以前、『何だ、コレ? ミステリー』で、
幕末の江戸幕府の財務管理をしていた小栗上野介の事が特殊されていた。
小栗上野介忠順は、
幕末の江戸幕府において、唯一と言っていいほど“頭がキレた官僚”である。
小栗は、
日米修好通商条約(1858)などで、当時の日本通貨(両)と米通貨(ドル)の等価設計の時に…、
世界の金レートが分からない江戸幕府の官僚らは、
アメリカの口車に乗り、小判を低いレート価値で設定した。
…確か、当時の江戸(東京)は“銀本位制”、大阪(西日本)が“金本位制”だったかな?
つまり、諸外国は通常より安いレートで、小判と外貨を交換しまくり、他で換金すれば相当儲かっていた。
しかと、アメリカ側は江戸幕府の官僚を舐めており、アメリカ貨幣(金貨)をわざと悪質して交換するという、非常にズル賢い貨幣換金をしていた。
アメリカに渡った小栗は、
この“不均等”を主張し、是正した。
なかなかの交渉ぶりだ。
当時、こんな事が出来る幕府官僚は彼以外いなかった(…と思う)
…とここまでは、番組内でも紹介された有名な話。
しかし、この後に小栗は大きなミスをする。
万永元年(1860年=桜田門外の変の前年)の貨幣“改悪”である。
対外国との金交換で、外貨💴が急速に国内に流入。
通商条約を結んだとはいえ、いきなり諸外国と商売しだからない日本の商人は、幕府に外貨の“買い取り”を願い出た。
小判(金)の発行を管理する幕府は、この“換金”で大量の小判(金)が必要になり、勘定奉行(現在でいう財務大臣)の小栗は、貨幣を“改悪”(1→1/6へ)した。
小栗の考えでは、これで大量に流入する外貨を集め、国内には今まで通り日本通貨(小判)を流し、幕府は集めた外貨で、外国からの技術や工業、軍事品を輸入しようとした、と思われる。
外国のとの“金レート”は是正したので、諸外国への金流出は収まると踏んでいたのかも?
しかし、改悪したことで、国内でインフラが加速、物価の高騰を招き、しかも、“改定”した小判は、幕府⇔商人間で広がり、庶民には回らない。
庶民はただただ物価が上がった(幕末の狂乱物価)だけ。
これで、小栗は幕府内の信任を失った。
さらに、この失策が明治維新に繋がった(と俺は思っている)
ようするに、江戸幕府が庶民から信用が失くなり、(…こんな幕府など)となったのでは?
で、小栗は江戸を離れ、
すぐに討幕軍(新政府軍)により処刑された…。
よく小栗が江戸城退去前に城内にあった幕府の軍資金を“持ち出した”という“徳川埋蔵金”がいわれているが?
いくら幕府官僚が低能でも、城から大量の小判がも散らされた事を小栗に咎めないだろうか?
小栗はどうやって大量の小判(たぶん千両箱5箱以上…)を持ち出したのか?
それは可能か?
俺は江戸城内には元来“埋蔵金👛”は無かったか、他の誰か(誰?)が持ち出したと思っている。