鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

2023 2/17 総額20兆円令和版「徳川埋蔵金」を探せ!!

総額20兆円が眠っている!? 令和版「徳川埋蔵金」を探せ!!(週プレNEWS) https://news.yahoo.co.jp/articles/70f4d3209fd52421cf44fdb236a1440393a10909

 

この話、個人的だが、可能性はゼロでは無い、とは思う。

 

俺の聞いた話は、『新政府軍が来る直前、仙台藩の船に乗せられ運び出そとしたが、東京湾で沈んだ』である。

 

仙台藩船輸送の話は他でも聞いた。

出港したのは確実らしい。

 

そして、新政府軍が来るかなり直前(確か、3ヶ月前)に小栗が罷免(勘定奉行)され、『果たして大量の小判などを持ち出せたのか?』、『そもそもそんな小判が城内にあったのか?』という否定的な疑問があるのも事実。

『400万両』と言えば、千両箱4000個と言う途方もない数になる。

持ち出されるものか?

 

ならば、やはり船輸送?

埋蔵金💰️は東京湾のどこか(三浦半島沖?)にあるのかな?、とも思う

 

だが、そんな都合良く東京湾沖に眠っているのか?、とも思う。

 

でも、昔のテレビ番組みたく赤城山(群馬?)はもうなぁ…。

 

となると、この片品村埋蔵説は面白いな。

もし大量の小判があるとしたら、隅田川を搬送経路して選択したのは、あり得る話と思える。

 

この八重野氏の話は本当か?

 

埋蔵金💰️があろうか、なかろうが、こうして考察するのが面白い。

しかも、少しだけリアル。

 

【後日に書いた続き(考察)】

 

15代将軍慶喜は、就任して2度の軍制改革をしている。

その2回目は資金💴をが足りず、改革指導を依頼したフランスに借款をして、担保として蝦夷(北海道)の借地権を示していた。

幕府軍が最後に五稜郭(函館)に籠り、それが独立国と承認されたのは、このせいか?

 

幕府にお金(埋蔵金💰️)があるなら、借款などするか?

 

しかし、慶喜は京都にいて当時江戸にはいない。そして、勘定方の小栗と慶喜の仲はよろしくない。

 

もしも小栗が“嫌な上司”(慶喜)から「幕府の軍体制をフランス様式に改めるゆえ、資金を揃えよ」と言われたら?

そして、当時の江戸にそこまでの資金がなかったら?

さらに、小栗自身は慶喜には微塵も信頼を置いてはいなかったが、幕臣として徳川の継続を望んでいた?

 

この3つの点から、江戸城内に既に資金はほぼなく、勘定奉行の小栗は慶喜には「資金がござらぬので仏国には借款を申し入れましょう」と提案し、その裏で残存していた僅かなお金(埋蔵金)を、“分散”させたのではないか?

その一部が例の仙台藩船であり、他にと数ヶ所へ散らばらせた。そして一部を自身の罷免とちっ去に合わせて、上州方面(群馬県館林)に移動させたのではないか?

 

これならあり得そうな気がする。

 

テレビでは赤城山を散々掘り返していたが、幕末の時期にあんな大規模な土木工事ができたとは思えないし、していれば噂になる。(確か、かなり下の方から木片が出てきたような記憶がある)

 

記事のように、赤城山だけでなく、群馬県北部一帯に散らばらせたのではないか?

 

でも、元から金山跡の坑道があった片品村は最適な場所だった…、というのは無理な想像ではなくないか?

 

そして、その埋蔵金は…、

そして、左奥の立て坑をのぞくと中に水がたまっていて、腐った木のようなものも見えました。日を改めて立て坑の水を抜き、底に下りていくと......そこには、仲間の遺骨も千両箱もありませんでした。

既に奪われていたのだ。