鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

派遣録① ハケンを始めた理由と“差別”

俺が派遣という働き方をし始めたのは、もうだいぶ前。

2005年辺りだ。

俺は大学卒業直後に入った“ブラック企業”でボロボロになり、地元浜松に戻っていた。

 

で本屋などでバイトしながら、再就職先を探していた。

 

その頃、テレビなどで『日雇い派遣』という言葉をよく聞くようになっていた。CMなんかでも流れていた記憶がある。

 「簡単1日バイトでお金を貯めよう♪」

そんなキャッチーな言葉が流れていた気がする。

俺は“日雇い”と聞くと、『キツい肉体労働』というイメージがあり、さらに再就職への焦りから、(…俺には辞めとこう)と思っていた。

 

しかし、金💴は無い。

不足分の“足し”として、補助的な気持ちで登録をした。

俺は週4日でバイトを2つ掛け持ちし、さらにその派遣会社に登録し、1日限りの日雇いを開始した。

今は亡きグッ○ウィルである。

 

この時は“派遣”での仕事は月に数度。“急な出費への対応”といった感じだった。メインはアルバイトと再就職であり、正社員採用を狙っていた。

 

やがて、新しい仕事(求人誌編集)が決まった(2006年あたり)が、始めはアルバイト採用だったので、金の足しに日雇い派遣を継続した。

 

その後、していない期間もあったが、いつの間にか派遣(契約)で働くようになり、“日雇い派遣”がメインという時期もあった。

登録している派遣会社も一社以上になっていく。

 

派遣先は、飲食店から引っ越し、イベントの手伝いと多岐にわたっている。

振り替えると…、

 

開始当初“期”

ヤ○ハ工場

スーパー手伝い

 

求人誌編集“期”

中区・袋井の倉庫

ピサ、寿司の宅配

スーパーの品出し 

飲食店

 

“無職放浪期”

家電宅配

荷物運び

イベント手伝い

試験官

 

大病“後”

南区の精密工場

倉庫でのピッキング

研究室補助

スーパーの品出し

三方原の工場

病院清掃

 

…と、こんなところかな?

(ちなみに、俺の“合シリーズ”は、上の“大病後”には、相当する…)

 

この他にも単なるバイトとして働いていた仕事もあるし、他のバイトとの掛け持ちも多い。最後(?)の病気清掃など完全に“メイン”だった。

全く派遣をしていなかった時期もある。市役所の臨時職員で凌いでいた時期もある。

某年金機構のアシスタント職員も“非正規”という枠組みからしたら、同じようなものか?

日雇い派遣をよくしていたのは、“無職放浪期”が1番かな?

 

この“派遣録”では、その頃も含め、派遣の現場で起こった事や出会った思い出深い人を書いていこうと思う。

 

 

 

 

開始した直後は、書いたように『あくまで、足りない時の“足し”』程度でしかなく、派遣先も「あるなら、どこでも行くよ」というスタンスだった。

2001~2007年は“日雇い派遣全盛期”であり、仕事が非常に多く、俺の携帯にはしょっちゅう派遣会社(グッド○ィル)から仕事の連絡が来ていた。

あまり積極的ではなかった俺は、「他にバイトありますから」と断る事が多かった。

この“バブル”感は次に働く“求人誌”でかなり実感するのだが、この時は(…ま、金無いし、少し働くか?)という軽いノリだった。

 

働き出すと、まず感じたのは作業のキツさだった。

肉体的、精神的に大変な現場が多かった。

俺が最初に派遣されたのは、ヤマ○の外装部費を作る工場の夜勤だった。

そこそこ大変だった。

次が、袋井のスーパー(ディスカウントショップ?)であり、ぐちゃぐちゃ文句を言ってくる店員のBBAと揉めたりした。

 

だが、前職のブラック企業での経験から、体力的、精神的なキツさには慣れていた。若かったこともあり、また月に4日ほどしか、“日雇い”として稼働していなかった俺には、そんなに苦痛がなかった。

 

それに、である。

俺は何となく思っていた。

日雇い派遣の人間を、そうした現場に派遣させる派遣会社の人間…。

そして、現場で働く人間…。

派遣に携わる“派遣以外”の人間の悲哀もそれなりに理解してしまっていた。

 

工場で怒鳴り散らす社員。

頭に来る💢が、彼もまた会社側からプレッシャーを与えられているのが、わかった。俺がそうだったからだ。

 

スーパーで威張り回るオバサン(BBA)社員。

怒られ、揉めたが、彼女はここでしか“生けない悲しい”人種であり、自分の“テリトリー”を守るのに必死だった。

俺もそうだし、ブラック企業にはそんなバカがよくいた。そして、そんな“小さなグループのリーダー”をその後に山程見る事になる。

 

俺が感じたのは、“ハケン”という人間への“扱いの悪さ”だ。

とにかく“非正規”というだけで、下に見てくる奴等が多い。

ある種の“作業”ではないのか?

 

世間では“同一賃金”や“同等の権利”と叫ばれているが、現場では派遣など(特に日雇い)、使い捨てでしかない。

嫌がったり、俺のように反抗しようものなら「じゃ、来るな💢」の一言だ。

 

それが社会人の態度か!?

 

そう思える奴等ばかりだった。

だが、それも組織や「仕事だから」の言葉で抑えられたり、“消されたり”する。

またいちいち“機械”に遠慮などしていたら、仕事などできないし、利益も生まない。

 

改めて、(これが世間か…)とも思ったし、(こんなもんかな?)とも思った。

そして、こうした状態(派遣)で働く意志のなかった俺は、メインにしていたバイトに勤しみ、まさか後年(そして40を越えて…)、派遣メインで働くとは思っていなかった。