昔、働いていたバイト先の後輩に、少しおかしな男がいた。
彼は自分の趣味等を強烈に“推して”来る奴だった。
そいつはビリヤードにハマっていて、かなり上手かった。そして、何かにつけて自慢してきた。
「いや~、ビリヤード、最高っすよ」
「俺、この大学で一番ビリヤードが上手いんじゃないっすかね♪」
そんな事をよく俺に言っていた。よくある“自己顕示”だと思った。
自身がどれだけビリヤードが好きか、上手いかを誇りたくて仕方ないのだ。
で、一緒にビリヤードに行きたがるのである。
バイト帰りにビリヤード屋に行ったが、これが大変。
「キュー(棒)の握り方が違いますよ」とか「…ほら、あそこ。…あの球の真ん中ちょい左を狙ってみて下さい」などと、なかなか小うるさい。
思わず、「うるせぇなぁ。俺の好きにやらせろよ」と文句を言うと、不満そうだったが静になった。
その次はバイクだった。
ある日のバイト帰り。「…少しお話ししたい事があります」と言うので、(…バイトの悩みでも相談してくるか?)と思ったら、バイクの話だった。
最近、バイク免許を取って、中古バイクを購入したらしい。
「いや~、バイクって最高っすよ。朝とかに軽くツーリングするだけで気分が違いますよ♥️」
要するに、バイク自慢だ。
当時、俺は友人からスクーターを安く譲り受けて乗っていた。
「鈴木さん、スクーターなんて全く早く無いっしょ? やっぱりバイクっすよ、バイク!」
バイクに乗っているのが、嬉しいらしく、そんな事を言って自慢して、ビリヤード同様、俺にバイクを進めてきた。
俺としては「…そう? いいじゃん?」としか言えなかった。
その次は、麻雀🀄だ。
彼は麻雀にハマり、バイト中はその話題ばかり…。
で、例のごとく、俺を誘う。
俺も麻雀🀄は好きだ。かなり下手だが、それなりにやっていた。
彼とも数回やったりした。(…負けたなぁ)
そんな風に、自分がその時にハマっている趣味を推してくる彼は、どうにも“ワガママ”に映った。
あまりに自慢し、推してくる姿勢に俺は告げた。
俺「君が、それを大好きで、上手いのはよく分かったよ…。だけどさ、それを“強要”するなよ」
後輩「…えっ?」
俺「だからさ。何にハマろうと、君の勝手だけどさ。“こちら”も何にハマろうが勝手だろ?」
そう言うと、そいつはキョトンとした顔をした。
「えっ? 僕がなんか悪い事しました? ただ好きな事を勧めているだけですよ? 俺が好きな事を親しい人と一緒にやりたくて誘うのは別に良いでしょ? 悪い話ではないのだし…」
この言葉を聞いて、分かった。
コイツは、自己顕示をしたいだけではなくて、他人との“共通項”が欲しいのだ。
何故だろう?
何故、人は趣味や嗜好、価値観の共通項を押し付けて来るのか?
他人と繋がりで、共通項になる“趣味”を持つことで、少しでも自分の“立場”を良くしたいのだ。
自分の方が上手く、詳しく、好きな共通項を持つことで、他人と関わりやすくしたかったのだ。
それは長州力だ。
他人と同じ共通項を持てないと関われない臆病者の長州力は、彼(後輩)と同じだ。
先日引退した長州力は、ずっと“共通項”を求めて来たレスラーではないか?
新日本プロレスに“オリンピック代筆”として入団した吉田光雄(長州力)は、全くパッとしない若手レスラーだった。
何度も書いているが、プロレスはショー👯である。
プロレスの試合の勝敗はあらかじめ決まっている。ブックと言われる“台本”がある。(もしくは勝敗のみ決めてある“ケツ決め”…)
プロレスラーが脚光を浴びるには、自分が“勝つ”という勝敗が決められ、注目されるような、話題になるような試合を会社から“組んで”もらわないもいけない。
吉田(長州)が新人の頃、新日本プロレスが推したのは、藤波辰爾だ。
吉田は三番手であり、社長のアントニオ猪木の次、“次世代のエース”は藤波だった。
オリンピック選手として鳴り物入りで入団した彼はそこが気に入らない。
(…なんで会社は俺を推さない?)
そのフラストレーション(不満)が溜まり、吹き出したのが、あの『噛ませ犬』発言だ。(実際には長州は『噛ませ犬』とは言っていないが…)
会社(新日本)や藤波、そして猪木に対する不満は本当であり、猪木はそれをリングに上げたのである。
会社に不平不満を持つレスラーが長州のもとに集まりだした。
彼らは『維新軍』と言われた。
繰り返すが、プロレスはショーである。
プロレスは、観客を興奮させる事を目的にしている。その為にはリング外の“リアル”をリング内に上げるのは、よくある事だ。
猪木や会社(新日本)に反旗を翻す彼らは、変化を求める“革命家”に思えた。
そのリーダーの長州は、新日本の人気レスラーになり、『革命戦士』と言われ出した。
やがて長州ら維新軍は『ジャパンプロレス』というプロレス団体を立ち上げ、新日本プロレスを飛び出し、全日本プロレスに移籍した。
これに対し、週刊プロレスのターザン山本(!)は失望したという。
長州が全日本に行った時、終わったと思ったね。全日に行っても、新しいものがないもの。
以前も書いたが、長州の全日本移籍は“新しさ”の“革命”ではない。
自分をそれなりに評価してくれた猪木から、今度は全日本プロレス社長であるジャイアント馬場に『貴方は俺(長州)をどう評価するのか?』という問いかけであり、“売り込み”であり、新しいプロレスの価値観を見出だすものでは無い。
既存のプロレスの価値観で、自身を“品定め”させたに過ぎない。
『ジャパンプロレス』という独自の団体を立ち上げたのだが、決して自分達で興行をする事はなかった。
自らが、新しさ“プロレス”を出す事は無かった。
そんな“賭け”には出られない。
怖い((( ;゚Д゚)))からである。
長州は臆病者である。
長州力は『革命戦士』などでは無い。
自分のレスラーとしての価値を十分理解し、自分の価値を“共有”してくれる人間を選んだだけだ。
長州にとっての“共通項”は、自分自身だ。
『長州力』というレスラーの価値を共有出来て、共通項として“考慮”してくれる人間と関わりたかっただけだ。
自身を共通項にしてくれない人間とは組まないし、戦わないのだ。
やがて、長州は新日本に“Uターン”する。
全日本では自身の価値が上手く上がらないと気付いたからだ。
長州は「全日本には夢がない」と言ったらしいが、夢がないのは自分自身だった。
新日本に戻った長州は、猪木、藤波、そして同じくUターンしてきた前田(日明)を“排除”して 、“現場監督”に収まった。
(勝手に消えたような部分もあるが…)
新日本プロレスは完全に長州の“モノ”になった。
レフェリーはジャパンプロレスのタイガー服部。
若手の道場を仕切るのは、直属の弟子であった馳、健介。(健介とは後に断絶…)
俺が見始めた頃(93年~)の新日本プロレスはそうした“長州色”の濃いプロレスだったのだ。
自分との“共通項”を結んだ人間、“癒着”してくれる人間としか“付き合えない”長州力は、戻ってきたここ(新日本)で、かなり勢力を増した。
己の価値を最大に出来たのだ。
自分の気に入らない人間(西村、橋本)はあんまり関わらないようにして、自分と“癒着”し、自分との共通項を持ってくれる人間と、強固な関係性を結んだ。
だから、96年のG1で“自分の優勝”という、リアルと乖離したブック(台本)を描けたのだ。
長州は“天下”を取っていた。
2000年代前半までは…。
共通項を得て、癒着を利用できる人間はここまで威を張れる。
あのバイト先の後輩が、自分の趣味や嗜好を推すのも無理はない事なのかも?
我々は、他人を自分の有利な“影響下”に置くことで、“共通項”を持つことで、“癒着”させる事で、他人と有利に関わる事ができたりする。
自分と利害関係などが一致しない人間とは、相容れない。
自分と利害を一緒にし、自分を理解し、支え、尊敬してくれる人間のみを近くにおきたかる。
そこにいるのは“信者”た。
“共通項”を利用して“信者”が欲しいのだ。
後輩も、長州も信者が欲しがったのだ。
自分を推してくれ、遠慮してくれ、忖度してくれ、価値を認めてくれる“信者”が欲しかったのだ。
だから、人は他人に自分の趣味や嗜好、価値観の共通項を押し付けるのだ。
長州の天下は、例の「目を覚ましてください」で崩壊し、新日本を退団し、あのWJプロレスを立ち上げた。
ようやく、自身の“新しい価値観”を見いだそうとした。
…失敗😵💧したが。
ようやく、自身で信者を得ようとしたが、遅かった…。
長州のレスラー人生は、『自分の価値を共有してくれる信者を得る』事が“命題”である。
長州は臆病者だ。新しい人間と共通項を見つけないと対等に話せない、関係を結べない男である。
だが、それは我々もそうではないか?
他人が怖い。
他人と対等では話せない。
他人を自分という信者にしたい。
だから、我々は“信者”が欲しいのだ。