鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

プロレス心理学81 花粉症🌁😷ならば

雨が嫌いな"例の"友人と口論になった事がある。(度々)

花粉症についてだ。

俺はかなり重度の花粉症患者になる。
毎年この時期はかなり苦しい。
朝から目は開かない。鼻水はダラダラと流れ出し、何を食べても味が薄く感じる。鼻炎薬は必須だ。

対して、この友人は花粉症にならない。

からしたら、"羨ましい"話なのだが、ある日、俺がマスク😷をして現れたら、

まず、「それは風邪ではないか?」と疑う。
確かにこの時期、天候が変わり体調を崩しやすい。風邪という可能性はある。

だが、それも毎年だとさすがに花粉症である。

俺が「今年も花粉症だな…」と言おうものならキレ出した。

「何で花粉症にかかるんだ!」
「花粉症なんかになるなよ!」

何でそんなに怒る?

友人からすると、またもや「花粉症はズルい」らしい。

彼いわく…。
「俺は花粉症ではない。だから、花粉症が分からない」

「だが、みんな花粉症になる。花粉症にならない俺(友人)にはそれが分からない」

「この時期になると、皆、一斉にマスク😷をし出し、会話もままならなくなる」

「遊びに誘っても、花粉症を理由に断る」

「それが頭に来る。俺の分からない理由で断るのは、何だ!」

「だから、花粉症はズルい!」となる。

…全くもって理解出来なかった。
ただ彼が花粉症に対して異様に怒っていた。

そんな友人の気持ちが理解できるのは、地元に戻り、出版社で働いていた時の事だ。

俺の職場には"花粉症患者"がいた。
例の"パワハラ"部長は花粉症にならない。

俺などがこの時期"グシュグシュ"やっていると、この馬鹿はやはり、怒り出す。

「何で鈴木君は花粉症なんかになるんだ!💢」
「それ、風邪だろ?」

(何で花粉症にならない人って、こんなに怒るの?)

意味が分からず、俺は上司なので笑って誤魔化していた。

そんな部長がある日、おかしな事を言い出した。

「あれ? 今年、俺も何か鼻がおかしいなぁ…。花粉症かな」

などと言い出したのだ。

明らかに嘘だ。どう見ても部長は花粉症では無い。
何故、花粉症の"フリ"をするのか?

そこにあるのは、『他人と自分は同じであり、他人と自分は変わらないはずだ』という『自己ユーティリティ』だ。

花粉症患者である俺からしたら、花粉症などならない方が良いに決まっている。

だが、花粉症にならない人間からしたらどうだろう?

天候が温暖になって来て、過ごし易くなって来た。
何かと活動的になる時期だ。
だが、友人や部下を見るといつも苦しそう。鼻水はダラダラ。声は鼻声。

話し掛けても苦しそう。

しかし、自分は花粉症ではない。
花粉症の気持ちが分からない。その苦しさを体感出来ない。

これは辛い。
自分と周りは"同じ"である(自己ユーティリティ)なのに、"同じ"感覚になれないのだ。

花粉症にならないにとって、花粉症の人間は、『花粉症である』という状態は自らを否定するような事であり、それだけで自分が間違っているように感じでいたのだ。

これは心理学でいうなら、『共感依存』だ。

他人と同じ感覚を感じていないと、他人と関われないような気がして、他人と共感する事を欲する。"依存"したがるのだ。

他人と共感する事で、他人と関われるのだ。
『花粉症ではない』というのは、他者との関わりを否定するものであり、共感を拒絶された事に等しい。

何故、自分がそんな酷い扱いを受けなくてはいけないのか?

他人と"ユーティリティ"でなければならないのに、それが出来ない。
そして、それは花粉症にならない自分の"責任"であるという。

そんな話など受け入れられるわけがない。

だから、"彼ら"は怒ったのだ。

花粉症にならない人間には、"なれない"辛さがあるのだ。

怒った彼らは、他人に"寄り添おう"とする"優しい人間"と言える。

そこに"プロレス"がないだろうか?

プロレスは"作られたショー"👯だ。
プロレスラーが我々と共感できるのは、言うまでもなく興奮(ヒート)だ。

興奮させる為にレスラーは闘い、興奮するために観客(我々)は、レスラーの見せる試合(ショー)を観る。

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共感(興奮)したい、と『何で花粉症になるんだ?』は似ている。

『他人は自分と同じである』という絶対に越えられない境界にいる限り、花粉症にならない"自己"は他人と共感しえない。他人と興奮を共感できない。

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他人より『劣っている』(そんな事ないのだが…)とさえ思ってしまう。

完全な"思い込み"なのだが、自己を肯定したい人間からしたら、他人と共感出来ない事は何より辛い。
しかも、その理由はどうも自分らしい。

これが、頭に来る💢のだろう?

花粉症は、花粉症にならない人間も大変なのだ。
花粉症にキレる友人…。
花粉症のフリをする部長…。

『他人と自分は平等。だから頭に来る』
そして、『他人と自分は平等。だなら他人の感じる事を感じられないのが頭に来る』

共感出来ないと、友人ではないし、上司ではない。

その中で彼らが編み出したのが、"風邪薬"を渡したり、"花粉症のフリ"なのだ。

なんて、悲しく情けない人間なのだ。
そうでないといけない、という悲しい思い込み。

それは激しく間違っている(と思う)

"自己ユーティリティ"は人間に思い込みを誘うのだ。

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ちなみに、俺は今年の花粉症が例年になく軽い。
いつもなら鼻炎薬のお世話になっているのだが、今年はまだ服用していない。

鼻炎薬があまり好きではない俺としては、とても嬉しい。