先日、霜降り明星の討論番組で、『SNSなどのフェイクニュースをどうするか?』という話題か挙げられていた。
『何故、フェイクニュースは広まるのか?』
という疑問に対し、カリスマ編集者、箕輪厚介が
「フェイクニュースの方が、圧倒的に面白いから…」
と、言っていた。
確かにそ、と思った。
俺はこの箕輪という奴が偉そうであまり好きではないが、確かに言う通りだ。
“フェイクニュースは面白い”。
これは動かし難い事実だと思う。普通のニュースに比べ、刺激的で扇情的で興味深い内容だったりする。
“霜降り明星”で思い出したが、今年、霜降り明星のせいやと、俺たちのアイドル(?)の壇蜜が“交際しているのでは?”という驚愕な芸能ニュースが出た。
全くのフェイクニュースだった(安心😌…)
実際は道で倒れた人がいて、そこにたまたま通りかかったのが、霜降りせいやと、壇蜜だった。
おそらく、どちらかを張っていた週刊誌の記者が(コイツら付き合っていれ!)と思って、“交際か?”と記事にしたのだ。
この時、せいやに突撃取材(確認)した時の週刊誌記者の言葉が気になった。
記者「…あの、これは絶対確実な情報なんですが、壇蜜さんとお付き合いしてますよね?」
せいや「はあ?」
二人が交際しているのは、確実にフェイクニュースだ。
少し調べたら分かるはずだ。
それを何故、記者は「絶対確実」などと言い切るのか?
考えられるのは2つ。
『交際していると、ウラドリもせずに思い込んだ』から。つまり、“見切り発車”だったから、あえて踏み込んだのだ、
もしくは、
『交際している可能性は低かった(もしくは不明)だったが、記事にしたかったから』である。
どちらにしても、そこにあるのは『そっちの方(交際している)方が面白いから』である。
その方が、週刊誌は売れる。
『二人(せいやと壇蜜)が付き合っている』という方が、“フェイク”でも面白いのである。
フェイクニュースが広まってしまうのは、我々が“フェイクニュースに興味や興奮、面白さを感じるからだ。
番組では、『フェイクニュースをいかに減らすか?』という方向になり、キングコング西野の『フェイクニュースより、真実に“付加価値”が付いたら、それは無くなる』という意見が出て、何となく“結論”となっていた。
『フェイクニュースは面白い』
これは事実だと思える。
そして、俺はプロレスの事だと思えた。
何度も繰り返すが、プロレスはショー👯♀️だ。
プロレスの“勝敗”は決められている。体力的な差、格闘技の技量などは関係無い。
何故ならプロレスの“目的”は『観客の興奮』だ。勝敗など関係無い。その闘いを見た観客が興奮し、驚愕し、熱狂させる事が目的だ。
そっち(プロレスの結果)の方が面白いのだ。
つまり、プロレスはそれ自体が“フェイクニュース”だ。
プロレスもフェイクニュースも『面白い』『興奮する』『興味が沸く』のみで成り立っている。
だが、プロレスとフェイクニュースの決定的な違いがある。
プロレスは自分以外の誰かを傷付けない。
フェイクニュースは自分以外(時に含む)を傷付けてしまう。
プロレスの試合で誰が勝とうが負けようが、我々の人生にはあまり影響は無い。
興奮させられたのなら、そこでおしまいだからだ。
熊本地震で『動物園からライオンが逃げた』というフェイクニュースは、近隣の人に大きく関係する。
フェイクなのだから結果としては影響が無いが、生命の危機を感じる人間は必ずいる。真偽がすぐには分からないからだ。
事実が判明するまで、おしまいにならないからだ。
事実が分からないと、フェイクかどうか、判断できない。
プロレスは、観ても観なくても意味が無い。
フェイクニュースは見ると、意味を持ってしまう。
だから厄介だ。
番組でキングコング西野の言っていたように、事実に“付加価値”を付けるのはアリだと思う。
フェイクニュースより、リアル(事実)が面白ければ、誰もフェイクニュースなど見向きもしない。
ではプロレスはどうか?
そのプロレスが減退した時期がある。
2000年代前半。
プロレスは総合格闘技という“リアル”に押されていた。
なぜなら、プロレス(フェイク)より、総合格闘技(リアル)の方が“面白かった”からだ。
1992年にグレイシー柔術に代表される“ヴァーリ・トゥード”が日本に上陸すると、プロレスの見せるフェイクは、総合格闘技が見せてくれる“リアル”より面白く感じられた。
あの時の総合格闘技には、リアルという付加価値があった。
では、フェイクであるプロレスは消えたのか?
プロレスは残っていた。
総合(格闘技)に押されながら、根強いファンに支えられ、生き残り、今再び隆盛を向かえつつ(新日本だけ?)ある。
何故、リアルという付加価値のある総合格闘技は何故、衰退したのか?
様々な要因(“反社”?)があるが、俺はその一因に、リアルの興奮が、プロレスの興奮には勝てなかったからだと思う。
MMAの興奮は『リアルに強い』という付加価値がある。
だが、その付加価値は必ずしも味わえない。
プロレスとは違い、リアルだから必ず毎試合興奮するとは限らない。
“プロレス的”には“ショパイ”試合も必ず出てくる。
プロレスは違う。
プロレスは基本的に観る者を興奮させる為に、試合をする。だから基本的には興奮させてくれる。(…そうじゃない時もあるが)
リアル(MMA)が、プロレス(フェイク)に“負けてしまう”理由は、リアルの付加価値が、“リアル”だからだ。
プロレスには興奮という付加価値がいつも付随している。
これを“情報”に置き換えるなら、フェイクニュースの付加価値はやはり興奮だ。
フェイクニュース防止には、この興奮を低下させるしかない。
それには、どうすれば良いのか?
『動物園からライオン逃げた』を越えるリアルの興奮(付加価値)はなかなか難しい。
不謹慎だが、『動物園は大丈夫です』では興奮しない。
ならば、これしかないのでは?
“リアル”に興奮しない。興味を持たない。驚かない。
月並みだが、その為には『情報をよく確認する』しかないのでは無いか?
『動物園からライオン🦁逃げた!』
↓
(本当か?)
↓
(怪しいなぁ)
↓
『これはフェイクだ!』
…となるのが望ましい。
“情報は疑え”である。
プロレスを見た者はすぐにそれがフェイクだと思う
はずだ。(予想)
プロレスで興奮するには、『プロレスはフェイクだ(と思える)が、それも含めて楽しむ』という“約束”が必要だ。
裏を返せば、『興奮するニュースはフェイクでは?』と疑うべきなのかも知れない。
我々が得る情報を、基本的に全てフェイク(プロレス)と思っていれば、まず確認しようとする。
リアルになかなか興奮という付加価値が付かないのならば、興奮しないそれがリアル(事実)なのだ。