今、非常に忙しい。
先週までゴリゴリにキレながら働いていたりしたが、もうそんな“余裕”も無くなってきた。
改めて思うが、“怒り💢”とは余裕がないと沸かないものだ。
ブラック企業に勤めていた新社会人時代…。
怒るよりも日々の労働に四苦八苦し、仕事帰りに一人でファミレスで飯を食べていると、上司やバイトへの怒りがこみ上がってきたりした。
つまり、怒り💢とは余裕の現れかもしれない。
怒るうちは、まだ怒る余裕があるのだ。
少し穿った言い方をすれば、怒る“間”さえ与えずに働かされていたのかも?
そんなことを今日話をした人と思った。
そんな事を思い出した帰りの赤電。
明日は“仕事”だ。