVがこれに当たる。
腕力的に劣る女性が、男性に対して暴力を振るうなど考えられないかもしれないが、女性側はしっかりと、暴力を振るっても"反撃"しない男性を選んで交際しているのだ。

だから、一見、従順そうな信者が自分に対し、反抗的な態度を見せると、頭に来る。
『裏切ら者!』というのは、

『(お前は俺の言うことを聞いて置けば良いんだ! なぜそれが出来ない? そんな馬鹿は)裏切り者!』

という事に他ならない。

信者は自分を信じるから"信者"だ。

自分に従えば幸せであり、何の不利益も被らない。

なのに、他人は自分を"裏切る"。

"自己ユーティリティ"の高い人間からしたら、信者以外の人間は皆、理解し難く、裏切り者でしかない。


…迷惑な話だ。

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何回も書くが、人間は自由だ。
何をしても、何を信じても、信じなくても自由だ。
前田日明に従おうとも、それを止めても、個人の勝手だ。

世話になった?

だが、それを後輩らが大して重視しなくても、"自由"だろう。
いや、世話になった以上に、迷惑を掛けられたと、思っていたら?

"コミュニケーション・ギャップ"というやつだが、こんな事はプロレス界に限らず世の中に溢れている。

雇ってやったのに、尊敬しない。
いろいろと教えてやったのに、尊敬しない。
奢ってやったのに、誘いに乗らない。
散々と接待したのに、契約してくれない。
こんなに好きなのに、好きになってくれない。

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当たり前だ。
自分の犠牲や苦心が必ず他人に反映されるとは限らない。

何故なら人間は自由だからだ。

だから、人は"信者"を求める。
自分の事だけを信じて、付いてくる人間に囲まれていたい。

だからだ。

信者になってはいけない。
誰かの思惑の中で働いたりしてはいけない。

俺は高校時代、間違いなく"高田信者"だった。
高田延彦のUWFインターナショナルの見せる戦いは"真剣勝負"であり、高田は最強の"レスラー"である。
そう思っていた。

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かなり無理のある話だ。
"Uインター"の試合は明かにプロレスであり、後に高田は"総合"(PRIDE)でヒクソンに連敗する。
(この頃にはUWF幻想からは脱していたが…)

信者とは恐ろしいものだ。
そんな高田を俺は信じ、UWFを『仕方なくプロレスっぽい試合をしている』と勝手に信じていた。

信者は勝手に良い方に捉える。
後から考えたら、矛盾だらけの事実も"都合良く"返還する。

それが"教祖"の思惑である。
しかも、信者は仲間であるから、教祖の"自己犠牲"を有り難く崇める。尊敬する。言いなりになる。

だって、そうする事で自分も信者も"幸せ"になるのだから。

自分の仲間(信者)である限りは、皆、幸せを享受する。
自分は仲間想いの素晴らしい人間であり、仲間はそんな自分に従って当たり前なのである。

だから、誰かの"信者"になってはいけない。

たが、誰も信じず生きる事はとても難しい。

それなら疑え。
全てを疑え。

…人を疑うな?

それは詐欺師の勧誘であり、地獄への誘い😱だ。

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だから、人は疑え!
他人は必ずしもお前の"味方"にはならない。
気を許せば、"ヒールターン"するぞ。
疑ってから信じても、遅くはない。

また、他人は"裏切るものだ"とも思え。(他人からしたらそれは裏切りではないのだが…)

そう、自己ユーティリティの高い人間は社会のそこかしこにいる。
あなたの横にも、向こうにも、そして、朝、洗面台の鏡の向こうにも…。