:約2ヶ月ぶり(前は2022,7,12=仕事論)のプロレス心理学だ。
この2ヶ月、コロナ感性や、仕事探し、親父の緊急入院などがあり、全くプロレスの深い話を書けなかった。
しかし、昨日、『アントニオ猪木死去』の報に大きく動揺した。
前の記事で、『アントニオ猪木は“惑星🪐”である』と書いた。
昨夜、猪木の『最期の言葉』をYouTubeで見た。
10分ほどの動画だが、物凄く意外な言葉が聞けた。
「欲も何も全く無いんだから、俺」
俺の知るアントニオ猪木とは欲だらけの男だった。
俺が猪木氏を詳しく知った時は、“引退ロード”に入っていた。
“猪木信者”には申し訳ないが、やはり俺からすると、『過去の人』であった。
偉大で、プロレスに市民権を与え、異種格闘技戦で最強を誇ったレスラー、モハメド・アリと戦った日本人、UWFの旗揚げの遠因になった人…。
そして、いろんな書籍などを後から読むと、正直、人間性を疑う話も多かった。
“欲まみれ”、“我田引水”の人と言って良いかも。
それが「欲が全く無い」!?
そんな馬鹿な(笑)
アントニオ猪木は引退の時(1998.4.4)の時に言った。
「人は歩みを止めたときに、そして挑戦を諦めた時に、年老いていく」
“歩み”や“挑戦”の根幹は何か。
それは欲に他ならないだろう。
お金、地位、名声、女、栄光…。
それをどん欲に欲して動き回っていたのが、アントニオ猪木だろう。
俺はそう思う。
その猪木が「…欲がない」という
。
当たり前かもしれない。
猪木は、ここまで年老いて、寿命が尽きかけているのだから…。
人は欲があるから生きていける。
欲するから、手に入れるまで生きるのである。
どん欲に、実直に、執拗に追い求める事が“生きる”事であり、人間だ。
アントニオ猪木はそれを体現したような生き方をしてきた、と思う。
アントニオ猪木には“ハプニング”(トラブル)が付き物だった。
日プロ追放…。
アントンハイセル…。
IWGP舌出し事件…。
猪木ボンバイエ
借金💴
それを「元気ですかっー!」で誤魔化してなかったか。
そのハプニングは、猪木が“生きているから”巻き起こるのかもしれない。
猪木の欲がハプニング(トラブル)を産んだ、とも言える。
その猪木が「欲がない」という。そんな馬鹿な。
その猪木の“今”の希望は「世界の環境問題」らしい。
…何か、アントンハイセル(バイオマス燃料)にまた手をだそうとしてないか?
やはり、猪木は猪木だ。
「欲がない」わけがない。
猪木の今の欲はこれだ。安心した。
「人は歩みを止めたときに、そして挑戦を諦めた時に、年老いていく」
やはりこれだ。
これを言い換えたら、「人は欲を失ったら、死ぬ」ではないか?
そうでなくとも、人は亡くなってしまう。
ならば、欲を持つべきだ。
猪木が言うには、プロレスとは、
『闘いを通じて、己の魂を磨いていく事』らしい。
その魂はどす黒い欲の塊に他ならない。
それを燃やして、魂を磨いて(削って?)、猪木は生きていた。
「人生、一寸先はハプニング」であるなら、アントニオ猪木の人生はハプニングしかなく、それに対して“闘魂(欲?)を燃やしていた”のか。
そう思うと、今生きている我々も欲を持つしかない。
それがあるから、生きていける。
「馬鹿になれ!」と猪木はよく言った。
馬鹿は危ぶまない。
馬鹿は躊躇しない。
馬鹿は迷わない。
アントニオ猪木は、そんな馬鹿であり、同じような馬鹿(信者?)を熱狂させた。
この道を行けば、どうなるものか。
危ぶむなかれ、危ぶめば道は無し。
踏み出せば、その一足が道となり、
その一足が道となる。
迷わず行けよ、行けばわかるさ。
引退の時の、この詩の意味がまた違って聞こえないか?
これは他者への応援とか、道標ではなく、“魂(欲)の燃焼”してきた己を見せたのではないか。
アントニオ猪木は、存在そのものが“欲”である。