"思い込み"、"決め付け"の強い人間によくある性質が『やたらと自分に都合の良いストーリーを想像する』という点だ。
こちらは全く聞いていない話が、その人間の中では順調に進んでいる事が多い。
「明日の飲み会🍻だけど…」
(そんな約束していない)
「ミーティングのメンバー、決まった?」
(初耳)
「この原稿だけど、前に言った通り…」
(前って?)
「これ、『2つ減らして』って言っただろ!」
(…言ってない)
思い込みの強い人間は、何故か、自分の行為、思考、行動が自分の思い通りになると"思い込んで"いる。
現実の行動が無くても、その人の中では話が順調に進み、いつの間にか、自分の希望通りの展開になっていると、何故か、決め付けている。
何故、そこまで自分の都合の良い想像ができて、こちらに押し付けてくるだろう?
逆も然りだ。
例の"知り合い"の『アイツは俺を嫌っている!』だ。
実のところ、そんなに嫌われていないのだが、そう"思い込む"。
何故、人は思い込みや決め付けをするのか?
それは、そう"区別"する事で『他人に対してあれこれと想像する』必要がない。
それは以前に書いた。
『思い込みは禁物だ』と今回、度々書いてきたが、思い込む事自体は誰でもあり得る。
俺も、思い込みを全くしないわけではない。
高校生の頃、俺はUインター(UWFインターナショナル)という"プロレス団体"を完全に真剣勝負(リアルファイト)と思っていた。
雑誌(週刊ゴング)で見たそれは、真剣勝負に思えた。
レンタルで借りたビデオの映像で見たそれは、明らかに"プロレス"だった。
ま、プロレス雑誌で扱っている事自体、プロレスである証なのだが、それでも俺は、Uインターを信じた。
『Uインターは普段はプロレスしているが、いざとなったら"真剣勝負"するに違いない』
と、何とも都合の良い"解釈"をしていた。
まさに"思い込み"だ。
UWF(Uインター)は、プロレスではなく、真剣勝負のリアルファイトではないといけないのだ。
何故?
そう問われたら、「そうでないと困るから」としか言えない。
自分の信じたものが、自分の信じた通りではないといけない。
おかしな点や、怪しい点があってもそれを自分の思った通りの"事実"に終着すると"都合良く信じる"。
そして、"10.9"
Uインターは新日本プロレスの"プロレス"に負けた。
思い込みは所詮、思い込みだったのだ。
Uインターはプロレスだった。
プロレスには"アングル"という言葉がある。
プロレスの試合上での"動き"や"勝敗"を示したのが"ブック"(台本)であり、アングルはレスラーの関係性などを示したもので、そこからストーリーが始まったりする。
アングルとはレスラー同士の関係を"決め付け"て、試合を盛り上げ、観客の興奮を引き出す。
プロ野球などで、過去の因縁、出来事を取り上げて"ドラマチック"に演出したりする話などが、そうだ。
俺が執着した『Uインター』はプロレスだった。
真剣勝負ではなく、アングルのあるプロレスだ。
純粋なスポーツならば、アングルもストーリーも無く、競技としての優劣を争うのであれば、それはいらない。
リアルファイトを標榜していたら、レスラー側からアングルを匂わす事は無いはずだが、Uインターにもそれなりにアングルはあった。
そこからして、Uインターはやはり"プロレス"だ。
思い込みというアングルが、自分の信じた通りのアングルだったとしたら、それは『Uインターはリアルファイト(真剣勝負)だ』というアングルだ。
Uインターはプロレスだ。
それを『真剣勝負だと信じたい』というのはかなり無茶苦茶な話だ。
何故なら現実のそれは、完全に"プロレス"であるからだ。
だが、UWF(Uインター)は真剣勝負でないといけないのであり、それが"プロレス"ならばいけないなのであり、それは自分という存在の"否定"にさえ思えてくる。
だが、だから自分に都合の良い思い込みを信じたい人間の気持ちが少し分かる。
『思い込みをしてはいけない』という言葉の裏には、
『自分の思い通りにならない現実を、あなたはどうする?』
という"問いかけ"でもある。
どんなに思い込んで、決め付けても、現実がその通りになるとは限らない。
自分の希望するような未来の来ないし、自分を慕い続ける友人はいないし、
自分を愛し続けるてくれる異性はいない。
"そうだ!"、"いる!"と思いたいが、いない。(確実に)
思い込みは禁物だが、人間は思い込みや決め付けをしてしまう。
それが違っていた時、どうすれば良いのか?
思い込み自体はしてしまうのだから、する事を前提として、思い込みが違った場合の"対応"を考えておくべきだ。
自分の思い込みや決め付けが外れると、周囲に怒る奴を散々見てきた。
何て愚かなのか?
そもそも、自分の勝手な思い込みが、必ず合っている訳がない。
自分の思い、考えを100%理解し、それを考慮して動く他人など絶対にいない。
どうにもならない"現実"に怒り、嘆き、恨んでもどうしようもない。
『んな事はお前に言われなくても…』と思うかもしれないが、果たして分かっているか?
少しでも自分の思い込みがハズレると機嫌が悪くなったりしないか?
『思い込みは禁物』ではなく、『思い込みはハズれるものだと思い込んでおけ!』だ。