鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

プロレス心理学136 アントニオ猪木のプロレス&格闘技「生命(格闘)の樹」理論

猪木さんが格闘技バブル時代に見ていた「本質」 プロレス&格闘技「生命の樹」理論 追悼興行前に回顧(よろず~ニュース) https://news.yahoo.co.jp/articles/7d6866b53738a2d4a400ae0bbc2251e153f84c86

 

で、プロレスとリアル(総合格闘技)とアントニオ猪木の話。

 

90年代始め。

日本は総合格闘技の波(初期UFCグレイシー)が来て、2000年代にMMAブーム。

 

それを異種格闘技戦というプロレスをしていた猪木はどう見ていたか?

 

グレイシー柔術)とか話題になっているが、ああいう技は俺たちの時代でも知っていたわけですよ。三角絞めや逆十字とか。プロレスと格闘技というジャンル分けをしているけど、力道山と(柔道家の)木村政彦が戦った試合は何だったのかと。力道山は空手チョップで世に出たわけですよね。大相撲出身で空手の技を使った。

 

プロレスには“打ち合わせ”がある。

プロレスはスポーツか?

格闘技にはそんなものは無い。

力道山は大相撲力士だったが、「空手チョップ🤚」を使い、柔道家柔術家)の木村政彦と“プロレス”で戦った。

 

…ま、この一戦はプロレス黎明期と格闘技、思想、木村政彦の実力とその不幸な人生を表した試合でもあるが、プロレスはそれ自体が“格闘技”なのか?

 

でも“ブック”(シナリオ)がある。


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@(THE レスラー)

 

なるば、

プロレスとは何か?

格闘技とは何か?

プロレスがから格闘技が出たのか、格闘技からプロレスが出たのか?

 

そんなもんは常に曖昧だし、気にしなくて良いと今の俺は思う。

何故なら、元来は1つだから?

それが猪木の『生命の樹』理論だ。

 

有名なダーウィンの進化論に生命の樹』(※全ての生物は『生命の樹』といわれる一つの大きな連鎖でつながっているという説)があるんですが、プロレスにも『生命の樹』があるとすれば、その樹にはいろんなものがつながっている」 プロレスと格闘技は連鎖していて、二分することはできない。猪木さんは「進化論」で知られる英国の自然科学者、チャールズ・ダーウィンの著書「種の起源」で展開された「生命の樹」という概念を格闘技にも当てはめた。 「格闘進化論、あるいは『格闘の樹』でも、タイトルはなんでもいいんですが、すべては一つの樹に集約されていく。

 

「格闘の樹」

複雑に絡み付き、離れたり、また近付いたりして、繋がって“共存”しているのか?

 

例えば、前田日明という、猪木遺伝子を継いだ者がいて、そこから、前田が(リングス時代に)ヒョードルを発掘し、ヒョードルはその後、PRIDEに行って活躍する。

あるいは(UWFから派生した格闘技団体)パンクラスだとか、別の枝に分かれていく。プロレスも200年近い歴史があり、最初のレスラーは(米国の第16代大統領)リンカーンだったという説もある。リンカーンが戦っている絵が出てきたんですよ。

まあ、そこまでさかのぼらなくても、日本では力道山木村政彦戦などがあって、他は淘汰され、力道山という『闘魂の樹』が成長しようとした時に、本人が亡くなり、その間にいろいろあって、馬場と猪木という樹が残っていく。

 

ただ、馬場さんは力道山遺伝子じゃないと思うんですよ。

その後は、長州力とかアマレス出身のグループが出てきて、DNAを違う方向に持っていった部分もある」 プロレスと格闘技は混然一体でありながら、「ツリー(樹)」になぞらえて流れを整理した猪木さん。「プロは戦っていくら。格闘技の場合、そのチャンスが1年に1回だけとなると、それを待っている間に人生終わっちゃうんですよ。だから、PRIDEにしてもK-1にしても土俵がたくさんできたのはいいこと。プロレスの場合は毎日戦う場所があって、米国だけでなく、欧州、韓国、さらに武術の本家である中国がドアを開けてくれれば今後、とんでもない市場に変わっていく。プロの格闘家だって、試合数の多いプロレスに目を向けてくる。

 

以前、馬場が語っていた「シュート(リアルファイト)もプロレスでしょ?」は実に興行や格闘技の本質を見抜いている言葉だ。

 

これから猪木のプロレスと格闘技の“繋がり”を聴くと…、

 

「プロレスの強みとは何かというと、あるルールにのっとって、必要以上のダメージを与えてはいけないということ。そこには問われる部分があるかもしれないけど、プロレスの強みでもある。大衆から見た時に、米国ではPRIDEやUFCのようなものはテレビで放送できないんですね。専門チャンネルでしか放送できない。大衆的なものとマニアックな世界はどうしても別れている。だから、米国でUFCがマニアックなものとして価値を光らせても、バスケットボールやアメフットのようなメジャーな大衆スポーツになることはないと思う。そこで、格闘技の大衆化を考えた時にはプロレスの強みも切り離せない。そこは1本の『樹』としてつながっている」

 

猪木はビジネス(テレビ放映)の面から“プロレスの強み”を説くが、それは馬場の「シュート(リアルファイト)論」とほぼ同じではないか?

 

リアルファイト(MMA)は“つまらない”し、猪木の言うように放送に向かない。

だが、プロレスは違う。

面白く作られているし、テレビでも流される。

「でも、プロレスって“フェイク”なんでしょ?」と嫌がるなら、つまらないリアル(ファイト)を観ておけばよい。

つまらないが、リアルに価値を置くなら仕方ない。

 

しかも今なら、リアルファイト(MMA)はそれなりに市民権を得ている(RAIZIN)


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そういう観点から見ると、前回書いた『WWEUFC経営統合』は意味が違ってみえないか?

内包と書いたが、それは選択ではないか?

 

観る幅が増えたのだけ。

興奮(ヒート)は同じだから、方法が違うだけ。

違うから、共存するだけ。

何故なら、同じ『格闘の樹』にあるのだから。

 

 

リンカーン大統領が世界初のレスラーかは、謎?

ひょっとしたら、『プロレスラー』と名乗った“最初のレスラー”ではないのか?