2月に入った。
少しだが、“状況”が代わりつつある。
“手詰まり感”もあった再(×3)就職の方もすこしだが、“先”がみえてきたか?
…と言いつつ、先月は“絶たれたり”したから安心は禁物。“アイツ”もまだ信頼できんしな。俺は全てを疑っている😏
もうすぐ、何かが変わるか?
そんな中…。
市民文芸68集、掲載決定。
しかも、市民文芸賞。
今回(都合)は“外国人労働者”と“丸請け”の話。“本線”の9-1“野合”もどうぞ?
報道ステーションにサッカーのカズが出ていた。
驚いた事にポルトガルリーグ⚽(2部)に移籍するらしい。
55歳である。
(ちなみに、その話を持ってきたのは、俺もよく知る会社の方らしい…。ほら、“あの水色の会社”だな?)
その歳で現役なのは本当にスゴい、と思う。
俺が子供の頃から、三浦知良はずっとサッカー選手だ。キング👑だ。
ゴールは見なくなった…。
足も遅くなった…。
息子はMMAファイター?
そして、今は、もう完全に“客寄せパンダ”だが、
インタビュアーの松岡修造にそれを指摘されても、「それで良い」「僕はサッカーするだけ」「認めている」と答えていた。
本人もそれはわかっている。
分かった上で、現役をしている。こだわっている。
プロであり、サッカー選手だからだ。
俺はこれにイラッ💢と来る。
俺はこのカズ(のスタンス)が、あまり好きではない。
カズほどのスター選手には実績があり、職業(サッカー選手)への矜持があり、それから見ると三浦知良は“永遠のサッカー小僧”とか“サッカーに真摯な態度のベテラン”となるが、
それは、単なる“開き直り”ではないのか?
要するに「俺、もう昔みたく動けないけど、サッカー好きだから“現役”している。…悪い?」「サッカーが好きだから、オファーがあればやるよ。…悪い?」に聞こえるのだ。
どんな批判もこんな感じで“受け止める”(ように見える)姿が、俺には汚く見えて仕方ない。
「あー、俺はもう“爺さん”だよ、分かっているらよ」
「ごめん、ごめん🙏 …でも、やるから」
「だって、“オファー”あったからさー」
どんな批判や非難も「俺は“カズ”だから…」「俺はサッカーがしたいだけだから」などと開き直りで押し通す(ように見える)。
“老害”とは言いたくないが、この“老人の開き直り”がかなり格好悪く見える。
というか、認めたくない💢💢💢
ま、それだけ(現役続行出来るだけ)の実績とスター性があるのだから、俺などが頭に来ても仕方ないのたが、こう開き直られたら、もう“何でもあり”だろ?
それは、“涙💧のカリスマ”、大仁田と同じだ。
何か批判さるたり、文句を言われたら、すぐに『ならプロレスしろ!』『リングに上がれ!』と言い出すアイツと同じようなものに感じる。
何度か書いているが、俺は大仁田を(…スゴいな)とか(…プロフェッショナルだな)と認めながら、あまり好きになれない。
大仁田が、“全て”において、『プロレス』に繋げてくるからだ。
非常にやり方が汚なく、ズルく感じる。
“ある意味賢い”と言え、“プロフェッショナル”、“矜持(プライド)がある”とも言えなくとないが、もうそれは悲しささえも感じる。(俺は)
大仁田の批判に対する反論方法は…、
『もうこっち来るな💢』→『よし、ならば、プロレスだ!』
『金返せ!💢』→『なら、俺をリングに上げろ。プロレスしよう!』
『お前はゲテモノだ!』→『分かった。なら、プロレスだ!』
全て“自分”との“プロレス”に繋げてくる。
これを言い出すと、何でもありなる。
開き直って、プロレスをしかけてくる。
これがカズになると?
『もう“あの頃の遺産”で食うな』→『“カズ”だから。サッカー好きだから』
『ロートルが💢』→『でも、“カズ”だから。サッカーが好きなんだ』
『お前はもう“客寄せ”だろ?』→『いいよ。カズたから、それでもサッカー好きなんだ』
こうした風に“開き直られる”と、もう何でもアリだ。
だが、これはウザくない?
何を言っても、開き直り、己を肯定してくる。
格好悪くても、惨めでも、『それが俺だ!(ワシじゃ!)』になる。「自分はこれ(プロレス・サッカー)しかできないんで…」で押し通そうとする。
批判も非難も、反論も否定も、全て「…そうだけど、それが“自分”」と開き直る💢
イライラ💥してくる。
だが、そういう声もまた「…いいよ。俺(ワシ)はこれ(サッカー・プロレス)しかないのだから(笑)」なんて言いそうだなぁ。
だから、こうした“それなりの実績があり”、“開き直る人間”に関わってはダメだ。
俺は大仁田が好きになれないが、プロレスラーとしてはかなり認めている。
日本マットのデスマッチを開拓したのは間違いなく、彼だ。
誰も思い付かない“電流爆発”💥や各種凶器、流血🩸からの“涙💧”
“大仁田劇場”は馬鹿らしいが、そこに惹かれるファンも多い。
残念ながら、唯一無二のレスラーだ。
だから、大仁田はとんでもなく“プロレスが上手い”。
他人を自分のペースに引きずり込むのが抜群に上手い。
プロレスを分かっている。
プロレスラーはただ強いだけではダメだ。観客を“興奮”(ヒート)🔥させ、“狂わせる”😆させなくてはなるない。肉体的、技術的な“強さ”などそんなに要らない。
大仁田はそれが出来る。
だから、人(観客)を熱狂させている。
まさに大きくは“天性のプロレスラー”だ。
彼を批判したレスラーが、対戦後、認めるような発言をするのも分かる。
アントニオ猪木が大仁田を「ゲテモノ」と言ったのも頷ける。自分並みに“惹き付ける”からだ。
カズもそうなのだろうな。
否定、批判、非難もすべて「“カズ”だから…」で済ませる。
事実、あの歳で海外挑戦する、という。
それが出来るのは、また“カズだから”である。
こうした人間らとは関わってはいけないと、俺は思う。
こういう“方々”を『メンタルモンスター』っていうのだな。
「プロレス」「サッカー」と“言い続け”、“やり続け”たら、何も“受け付けなく”なる。
遠くから見ている分には構わない。
直接、関わると、“巻き込んでくる”。
そして開き直る。「それが“俺”だ!」と言ってしまえば、実績もあるから、「そうだな」としか言えなくなる。“我慢”、“忍耐”の賜物だ。そこまで“行ききる”強みだ。
もう、この人たちは、どうしようもないのだ。止められない。
全てにおいて「サッカー⚽が好きだ」「ワシはプロレスラーじゃ💧」で押し通すのだから、何を批判しようが、賛同しようが関係ない。。大仁田などはそれを“商売”に使っていやがる。
そして、それは現象だ。
55歳のカズにオファーがあるのは、彼がまだサッカー選手だからだ。“特別”だからだ。これは真実。
馬鹿馬鹿しいし、俺にはカッコ悪るくみえるが、それが事実だ。
だからだ。
こういう“行ききっている”人間には、何を言っても無駄だ。
もう関わらない方が無難。
遠くから眺めるのが一番だ。
大仁田“サン”はデスマッチで、そしてカズ“選手”はサッカーで頑張ってください(笑)😃
そう言うしかなくなるのだ。
俺が派遣という働き方をし始めたのは、もうだいぶ前。
2005年辺りだ。
俺は大学卒業直後に入った“ブラック企業”でボロボロになり、地元浜松に戻っていた。
で本屋などでバイトしながら、再就職先を探していた。
その頃、テレビなどで『日雇い派遣』という言葉をよく聞くようになっていた。CMなんかでも流れていた記憶がある。
「簡単1日バイトでお金を貯めよう♪」
そんなキャッチーな言葉が流れていた気がする。
俺は“日雇い”と聞くと、『キツい肉体労働』というイメージがあり、さらに再就職への焦りから、(…俺には辞めとこう)と思っていた。
しかし、金💴は無い。
不足分の“足し”として、補助的な気持ちで登録をした。
俺は週4日でバイトを2つ掛け持ちし、さらにその派遣会社に登録し、1日限りの日雇いを開始した。
今は亡きグッ○ウィルである。
この時は“派遣”での仕事は月に数度。“急な出費への対応”といった感じだった。メインはアルバイトと再就職であり、正社員採用を狙っていた。
やがて、新しい仕事(求人誌編集)が決まった(2006年あたり)が、始めはアルバイト採用だったので、金の足しに日雇い派遣を継続した。
その後、していない期間もあったが、いつの間にか派遣(契約)で働くようになり、“日雇い派遣”がメインという時期もあった。
登録している派遣会社も一社以上になっていく。
派遣先は、飲食店から引っ越し、イベントの手伝いと多岐にわたっている。
振り替えると…、
開始当初“期”
ヤ○ハ工場
スーパー手伝い
求人誌編集“期”
中区・袋井の倉庫
ピサ、寿司の宅配
スーパーの品出し
飲食店
“無職放浪期”
家電宅配
荷物運び
イベント手伝い
試験官
大病“後”
南区の精密工場
倉庫でのピッキング
研究室補助
スーパーの品出し
三方原の工場
病院清掃
…と、こんなところかな?
(ちなみに、俺の“合シリーズ”は、上の“大病後”には、相当する…)
この他にも単なるバイトとして働いていた仕事もあるし、他のバイトとの掛け持ちも多い。最後(?)の病気清掃など完全に“メイン”だった。
全く派遣をしていなかった時期もある。市役所の臨時職員で凌いでいた時期もある。
某年金機構のアシスタント職員も“非正規”という枠組みからしたら、同じようなものか?
“日雇い派遣”をよくしていたのは、“無職放浪期”が1番かな?
この“派遣録”では、その頃も含め、派遣の現場で起こった事や出会った思い出深い人を書いていこうと思う。
開始した直後は、書いたように『あくまで、足りない時の“足し”』程度でしかなく、派遣先も「あるなら、どこでも行くよ」というスタンスだった。
2001~2007年は“日雇い派遣全盛期”であり、仕事が非常に多く、俺の携帯にはしょっちゅう派遣会社(グッド○ィル)から仕事の連絡が来ていた。
あまり積極的ではなかった俺は、「他にバイトありますから」と断る事が多かった。
この“バブル”感は次に働く“求人誌”でかなり実感するのだが、この時は(…ま、金無いし、少し働くか?)という軽いノリだった。
働き出すと、まず感じたのは作業のキツさだった。
肉体的、精神的に大変な現場が多かった。
俺が最初に派遣されたのは、ヤマ○の外装部費を作る工場の夜勤だった。
そこそこ大変だった。
次が、袋井のスーパー(ディスカウントショップ?)であり、ぐちゃぐちゃ文句を言ってくる店員のBBAと揉めたりした。
だが、前職のブラック企業での経験から、体力的、精神的なキツさには慣れていた。若かったこともあり、また月に4日ほどしか、“日雇い”として稼働していなかった俺には、そんなに苦痛がなかった。
それに、である。
俺は何となく思っていた。
日雇い派遣の人間を、そうした現場に派遣させる派遣会社の人間…。
そして、現場で働く人間…。
派遣に携わる“派遣以外”の人間の悲哀もそれなりに理解してしまっていた。
工場で怒鳴り散らす社員。
頭に来る💢が、彼もまた会社側からプレッシャーを与えられているのが、わかった。俺がそうだったからだ。
スーパーで威張り回るオバサン(BBA)社員。
怒られ、揉めたが、彼女はここでしか“生けない悲しい”人種であり、自分の“テリトリー”を守るのに必死だった。
俺もそうだし、ブラック企業にはそんなバカがよくいた。そして、そんな“小さなグループのリーダー”をその後に山程見る事になる。
俺が感じたのは、“ハケン”という人間への“扱いの悪さ”だ。
とにかく“非正規”というだけで、下に見てくる奴等が多い。
ある種の“作業”ではないのか?
世間では“同一賃金”や“同等の権利”と叫ばれているが、現場では派遣など(特に日雇い)、使い捨てでしかない。
嫌がったり、俺のように反抗しようものなら「じゃ、来るな💢」の一言だ。
それが社会人の態度か!?
そう思える奴等ばかりだった。
だが、それも組織や「仕事だから」の言葉で抑えられたり、“消されたり”する。
またいちいち“機械”に遠慮などしていたら、仕事などできないし、利益も生まない。
改めて、(これが世間か…)とも思ったし、(こんなもんかな?)とも思った。
そして、こうした状態(派遣)で働く意志のなかった俺は、メインにしていたバイトに勤しみ、まさか後年(そして40を越えて…)、派遣メインで働くとは思っていなかった。
月収13万円でも貯金200万円、実家暮らしを満喫する40代“子供部屋おじさん”のリアル(週刊SPA!) https://news.yahoo.co.jp/articles/171003634842c66d50315b613dbe88e1ab9660d1
昨日、実家で母親と口論になった。
というのも、母は最近は俺にチラチラと“自宅への帰還”を促してくるのだ。
おそらくだが、父の体調が悪く、不安を感じているようだ。
俺が去年、独り暮らしを始める前、母親(と父)は散々「アンタが独り暮らしなどムリムリ…」と小馬鹿にしていた。
頭に来ていたが、実際40を過ぎて実家に“寄生”していたのだから、反論できない。
で、独り暮らし開始。
新型コロナ感染など、トラブルがあったが、どうにか生活できていて、今は再(々々々)就職中だ。
で、母親 自身や息子(俺)の事が不安になり、帰還を願っている、というわけだ。
人をバカにした話だ。散々小馬鹿にしといて、条件が変われば、「一緒に暮らしたい」などと言い出す(というか、匂わす…)
恥ずかしくないのか?
その一方、少し両親が可哀想に思えていた。
やはり両親が心配だ。
特に父は体調が悪いのに、ギャンブル(たぶんパチンコ?)に出ていた。
その親父の面倒をみる母親も悲しい。
俺は一週間に1度は実家に顔を出しているが、心細いのではないか?
それを思うと、母親の“本心”が透けて見える。
だが、これはダメだ。
ここで実家に戻ったら、意味がない。
病気(脳腫瘍)になり、某年金機構を退職してから、俺は金が無い生活を続けてきた。
派遣で働き、揉めて、ライターもしたり、Wワークして、なんだかんだいって、実家で過ごしていた。それはまさに“寄生”だ。
ここで戻ったら、また“あの生活”に戻るだけ。
生活は苦しいし、両親は心配だが、ここは独り暮らしを継続させるべきだろ。
“新しい仕事”は春先までには決まる…と思う。
そんな昨日の帰宅時に読んだのが、上のネット記事
『月収13万円で満喫の実家暮らし』かぁ…。
『40代の“こどおじ”』かぁ…。
複雑な気持ちになった。
言葉だけを聞くと、恥ずかしさを感じるが、これで貯金が200万もあり、両親と同居だから面倒は見れるし、“見てもらえる”
それで“満喫”ならば、これが幸せなのではないか?
揺らいだ。
ここで考えるのは、やはり「幸せってなんだ?」という事になる。
それはやはり『個人による』になる。
ここ数年…、というか某年金機構を辞めて、いや求人誌の編集を辞めてから、俺はいつも金がなく、いつも誰かと揉めている。
この前、ある人から「実家近辺で働けば?」と言われた。
俺は猛烈に拒否した。
何のために独り暮らしを始めたのか、分からない。
実家に戻ったら、両親の面倒をみられる。
それに、恥ずかしながら、今でも実家の“世話”(食糧など)を“提供”されているのは事実。
実家に戻った方が良いのか?
しかし、それで俺が幸せになるのか?
今はしおらしい母親も同居したら、また小馬鹿にしてきたり、「家を出ろ!」などと言い出すかも?
親父の体調と不安だが、高齢の親父だ。俺が出来るのは世話くらいだ。
それに俺が実家に戻る事でやはり、母親の負担が増える。
それに、また“昔の両親”の“範囲”で生きる生活に戻るのは、嫌だ。
上の記事にはそこの部分が書かれていない。人の生活にはリスクとコストが掛かるのだ。
それを忘れてはいけない。
それを年老いた両親に負わせるのは、もうダメだ。
そろそろ俺が負うべきだろう。
離れていても、両親にできることはあるか?
やはり、しっかりとした正規社員か、収入増加が必要だろう。
心配だけと…。
何がベストで、何が最良か。
俺は考えなくてはならないが、少なくとも実家に戻る事ではないような気がする。
元セクシー女優が「フリーランス転向後の雑な扱い」を暴露。報酬未払いのケースも(週刊SPA!) https://news.yahoo.co.jp/articles/25766617d6b17ddb894bfcd19aa21dc42ae180aa
わかる。
そういう編プロ、よくある。
今までライター稼業を止めていた俺だが、今再開(副業化)を狙い、いろいろ動いている。
「フリーライターなんて、“100円ライター”と一緒やで…」
「“掃いて捨てる”のは日常茶飯事やで」
…俺の“元師匠”の言葉である。
大型の契約仕事などがなければ、細かいタスク(1文字1円以下で、数千文字の書き仕事)が駆け出しの仕事だ。
大型のプロジェクト系なんてそんなに無い。
俺も大口の契約、来ないかなぁ…。
日雇い仕事の方が収入を得るのは早い。
「敗者のGYAO!と勝者のU-NEXT」明暗分けた拠所 実は同じルーツ、時代に踊らされたサービスの歴史(東洋経済オンライン) https://news.yahoo.co.jp/articles/eb62f14da6ac2d6bbde705cbf0095df7422b6c12
GyaO!とU-NEXTは同じUSEN系のサービスだったのか?
この記事で初めて知った。
いま振り返ると、このエピソードがあった2006年の秋冬は、動画配信サービスにとって転換期だった。前年に誕生したYouTubeが11月、グーグルに買収された。そして12月には、ニコニコ動画がプレサービスを始めた。 このあたりを境に、ユーザー投稿型の動画コンテンツが好まれるようになる。当初は違法コンテンツの多かった投稿型サービスに対抗すべく、権利関係のしっかりした「公式配信」をアピールするも、受け入れられるまでには、想像以上に時間がかかったのではないか――というのが、ネット大好きアラサーである筆者の肌感覚だ。
■「Yahoo! 動画」から「GYAO!」へ
USENは2008年10月、GyaOを分社化。2009年4月にはヤフーの子会社となり、9月に「Yahoo! 動画」とサービス統合された。そして2014年10月に、大文字の「GYAO!」へリニューアルされて現在に至る。
YouTubeって2006にGoogleに買収されて、今の反映があるんだ?
この頃(2006)、俺はノート(LAVI)を買って、GyaO!の動画を1番観ていたな。
刺激的で、楽しいサービスやコンテンツがあり、「おっ、これがインターネットの新しい“楽しみ方”か…」と思っていた。
そして、いつの間にかYouTubeに以降。
“コロナ”が始まってからは、動画と言えば、ほぼYouTubeだ。
(ちなみにニコニコ動画はあまり観たことが無い)
思えば、YouTuberなんて言葉が“職業”として認知されたのは、ここ数年だな。
時の移り変わりは早い。特にネットや“流行”は。
もはや、そのYouTuberも過渡期に来て、生存競争に入っている。淘汰の時期に来ている。(コンテンツと利用者は別の問題か?)
Yahoo!動画とGyaO!が提携したのは知っていたが、その頃にはもう見なくなっていた。子会社になっていたとは知らなかった。
キムタクのラジオ番組は知っているし、たまに聞いていた。
『ネット動画』というおおざっぱなくくりでみたら、他にAbemaTVもあるし、“映像”とすれば、 ネトフリやアマプラ、ディズニープラス、U-NEXTもある。“テレビ番組配信”ならティバー、パラビがある。(最近よく観るな)
GyaO!こオリジナリティは見劣りを感じざる得ない。
独自路線がそこまで強くなかったのか、有効な“他のコンテンツ・サービス”と“相乗り”できなかったのか。
観ていた身としては、やはり寂しいな。
石田三成に関ヶ原の戦いを決意させ、豊臣秀頼も滅ぼした本多正信(日経ビジネス) https://news.yahoo.co.jp/articles/610d0a61ecc7d21d3abdde94fc5b8dafd3f2a314
大河ドラマ『どうする家康』が早くも楽しみだ。
明日(明日)は第4回目だ。
以前俺は、家康のエピソードを含んだ話を書くために、この徳川家康という人物を少々調べた事がある。
とある著名な歴史小説家同士の対談で「徳川家康は“凡人”に間違いない…」と評されていた。
彼は短気な“元値”がありながら、自身は『たいした器はない』と認めていて、家臣らや周囲の力に頼っていた。(特に青年期以降)
そんな家康にとって、“組みやすい”のが、本田正信(弥八郎)であり、まさに『君臣、水の如し』(正確には“君民”だが…)だった。
それは、上のネット記事の関ヶ原の話で…。
このころ、加藤清正ら武断派大名と石田三成がもめていました。そこで家康はその仲裁をするふりをして、清正らを支援し、三成に「(居城の)佐和山にしばらく蟄居していたほうがいい」とアドバイスします。この佐和山城に蟄居させるという策は、正信が進言したものでした。
●正信のもくろみ通りに三成は動いた
話は少し遡りますが、関ヶ原の戦いの前年、加藤清正、福島正則ら7将が、石田三成を襲撃するという事件が起こったとされます。私は、これは作り話だと思っていますが、もめていたことは確かです。そこで、敵か味方かを鮮明にするために、三成が自由に行動できる環境をつくるべく、蟄居を思いついたのです。
関ヶ原の戦いを“設計”したのは石田三成ですが、彼を挙兵に導いたのは本多正信でした。 慶長5(1600)年6月、家康は上杉征伐のため大坂から軍勢を率いて会津に出征します。すると、正信のもくろみ通り三成は動き出しました。三成側に付く大名も明らかになっていき、三成と彼らは関ヶ原の戦いへと向かっていくのです。
これで敵味方がはっきりしたわけですが、正信もここで1つ大きな失敗をしています。 正信は、三成の軍勢は合わせて最高でも2万と計算していました。家康の上杉征伐軍は5万8000。三成軍は最大2万ですから、5万8000を半分に分けて、上杉と三成に、同時に当てればいいと正信は考えていたのでした。ところが蓋を開けてみたら、西軍はなんと10万。正信は真っ青になるわけです。
上杉征伐軍が下野国小山に達したところで、家康はこの事態にどう決断すべきか、軍議を開きます。
ここで面白いのは、家康は相変わらず自分には優れた才能がないと思っているため、彼は絶対に「自分はこうしたいからこうする」とは言いませんでした。12年の人質生活がありますし、織田信長、秀吉にもずっと頭を押さえつけられてきた故の、性格的な問題もあると思います。
家康は、何人かがいろいろな意見を述べたところで、「○○の意見が良いように思う」という言い方を、常にするのです。全員に話に参加させて、「それで決まったことだから仕方がない」と、全体に統一感を持たせるためでもあったと思います。 このときの軍議で、自分の計算、読みが違って泡を食っている正信は、上杉征伐軍を解散しようと進言します。征伐軍に参加している各大名は大坂城に人質を取られており、本気で西軍と戦うとは思えない。徳川の軍勢は急ぎ関東に戻り、箱根の関所を固めて西軍が攻めてきたら、そこで迎え撃とうと言ったのです。
これに真っ向から反対したのが、四天王の1人・本多忠勝です。「すぐにも三成を打つべきだ。ものには勢いというものがある。その勢いを失っては勝てない」とぶち上げました。 家康も、西上策を考えていましたが、「忠勝の意見がいいように思う」と述べて、徳川家の総意としました。そのうえで、作戦を実行するに当たっては、誰をどう動かしたらよいかという、個別の作戦を次に立てていきました。 正信は肝心なところで読みを誤ったわけですが、家康はだからといって正信を責めることはしませんでした。正信もあがきません。普通の人間なら、失敗を取り戻そうとあがき、それでまた傷口を広げるものですが、彼はそうはしませんでした。正信は、自分には次の役割があるはずと考え、我慢することができる人間でした。
家康が正信に期待したことは、ここです。家康は、けんか腰の三河武士が多い中で、慌てない正信には、引き続き冷静に状況を見ていてほしいと思っていたはずです。
少年期~青年期(今川人質~今川家臣)までと、その後の三河独立期の中で、彼の思考は変化し、織田信長という強烈な人物との関わりや武田信玄などとの闘争(密約)を経て、“変容”したのではないか。
その為に必要だったのが、弥八郎正信であり、家臣らの絶対忠誠であった。
この家康の傾向…。
彼は絶対に「自分はこうしたいからこうする」とは言いませんでした。12年の人質生活がありますし、織田信長、秀吉にもずっと頭を押さえつけられてきた故の、性格的な問題もあると思います。
まさに“マニュピレーター”思考。
自分はなにも言わず、他人に“忖度”させる。
「ワシはそんな事は言っていない。全て“部下”が勝手にやった(やってくれた)だけ…」
そんな都合の良い事を言いたがるのは、まさに凡人だ。
自らは“なるべく動きたくない”もしくは、“動いても良いが、自分に都合の良いように動きたい”である。(つまり、自身で“交渉”ができない)
失礼な言い方をすれば、晩年に近付くに連れ、彼は“腰抜け”になる。
よく言えば、老獪か?
それはまさに我々と同じ、凡人だ。
そして、彼は“二律背反”な言動で他者を“絡めとる”方法を得ていて、それを弥八郎から見いだしていた、と俺は思っている。
そんな奴等は現代でも山ほどいるし、そういった奴等の話を書きたいなぁ。