鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

馬場の慧眼

俺が大学の頃(98年だったくらいかな?)、世は総合格闘技ブームだった。
Uインター、その後継団体"キングダム"を楽しみにしていた。

そんな時、ジャイアント馬場が「シューティング(ここでは"Uスタイル"のプロレスを含んだ総合格闘技のことか?)を越えたものがプロレス」と発言したのを聞いて、頭に来た事がある。

何を惚けた事を言っているんだ?

Uインターが『格闘技っぽいプロレス』と分かり、崩壊しても俺はそういう"シューティング・プロレス"がやはりプロレスの"守護神"、"鎧"と思っていたかった。
興味は総合格闘技の方に向けながら、勢い盛んな総合格闘技の波に真っ向から挑んでいるのに、何が「越えた」か?
外からの"攻撃"に耐えうる"鎧"など有るわけがない。
シューティング・プロレスに守られながら、既存のプロレスを続ける馬場の発見に呆れた。
シューティングとプロレスは"越える"、"越えない"の話にはならないのだ。
プロレスか、格闘技か。
それは『選択』の問題。越える、越えない、ではないのだ。


だが、それから20年近くが経ち、今、馬場のこの発言がかなり的を射て、先を読んでいたことに感心していた。

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『越えた』とは、二つの意味があった幅ではないか?

まず一つは、シューティング(プロレス)は、プロレスの範疇を越えたものではなかった。
『俺たちとは違う種類のプロレス』というだけ。ならば、ファンに支持されている自らたち(既存のプロレス)が勝っている。

二つは、そんなシューティング・プロレスが早晩行き詰まり、従来のプロレスの人気がまた復興する事を見越していたのではないか?
そうすると「シューティング」とは総合格闘技全般を指していたのではないかと思える。

2,000年代前半に起きた総合格闘技ブームは後半に入って、急速に萎んで言った。
また、俺の勝手な予想だが、総合格闘技の衰退はPRIDEのヤ〇ザ問題ではなく、総合格闘技の試合に見せる退屈な"膠着"状態のせいではないか?

MMA(総合格闘技)の試合は、たまにとても退屈であったり、凡戦があったりする。
PRIDEのヒョードルvsノゲイラの一戦目やHEROsの桜庭vs田村などは、直前までの煽りは凄かったが、試合はそれほどではなかった気がする。

当然だ。リアルファイトなのだから。
みんなが期待する"注目の一戦"が必ずしも万人が納得する"ベストバウト"にはならない。
(だから、リアルは『素晴らしい』と言えるかもしれないが…)

見応えがあるベストバウト(PRIDEの高山vsドン・フライ戦など)は、それこそ100戦見て、一回あるか、無いかだ。
猪木-アリ戦は"世紀の一戦"だったが、同時に『世紀の凡戦』と呼ばれた。
仕方ない。ボクシングの世界王者と真剣勝負したら、ああなる。
『凡戦』自体は見方が難しく、面白くないのだ。

だが、プロレスは違う。
毎回、毎回、ベストバウト連発だ(たまにそうじゃない試合もあるが…)。

今、プロレスブームだと(新日本だけと思うがな…)言う。!
総合格闘技ブームの中で、そうした凡戦を見て、ファンは『あれ? プロレスの方が面白くない?』と思い始めたのでは?

似て否なる事をやっているジャンルがあり、片方が面白くなかったら、もう片方に期待する。それが"ベストバウト"連発なら、それが盛り上がるのは当然予想できるはずだ。
だって馬場は、そのもう片方(プロレス)の住人だからだ。

馬場からすれば、『シューティング(Uスタイル・総合格闘技)はすぐに陰りが見える。どうせ人気はこっち(プロレス)に戻ってくるよ』と思っていたのでは?

確かにそうなりつつある部分もある。

だが、総合格闘技も頑張っている。
やはり『選択の時代』ではないか?
好きな人が好きな方を選んで見れば良いだけだ。

今、馬場のこの"慧眼"に敬服している。
馬場はそこまで見抜いて、『越えたもの』と言ったのだ。
シューティング(Uスタイル・格闘技)は結果的にプロレスを『越えられない』と分かっていた。
「いやいや、ジャンルが違う」という俺の考えこそ"惚けた"感覚だったのだ。


☆続く