鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

そろそろ…。

最近、YouTubeをよく観るようになった。

 

その動画の中で元教師が児童教育を伝える動画が気になった。

 

『過干渉な親に育てられた子供は恋愛依存体質になり、無気力になりやすい』

 

…と解説するのだが、初めは意味が分からなかった。

 

というのも、俺自身の両親は過干渉だった気がしたからだ。

 

だが、俺は恋愛依存でもないし、無気力でもない(と思う)

 

何故、親が過干渉だと恋愛依存になり、無気力になるのか?

過干渉とは『子供の望んでない事をし過ぎる』ということらしい。

親から“求められ続ける”為、親からの愛情を感じないし、受け取られない。

だから、愛情を他の人間に求める。

なので恋愛依存になるという。

 

さらに、過干渉は子供に必要以上に『あーしなさい』『これが良い』と指図する。

すると、『何でも親が決めてくれる』と思うようになり、自分で目標や目的を決められなくなる。

目標や目的が無いから、日々をやり抜く気持ちがなくなる。無気力になる、というわけだ。

 

ここまで聞くと少し分かる気もする。

 

…という事は、俺は過干渉に育てられたわけでは無い、と言えるのでは?

 

俺は恋愛している対象に夢中になった事は今まで一度も無い。そこそこの距離感があった、と思う。

恋愛に依存しているとは思えない。

 

また、こんな俺にも目標や目的はある。

もっと稼いで、散々迷惑をかけた両親や家族には良い思いをさせたい。

また、もう誰かの命令で仕事したりするは嫌だ。するにしても自分の気持ちを“損なう”ような仕事はしたくない。金は稼ぎたいが、自分自身を“失ってまで”はしたくない。

そう思うのなら、無気力ではないのでは?

 

他人に干渉するのはしにくい。

それは家族でも、と思う。

子供の望んでない事をするのが、愛情ではない。

子供の望んでいる事をし過ぎるのも愛情ではない気がする。

 

俺は両親に迷惑しか掛けていない気がする。

それなのに『干渉して欲しくないな』と思う事は度々ある。

一緒に住んでいるのだから、当たり前かも?

 

恋愛依存でもなく、無気力でもないなら、俺は干渉“されない”生き方をすべきだ。

気力があるなら、そう生きるしかない。

(…もう42)

 

…俺はそろそろだ、と思っている。