以前、このブログで『プロレスラー藤原喜明を尊敬している』と書いた。
俺はこの人の“弟子”に対するスタンスに好印象を持っていた。
『あいつら(弟子のプロレスラー)が、俺を師匠と思っているなら、そんなんだろ? 別に俺から強制はしねぇよ…』
そんな意味の事をインタビューで語っていた。
非常に好ましい考え方だと思えた。
世の中には、大して世話になってないのに、師匠ヅラするバカが多い。恩着せがましく“上”から物を言う間抜けが多い。
人が何に感化され、感謝し、慕おうとその本人の勝手だ。
会社の上司だろうと、派遣先のお偉いさんだろうと、クソ野郎はクソ野郎だ。
通りすがりのオジサンだろうと、下働きの若者だろうと、俺は敬意を払いたい人物に、敬意と尊敬の気持ちを抱く。
それはこちらの自由だ。
藤原“組長”はそこら辺の機微を察する事ができる、人間性の高い人物に思えたからだ。
だが、最近意外な記事を読んだ。
その藤原“組長”が、かつてプロレスの基礎を教えた船木(誠勝)に怒っていたのだ。
「なんだ、あいつ💢 俺の事を悪く言いやがって
…」
かつて、新日➡️第二次UWF➡️藤原組と同じ釜のメシを食い、プロレスを教え込んだ“弟子”に怒っているのだ。
どうも、船木が別の媒体で藤原組長の事を批判したらしい。
…そんな記事を見た覚えはないが、船木の発言の中に藤原を、非難するものが混ざっていたのかもしれない。
怒る藤原組長の言葉の中に「昔は、散々面倒を…」という言葉があり、少しショックだった。
(この人も、こうした感情に陥るのか?)
そう思った。
そんな気持ちにならない方だと思っていた。
だが、それも仕方ない。
藤原喜明にとって、船木誠勝はかつての“弟子”というだけでなく、“特別な存在”だったからだ。
ここに、藤原喜明という1人のプロレスラーが描いた“夢”があるような気がした。
以下は俺の勝手な推察、考察と想像、希望を元に書いていく。
かつて存在したUWFという“プロレス”団体は、そのコア(核)を見れば、新日本プロレス内部にあった藤原“グループ”が大元になっている。
間接とシゴキの鬼👹、藤原喜明を慕う前田日明、高田延彦などが集まり出来たのが、“第一次 UWF”だ。
この団体の出来た遠因は、悪名高きアントニオ猪木の個人事業“アントン・ハイセル”とそれに伴う新日本内部のクーデターだが、そのメンバー、プロレス団体としての核は“藤原グループ”である。(…というより、メンバーがそうなっていった?)
その第一次UWFは資金難で1年半で潰れ、前田らは古巣の新日本に戻って来た。
第一次崩壊後、藤原喜明も古巣新日のリングに戻っている。その時の事を高田延彦は自伝の中で『藤原さんのキャリア、経験からしたら当然なのかもしれないけど…』としながら、かなり新日側に歩み寄っていたようだ。他のUWF系レスラーは新日とかなり距離があった中で、藤原のその姿勢は“旧UWFレスラー”と距離があったようだ。
新日本側からは、おそらく周囲から『出戻りのクセに…』と思われていたのだろう。
その中で、藤原だけが友好だった。大人の対応と言えなくもない。
だが、UWF側の前田日明が、あの“長州背面蹴り事件”(正確に背面からではないようだが…)で新日本を解雇され、それに伴い旧UWFのレスラーらが新日本を離脱。再結集し、出来たのが“第二次UWF”である。(“新生UWF”とも言う)
この第二次は、格闘技を全面に押し出した“プロレス団体”であり、カルト的な人気を呼んだ。
この時、新日本に残るかに思われていた藤原は、船木誠勝、鈴木みのるを引き連れて、第二次UWFに移籍する。
これを俺などは後から知って、さらっと受け流したり、『第一次の時のように、藤原も“スポットライト”を浴びたかったのだろう?』という意見に流されたが、今から思えば少しおかしい。
藤原のアントニオ猪木に対する尊敬は凄まじい。
対面の場では今でも直立で、猪木を迎えている。
また新日本離脱後、「猪木さんを裏切ってしまったのは痛恨…」と言っている。
そんな藤原は何故、一度戻った新日本からまた飛び出したのか?
いや、そもそも何故藤原は、第一次UWFに参加したのか?
それは、藤原喜明というレスラーの“孤独”がある。
藤原は長い間、新日本に“飼い殺し”にされていたのではないか?
純粋なレスリングの実力がありながら、“プロレス”が上手く無い藤原は、長らく前座を暖めるレスラーだった。
第一次UWFは猪木に対する社員、幹部、レスラーのクーデターが引き金になっていた。
そのクーデターの話に当初、藤原にはされていない。“蚊帳の外”にされたのだ。つまり、『アイツ(藤原)なんていてもいなくても一緒』と思われていたのではないか。
これを知って、藤原は内心、怒ったのでは?
一応、藤原離脱(第一次)の理由は、『新日本道場でかわいがっていた前田、佐山(タイガー)、高田などを放って置けなかった』となっているが、それは建前で、本音は『俺も注目されたい!』ではなかったか。
事実、藤原は“関節技職人”、“新日本内、実力No.1”などと持て囃された。
第一次が崩壊して、新日本に戻り、待遇や居心地、周りの目は良くなったのかもしれないが、そこに喝采や称賛が欲しくなかったのか?
ならば、選手層が厚く、自分より“上位”のレスラーがいる古巣新日本より、自らの“弟子”がいる第二次UWFの方がやり易い。
そういう狡猾な計算から、離脱を決めたのでは?
しかも、“将来のエース”船木を連れて。
藤原らが移籍した第二次UWFだが、僅か一年半程で崩壊する。
ここにUWFは分割し、リングス、Uインター、藤原組(ここからパンクラスとバトラーツが派生する)になる。
これまで俺は、前田のリングスが実質的には“第三次UWF”だと思っていた。(ハマっていたのは高田のUインターだが)
しかし、よく考えてみたら、第三次UWFは藤原の藤原組ではなかっただろうか?
第二次UWF分裂の流れは、フロント陣の“使い込み”を疑った前田を、そのフロント側が“謹慎”させた事で前田がキレて、“再出発”を画策する。
それを仲間であり、後輩である高田らレスラー側に提案するも、高田らは拒否。
前田は一人になり、高田らは新団体、藤原は船木、鈴木とともにまた新団体を作る…。
…というのが流れだ。
この話はたくさんの書籍になったり、証言する人間がいて情報が錯綜している。
俺が不審に思っているのは、前田とぶつかった“第二次”のフロント陣が崩壊後、あまりにもあっさりとプロレス業界から身を引いた事である。
第二次UWFは、格闘技路線をベースにしたプロレスであり、それが人気を呼んだ。(“実質的”にはプロレスの範疇)
その人気を見て、フロント陣(経営者ら)が、新しい“ビジネス”を想起しなかっただろうか。
あまり融通の効かず、反抗ばかりする前田を“抜き”にして“第三次UWF”を起こそうとは、思わなかっただろうか。
“前田抜き”とするなら、誰を“核”とするか。
それで、旧フロント陣は藤原を中心とした新たなUWFを立ち上げようとしたのでは?
ところが、一部の若手(安生、宮戸)は前田も嫌だったが、フロント陣の下になるのも嫌であり、高田を担ぎ上げて、新団体を作ったのではないか。
つまり、
リングス=前田(1人ぼっち)
Uインター=反前田、反フロント
そして……、
藤原組=藤原、船木、鈴木(+第二次UWFフロントグループ)=第三次UWF?
という図式ではなかったのだろうか。
旧第二次の経営者(フロント陣)らは、『藤原さんの下になら、あのうるさい前田以外のレスラーが集まり、新しい団体ができる』と見越していた。
だが、実際は高田を中心に別の団体が出来てしまい、しかも、“エース候補”だった船木は早々に藤原組を離れ、さらなる新団体(パンクラス)を創設した。
第二次UWFの解散については、今もいろいろな事が言われている。
「前田が悪い」
「高田が狡い」
「安生・宮戸のわがまま」
…などと、様々である。
俺は、『フロントグループの前田排除の失敗』説、『藤原喜明擁立失敗』説を考えている。
使途不明金や使い込みを疑う前田は、フロント陣からすると、うるさい存在だった。(使い込みの真偽は置いといて…)
だが、この“新しいプロレススタイル”であるUWFは“ビジネス”として続けたい。
そんな彼らが眼を付けたのが、藤原であり、船木だった。
船木は次世代のスター候補であり、彼を中心に“前田抜き”の新団体を立ち上げたかった。
前田を抜かして、誰をリーダーとするのか。
それには、藤原喜明が適任だった。
藤原は年輩者でもあり、UWFは元々“藤原グループ”が新日本から飛び出したものである。
また藤原は船木と親しい。“師弟関係”である。
前田日明を謹慎処分にしたフロント陣は、密かに藤原に声を掛けたのではないか。
『藤原さん、前田さん抜きで新団体(第三次UWF)やりませんか?』
後輩想いの藤原はおそらく悩んだだろう。
前田も後輩である。
しかし、団体の運営を行うフロント陣はその前を排除したがっている…。
新日本や第一次の頃から付いてきた後輩レスラーたちの生活もある。
藤原は“第三次”の設立を決めたのではないか。
前田に後ろめたさがあったが、それより多い後輩レスラーたちの行く末を案じたのだ。
それで、フロント陣が望んだのは船木の“引き抜き”ではないか。
新団体には必ず“新たなスター⭐”が必要だ。
第三次には船木が必須であり、彼の“師匠”である藤原なら、船木を“釣れる”と踏んだのではないか。
船木が釣れたなら、後のレスラーは勝手に付いてくる、と思ったのではないか。
だか、船木(と鈴木)以外のレスラーは別行動を取り出した。
中心は安生、宮戸の二人。
彼らも船木を欲しがったのではないか。
つまり、第二次UWF解散劇のもう一つの側面は、この船木誠勝の争奪戦だったのでは?
で、船木は師匠、藤原を選んだ。
スター候補(船木)を失った安生、宮戸は、第二次で“二番手”だった高田延彦をエースに選んだのではないか。
つまり彼ら(安生・宮戸)からしたら、高田延彦は“第二希望”のような存在であり、(…船木は来なかったし、仕方ないなー)という消極的な選択だったのでは?
…というのも、安生は今でも「高田さんは最強ですよ!」と言っている。
“そう言い続けないと”高田に対して後ろめたさがあるのではないか?
必要以上に、“高田最強”を主張しているのように見えるのだ。
…これが俺の思う第二次UWF解散の真相である。
(勝手な想像を含む…)
『藤原組=藤原、船木、鈴木(+第二次UWFフロントグループ)=第三次UWF?』
そして、藤原の後ろには第二次UWFで前田と揉めたフロント陣がいたのでは?
彼らは、藤原組を第三次UWFにしたかったのでは?
と思うのは、藤原組はこの後、分裂騒動を起こしている時の経緯を聞いたからだ。
藤原喜明以外のレスラーが退団する事になり、それにより作られたのが、“バチバチファイト”でお馴染み(?)の『格闘探偵団バトラーツ』(現在は休眠?)である。
この騒動の原因は、藤原組の“スポンサー”という人物が、藤原喜明と彼らを引き離すような非常に“幼稚”な工作をしたからである。
“組長”である藤原に「アイツ、◯◯◯とかって言っていたぞ?」などと吹き込み、仲違いをさせようとしたと、バトラーツの石川(雄規)などが語っていた。
これで、藤原と若手レスラーに溝が出来て、分裂につながった。
それは、第二次UWFの晩期のフロント陣とレスラーの争いによく似ている。
彼ら(UWFフロント陣=藤原組スポンサー)は同一ではないのだろうか。
前田を“排除”した彼ら(フロント陣)は藤原にすり寄ったが、期待してたいた船木はプロレスより“リアルファイト(真剣勝負)”思考があり、すぐに藤原組を離脱して、“完全真剣勝負のプロレス ”パ ン クラスを立ち上げた。
確か、『リン魂』(懐)で、藤原と船木の“藤原組ラストファイト”を観たが、ものすごくあっさりしたものだった。
藤原は、船木(と鈴木)がどういう意思で、自らに付いて来たか、分かっていたのかもしれない。
(…お前らは“そっち”をやるのか? まあ、頑張れよ)という気持ちだったのではないか。
船木らに去られた旧フロント陣だが、(藤原さんがいたら、どうとでもなるはず)とタカを括っていたのではないか?
その後、藤原組を牛耳ろとしたこの旧フロント陣だったが、今度は藤原組の若手レスラーと衝突した。
藤原喜明は優しい男である。
自分から離れていく者を追わない。
そこは以前書いた『俺の事を師匠と思うのならば、そうだろ?』という寛容さ藤原にはある。
だか、本音では、自分を中心にした第三次UWFに淡い期待をしていたのではないか。
船木ら(パンクラス)や石川ら(バトラーツ)が離れていくのを見て、後輩らが自由に“仕事”する事を優先したのだ。
旧フロント陣の話に乗ったのも、彼らを見捨てて置けなかったのかもしれない。
しかし、心のどこかで『俺が中心のプロレス団体を…』という淡い“エース願望”がなかったか?
そして、それは後輩らの為に封印し、さらに「別に弟子じゃねぇよ」と突き放したのでは?
だが、最近“そっち”(リアルファイト=MMA)をしていた船木が、プロレスに復帰した。
藤原からしたら、(なんで、お前、“こっち”に来るんだよ!?💢)という気持ちになるのも分かる。
改めて、何度も書いているが、プロレスはショーである。
その結末はあらかじめ決められていて、レスラーはその結末に向かい、“協力”して闘いを“見せて”、観客を興奮させるのである。
リアルファイト(=MMA)と見た目は似ているが、全く別のものである。
そして、藤原喜明はプロレスラーである。
彼の闘いは“その”範疇から出ない。
狭義の“格闘家”ではない。(広義では格闘家とも言える)
そんな藤原喜明が抱いた“幻想”が藤原組であり、第三次UWFではなかったのか?
人は誰でも幻想を抱く。
一生に一度、己の願望を叶えたい、自分に“スポットライト💡”を浴びたい…。
そう思ってもおかしくは無い。
藤原“組長”が夢を、幻想を見てもおかしくは無い。
人は幻想の“信者”だ。
自分の希望通りの未来や姿を見たがる。
見たがるが、必ずしも叶うとは限らない。
いや、叶わないのがほとんどだ。
だが、幻想を信じる。
俺も、貴方も、藤原喜明も…。
幻想に生きる。
それが所詮は幻想だと分かっても、幻想を抱かずにはいられない。
人間(レスラー)だから…。