鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

プロレス心理学101 フェイクニュース プロレス付加価値編

先日、霜降り明星の討論番組で、『SNSなどのフェイクニュースをどうするか?』という話題か挙げられていた。

 


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『何故、フェイクニュースは広まるのか?』

という疑問に対し、カリスマ編集者、箕輪厚介が

 

フェイクニュースの方が、圧倒的に面白いから…」

 

と、言っていた。

確かにそ、と思った。

俺はこの箕輪という奴が偉そうであまり好きではないが、確かに言う通りだ。

 

フェイクニュースは面白い”。

これは動かし難い事実だと思う。普通のニュースに比べ、刺激的で扇情的で興味深い内容だったりする。

霜降り明星”で思い出したが、今年、霜降り明星せいやと、俺たちのアイドル(?)の壇蜜が“交際しているのでは?”という驚愕な芸能ニュースが出た。


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全くのフェイクニュースだった(安心😌…)

 

実際は道で倒れた人がいて、そこにたまたま通りかかったのが、霜降せいやと、壇蜜だった。

 

おそらく、どちらかを張っていた週刊誌の記者が(コイツら付き合っていれ!)と思って、“交際か?”と記事にしたのだ。

この時、せいやに突撃取材(確認)した時の週刊誌記者の言葉が気になった。

 

記者「…あの、これは絶対確実な情報なんですが、壇蜜さんとお付き合いしてますよね?」

 

せいや「はあ?」

 

二人が交際しているのは、確実にフェイクニュースだ。

少し調べたら分かるはずだ。

それを何故、記者は「絶対確実」などと言い切るのか? 

 

考えられるのは2つ。

 

『交際していると、ウラドリもせずに思い込んだ』から。つまり、“見切り発車”だったから、あえて踏み込んだのだ、

 

もしくは、

『交際している可能性は低かった(もしくは不明)だったが、記事にしたかったから』である。

 

どちらにしても、そこにあるのは『そっちの方(交際している)方が面白いから』である。

その方が、週刊誌は売れる。

『二人(せいや壇蜜)が付き合っている』という方が、“フェイク”でも面白いのである。

 

フェイクニュースが広まってしまうのは、我々が“フェイクニュースに興味や興奮、面白さを感じるからだ。

 

番組では、『フェイクニュースをいかに減らすか?』という方向になり、キングコング西野の『フェイクニュースより、真実に“付加価値”が付いたら、それは無くなる』という意見が出て、何となく“結論”となっていた。

 

フェイクニュースは面白い』

 

これは事実だと思える。

そして、俺はプロレスの事だと思えた。


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何度も繰り返すが、プロレスはショー👯‍♀️だ。

プロレスの“勝敗”は決められている。体力的な差、格闘技の技量などは関係無い。

何故ならプロレスの“目的”は『観客の興奮』だ。勝敗など関係無い。その闘いを見た観客が興奮し、驚愕し、熱狂させる事が目的だ。

そっち(プロレスの結果)の方が面白いのだ。

 

つまり、プロレスはそれ自体が“フェイクニュース”だ。

プロレスもフェイクニュースも『面白い』『興奮する』『興味が沸く』のみで成り立っている。

 

だが、プロレスとフェイクニュースの決定的な違いがある。 

プロレスは自分以外の誰かを傷付けない。

フェイクニュースは自分以外(時に含む)を傷付けてしまう。

 

プロレスの試合で誰が勝とうが負けようが、我々の人生にはあまり影響は無い。

興奮させられたのなら、そこでおしまいだからだ。

 

熊本地震で『動物園からライオンが逃げた』というフェイクニュースは、近隣の人に大きく関係する。

フェイクなのだから結果としては影響が無いが、生命の危機を感じる人間は必ずいる。真偽がすぐには分からないからだ。

事実が判明するまで、おしまいにならないからだ。

事実が分からないと、フェイクかどうか、判断できない。

 

プロレスは、観ても観なくても意味が無い。

フェイクニュースは見ると、意味を持ってしまう。

 

だから厄介だ。

番組でキングコング西野の言っていたように、事実に“付加価値”を付けるのはアリだと思う。

フェイクニュースより、リアル(事実)が面白ければ、誰もフェイクニュースなど見向きもしない。

 

ではプロレスはどうか?

 

そのプロレスが減退した時期がある。

2000年代前半。

プロレスは総合格闘技という“リアル”に押されていた。


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なぜなら、プロレス(フェイク)より、総合格闘技(リアル)の方が“面白かった”からだ。

1992年にグレイシー柔術に代表される“ヴァーリ・トゥード”が日本に上陸すると、プロレスの見せるフェイクは、総合格闘技が見せてくれる“リアル”より面白く感じられた。

 

あの時の総合格闘技には、リアルという付加価値があった。

 

では、フェイクであるプロレスは消えたのか?


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プロレスは残っていた。

総合(格闘技)に押されながら、根強いファンに支えられ、生き残り、今再び隆盛を向かえつつ(新日本だけ?)ある。

 

代わりに、総合格闘技(=MMA)は廃れて行った。

 

何故、リアルという付加価値のある総合格闘技は何故、衰退したのか?

 

様々な要因(“反社”?)があるが、俺はその一因に、リアルの興奮が、プロレスの興奮には勝てなかったからだと思う。

MMAの興奮は『リアルに強い』という付加価値がある。

だが、その付加価値は必ずしも味わえない。

プロレスとは違い、リアルだから必ず毎試合興奮するとは限らない。

“プロレス的”には“ショパイ”試合も必ず出てくる。


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プロレスは違う。

プロレスは基本的に観る者を興奮させる為に、試合をする。だから基本的には興奮させてくれる。(…そうじゃない時もあるが)

 

リアル(MMA)が、プロレス(フェイク)に“負けてしまう”理由は、リアルの付加価値が、“リアル”だからだ。

プロレスには興奮という付加価値がいつも付随している。

 

これを“情報”に置き換えるなら、フェイクニュースの付加価値はやはり興奮だ。

フェイクニュース防止には、この興奮を低下させるしかない。

 

それには、どうすれば良いのか?

 

『動物園からライオン逃げた』を越えるリアルの興奮(付加価値)はなかなか難しい。

不謹慎だが、『動物園は大丈夫です』では興奮しない。

 

ならば、これしかないのでは?

 

“リアル”に興奮しない。興味を持たない。驚かない。

 

月並みだが、その為には『情報をよく確認する』しかないのでは無いか?

『動物園からライオン🦁逃げた!』

(本当か?)

(怪しいなぁ)

『これはフェイクだ!』

 

…となるのが望ましい。

“情報は疑え”である。

プロレスを見た者はすぐにそれがフェイクだと思う

はずだ。(予想)

プロレスで興奮するには、『プロレスはフェイクだ(と思える)が、それも含めて楽しむ』という“約束”が必要だ。

 

裏を返せば、『興奮するニュースはフェイクでは?』と疑うべきなのかも知れない。

 

我々が得る情報を、基本的に全てフェイク(プロレス)と思っていれば、まず確認しようとする。

 

リアルになかなか興奮という付加価値が付かないのならば、興奮しないそれがリアル(事実)なのだ