自尊心(プライド)の高い人間は、基本的に仲間という存在を認めない。
自分は唯一無二の存在であり、自分と"対等"な仲間などという存在は認め難い。
これに対して、"自己ユーティリティ"の高い人間にとって、"仲間"は自身を"演出"してくれる重要な"装置"である。
仲間から信頼される、"自分"。
仲間から尊敬させる、"自分"。
仲間から優先させる、"自分"。
そんな自分ではないといけない。
だから、自己ユーティリティの高い人間は皆、一見もの凄く"仲間想い"だ。
前田日明を見たらわかる。
第二次UWFで金銭問題でフロントとモメた前田は、後輩であり、仲間である選手らと"第三次UW"を作ろうとした。
前田にとって、UWFの後輩らは、大切な仲間であり、苦楽を伴にした戦友である。
散々面倒を見て、世話した。
また、前田は"第一次UWF"の頃から彼らの為に身銭を切り、危ない団体経営をしてきた。
それは全て、仲間の為である。
当然、皆、自分(前田)に付いてくると思った。
だが違った。
UWFの後輩らにとって、前田日明というレスラーは、常に上から物を言う偉そうで、自己顕意欲の強い先輩であり、何かあればすぐキレる危ない人間でしかなかった。
また、前田自身のレスラーとしての力に、彼らは見切りを付けていた。
いくらWOWOWから資金提供の話が来ていても、もう一緒に"プロレス"をやる事はできない。
だから、UWFは分裂した。
(前田の先輩、藤原義明が袂を分かったのは、UWFスタイルについていけなくなったからか?)
前田は1人で"リングス"を立ち上げた。
こうして前田日明の目線からUWFの崩壊を視ると、前田は"被害者"であり、後輩に裏切られた哀れで、純粋な男である。
だが、「仲間たがら…」という視点は前田からの主観である。
人間は『自分が1番』と思う人種だ。
第二次UWFで"プロレス"で高田に敗れ、田村の眼底を骨折させた前田には、仲間とは
自分の意思を具現化する"装置"でしかなかったのではないか?
自分が負けようが、団体の中心は俺。
先輩である俺に、楯突く生意気な後輩は許さない。
そんな意志が見え隠れする。
"自己ユーティリティ"の高い人間が始末に終えないのは、その基本的な姿勢として、
『自分は仲間の為にやっている』という認識をアピールする点にある。
自己犠牲を厭わず、仲間の為に動く。
だが、その分、自分が何かにつけて優先されることを"暗に"望む。
これが厄介だ。
「俺は悪くない」
「俺ほど仲間の為に頑張っている人間はいない」
「俺は被害者である」
それはある意味間違っていない。
UWFにとって、前田は最大の協力者であり、主導的な存在であり、被害者である。
だから、前田日明を批判する事はしにくい。
だが、それは独善的であり、前田の存在自体がUWFというプロレス団体の中で大きくなり過ぎて、且つ、機能不全を起こしていなかったか?
誰もが前田に遠慮し、前田に"忖度"せざるを得なくなっていた。
フロントの金銭問題を追求した前田は正しい。(俺はUWFのフロント経営を疑っている)
それはレスラー内の中心選手である前田にしかできない。
その一方で後輩レスラーの気持ちは前田から離れていた。
後輩らから言えば『付き合ってられん』であり、前田から言えば『裏切られた』である。
散々面倒を見て、犠牲を払ったのに後輩らは全く前田を尊敬していなかった。慕わなかった。
"自己ユーティリティ"の高い人間にとって、1番求める他人の姿勢は、
自分を慕い、自分を尊敬し、自分を崇め奉る人間である。
それは"信者"だ。
前の『新社会人編』でも書いたが、信者は便利な存在だ。
自分を尊敬し、自分がミスしたり、間違った事をしても、勝手に良い方に受け取り、自分の言うことを何でも信じる。いかなる苦労や難関も乗り越え、自分を支えてくれる便利な存在だ。
理不尽にぶん殴っても、暴言を浴びせても、付いてくる人間が大好きだ。
自分だけを信じ、自分だけの事を思ってくれる。
…恋愛に似ていなくはないかも?
何があっても自分を"奉る"人間。
そんな信者を求める。
同時に"信者"になりそうもない人間を徹底的に排除する。
女性からのDVがこれに当たる。
腕力的に劣る女性が、男性に対して暴力を振るうなど考えられないかもしれないが、女性側はしっかりと、暴力を振るっても"反撃"しない男性を選んで交際しているのだ。
だから、一見、従順そうな信者が自分に対し、反抗的な態度を見せると、頭に来る。
『裏切ら者!』というのは、
『(お前は俺の言うことを聞いて置けば良いんだ! なぜそれが出来ない? そんな馬鹿は)裏切り者!』
という事に他ならない。
信者は自分を信じるから"信者"だ。
自分に従えば幸せであり、何の不利益も被らない。
なのに、他人は自分を"裏切る"。
"自己ユーティリティ"の高い人間からしたら、信者以外の人間は皆、理解し難く、裏切り者でしかない。
…迷惑な話だ。
何回も書くが、人間は自由だ。
何をしても、何を信じても、信じなくても自由だ。
前田日明に従おうとも、それを止めても、個人の勝手だ。
世話になった?
だが、それを後輩らが大して重視しなくても、"自由"だろう。
いや、世話になった以上に、迷惑を掛けられたと、思っていたら?
"コミュニケーション・ギャップ"というやつだが、こんな事はプロレス界に限らず世の中に溢れている。
雇ってやったのに、尊敬しない。
いろいろと教えてやったのに、尊敬しない。
奢ってやったのに、誘いに乗らない。
散々と接待したのに、契約してくれない。
こんなに好きなのに、好きになってくれない。
当たり前だ。
自分の犠牲や苦心が必ず他人に反映されるとは限らない。
何故なら人間は自由だからだ。
だから、人は"信者"を求める。
自分の事だけを信じて、付いてくる人間に囲まれていたい。
だからだ。
信者になってはいけない。
誰かの思惑の中で働いたりしてはいけない。
俺は高校時代、間違いなく"高田信者"だった。
高田延彦のUWFインターナショナルの見せる戦いは"真剣勝負"であり、高田は最強の"レスラー"である。
そう思っていた。
かなり無理のある話だ。
"Uインター"の試合は明かにプロレスであり、後に高田は"総合"(PRIDE)でヒクソンに連敗する。
(この頃にはUWF幻想からは脱していたが…)
信者とは恐ろしいものだ。
そんな高田を俺は信じ、UWFを『仕方なくプロレスっぽい試合をしている』と勝手に信じていた。
信者は勝手に良い方に捉える。
後から考えたら、矛盾だらけの事実も"都合良く"返還する。
それが"教祖"の思惑である。
しかも、信者は仲間であるから、教祖の"自己犠牲"を有り難く崇める。尊敬する。言いなりになる。
だって、そうする事で自分も信者も"幸せ"になるのだから。
自分の仲間(信者)である限りは、皆、幸せを享受する。
自分は仲間想いの素晴らしい人間であり、仲間はそんな自分に従って当たり前なのである。
だから、誰かの"信者"になってはいけない。
たが、誰も信じず生きる事はとても難しい。
それなら疑え。
全てを疑え。
…人を疑うな?
それは詐欺師の勧誘であり、地獄への誘い😱だ。
だから、人は疑え!
他人は必ずしもお前の"味方"にはならない。
気を許せば、"ヒールターン"するぞ。
疑ってから信じても、遅くはない。
また、他人は"裏切るものだ"とも思え。(他人からしたらそれは裏切りではないのだが…)
そう、自己ユーティリティの高い人間は社会のそこかしこにいる。
あなたの横にも、向こうにも、そして、朝、洗面台の鏡の向こうにも…。