俺がプロレスにハマってもう20年以上が経つ。
プロレスは真剣勝負ではない。あらかじめ勝敗が決められていて、その"結末"に向かい、リングの上でレスラーは二人で"協力"して試合を"演じ"ている……、
…らしい。
俺はそんな"打ち合わせ"の場面を見たことはない。
だから、断言は出来ない。
たぶん、そうなのだろう。
また、いろんな書籍、証言などもあるから、たぶんそうなのだろう。
だが、そんな事は見始めた頃から分かっている。
人間をロープに振っても、綺麗に裏返って来ないし、抑えられて3カウントを取られると、カウントギリギリで跳ね返したりするわけがない。一度決まったスリーパー(裸締め)からは体を動かして逃れることは不可能だ。
やはり、プロレスには"筋書き"があり、結末の決められた"試合"をしているのだろう。
プロレスの勝敗は決まっている。
それが『見えてしまう』事件が過去にあった。
1987年の11月。前田日明の長州顔面蹴り事件である。
当時、UWFが崩壊し、新日にUターンしていた前田が、6人タッグで対戦した長州の顔面を横から蹴り、顔を骨折させた事件があった。
これによって、前田は新日から解雇処分を下され、これが第二次UWFの誕生の起因になった。
この事件に際し、アントニオ猪木が不可解なコメントを言っている。
「前田の行動は"プロレス道"に悖(もと)る行為だ」
かなりおかしい話だ。
プロレスの試合を見ていれば、タッグマッチで押さえ込まれた仲間を相手の"見えない"角度から蹴ったりして助けることは、よくあるシーンであり、それを"プロレス道に悖る"などと言うのなら、プロレスの試合のほとんどが"悖って"いる。
猪木のコメントはおかしい。
前田がクビになるのもおかしい。
※猪木の言う「プロレス道」ってのもよくわからないが…。
何が"悖る"のか?
プロレスが真剣勝負であるなら、対戦相手を肉体的に壊す事が"目的"であり、タッグマッチだろうと、関節技を決められたパートナーを助ける(カットイン)のは、よくある事である。
相手を倒すことを主眼にしているなら、対戦相手が怪我させてしまうのは、問題無い行動であり、猪木自身も試合でカットインした事はある。
(真剣勝負なら)怪我は当たり前なのだ。
つまり、プロレスには『対戦相手を怪我させてはいけない』という不文律があり、前田はそれを破ったので猪木は「悖る」と言ったのだ。
対戦相手を壊す事を主眼とする格闘技において、『怪我をさせてはならない』という決まりなどあるわけがない。
この事件、その後の猪木のコメント、前田の処分は、プロレスが真剣勝負ではない証左である。
何故、対戦相手を怪我させてはいけないのか?
怪我をしたレスラーは次の試合を欠場するしかない。
そのレスラーが観客を呼べる"スター選手"であれば、そのレスラーが出ない試合には観客は来ない。
だから、怪我をさせてはいけないのだ。
『ほら、だからプロレスなんてお芝居なんだろ? …下らねぇ』
と、プロレスをバカにする人間は思うだろう。
"プロレスの試合には筋書きがある"
"真剣勝負ではない"
"レスラーは演技している"
だが、そう言うアナタも現実社会で筋書きのある戦いをしていないだろうか?
真剣勝負ばかりをしているのか?
誰かに対して演技をしていないか?
"プロレス"をしていないのか?
そんな人が「プロレスが下らない」などと言う事ができるか?
俺がこの『前田の長州顔面蹴り事件』を知ったのは六年後だった。
既に第二次UWFは分裂していた。
プロレスにハマった頃から、そこはかと無く香る"幻想"の匂いを嗅いでいた俺はこの一事をもって(…やっぱりな)という気持ちになった。
だが、プロレスが嫌いになることはなかった。
何故なら、そんな事は"社会"にはありふれていたからだ。
真剣勝負ではない、勝敗の決まった戦いをしているなら、プロレスが俺らに見せる"演技"は"現実"であり、ある意味では"リアル"で"現実的"と謂えるはずだ。
プロレスを笑う者は、己を取り巻く"現実"を嘲ることに他ならない。
皆、下らない現実で"プロレス"をしているのだ。
だから、プロレスは"正しい"。
プロレスは"リアル"だ、と思えたのだ。
(それでもリアルファイトの魅力は同時にあったが…)
現実社会において、みだりに他人を傷付ける人間は誰もが忌避される。
プロレスという"ルール"を破った前田が、会社を解雇されたのは当たり前だ。
人気レスラーが試合に出れないのなら、チケットは売れず、会社(団体)が儲からない。
儲からないなら、プロレスをする意味がない。
生きていく為、人はプロレスをする。
それを嫌がっても、蔑んでも、プロレスするしか、プロレス団体が生き延びる方法はない。
社会=プロレスなのだから、社会で生きている限り、我々は他人に対し、"演技"を見せ、"怪我"をさせないように攻撃し、他人の見たがる"勝敗"を見せるしかない。
どうにもやならない現実がある。
俺にもアナタにもある。
だから、プロレスする。誰かの"顔面を蹴って"しまう前に…。
見たくない現実。
嫌な人間。
壊したい関係。
俺はすっとそんなモノたちとプロレスしてきた。
…いや、上手くは出来ていなかったな。
だが、これだけは言える。
『社会はプロレスだ』
絶対にそうだ。
そうとしか思えない。
何故なら、俺も前田のように『顔面蹴り』したくなる時が度々あるからだ。
(その気がないのしてしまう時も…)
突き上がる"リアル"な"蹴り"への渇望を必死に堪えてプロレスしている。
そこには"プロレス(幻想)"への渇望があるからだ。
上手く社会を渡り合いたい。
他人と良好な関係を気付きたい。
他人から"善い人"と思われたい。
だから、"プロレス(幻想)"するんだ。
幻想を要求して、幻想を見せたがる。
俺は上手く"プロレス"出来ているのかな?