鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

プロレス心理学⑦ "ジョブ"

以前働いていた現場に、非常に嫌われていたおばさんがいた。

仕事が遅い。いろいろと手助けしようとするが、それがタイミングが悪かったり、"ピント"がズレている。
注意しても、聞いているのか、わからない感じで受け答える。
非常に関わり難いおばさんであり、同じ現場の連中からかなり嫌われていた。

だが、俺は一貫してそのおばさんの"肩"を持っていた。
おばさんに優しく、シフトを決める役だった俺はそのおばさんをわざと多めにシフトに入れたり、シフトの希望日を聞いたりと"優遇"していた。

何故か?

別に、そのおばさんに同情したわけではない。
ましてや好意があったわけではない。(…俺は熟女好きではない)
おばさん自体は周囲の人間が言うように、仕事が遅く、何度言っても己の行動を改めない、"困った"おばさんである。
俺も内心では嫌悪していた。

だが、それでも俺は一貫しておばさんを擁護していた。

それには二つの理由がある。

まず一つは、『"プロレス"として成り立たないから』である。

確かにどうしようもないおばさんである。
仕事が遅いのに、それを改めない。そのくせ「私、月に15日は働きたいの」なだと堂々と主張する。
嫌われて然り、である。
だが、こんな奴は世の中にたくさんいるではないか。

こんなおばさんばかりだ、とも言える。

その現場では、このおばさん一人だから"少数派"であり、みんなから嫌われている。
だが、別の現場にいけば"多数派"になり、現在おばさんを批判していた連中が"少数派"になるかもしれない。

多いか、少ないか。
それくらいの差でしかないのだ。

確かに腹立たしいおばさんではあるが、この現場において少数派であるが故に"嫌われ役"をやっているに過ぎない。

それって、プロレスと一緒では?

プロレスの対立構造は大まかに言えば、『善と悪(ベビーフェイスとヒール)』である。
悪であるヒールは、暴虐無人の行為、汚い事をして、対戦相手や観客の憎悪を買い、最後には善(ベビーフェイス)に倒される。
『悪の栄えた試し』は無く、悪は常に悪であり、最後には倒され、地べたを這いずり回らなくてはいけない。

それがプロレスの悪"役"(ヒール)である。

そう"役"なのだ。

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暴虐無人、卑劣、最低…という役を演じているだけである。
そのレスラーが本当に悪なのか、どうかは大して意味がない。
役、つまり仕事(ジョブ)として悪を演じているだけ。
(プロレスでは、負け役をジョブと呼ぶ)
そうしないと、プロレスは成立しない。
悪が善と戦い、手酷くやられないといけない。

たまに他の仲間から「あのおばさん、辞めさせたら?」とか、おばさん自身からも「私、辞めた方が…」(みんなには内緒)などと相談されたが、俺はおばさんを辞めさせないでいた。

「辞めさせたら?」と言われると、心の中で(…馬鹿か?)と相手を嘲笑った。
仕事が遅く、間のズレたこのおばさんがいるから、お前が"生きている"のだ。
それがわからんのか?
もしも、このおばさんが辞めたら、次に"悪役"になるのは、お前かもしれない。
それが分かっていない。自分は常に"ベビーフェイス"の"勝ち役"である、と思っているのである。

また、「辞めようか…」などと考えいるこのおばさんも分かっていない。
自身が嫌われているのは、『今の、この現場だから』である。
こんなもん、どうなるかわからない。
違う仕事に着いても、また"悪役"かもしれない。辞めるのは勝手だが、悪役を降りられるかは分からない。
ならば、ここにいておくべきだ。

二つ目の理由は、俺の"癖"だ。

おばさんは仕事が遅い。間も悪く、多少わがままだ。
そんな人間は嫌われ、疎外され、仲間がいない。
"弱者"である。
その弱者を攻めるのは、"弱い者イジメ"である。
弱い者イジメは格好悪い。

その原因がおばさんにあり、確かにおばさんが"悪"(役だけどね…)なのかもしれない。
ならば、批判され、疎外されて当然である。
責任はおばさんにある。
だから、おばさんを攻める人間は多い。

弱者の原因は、弱者にある。
弱者は周りから"叩かれ"て当たり前だ。

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だが、それが当たり前なら、別に自分がやらなくても良い。
自分以外の誰かが散々やってくれるだろう。
弱い者イジメは格好悪い。
その原因が弱者の側にあるとしても、それでも格好悪い。『当然の報い』『日頃の悪さのせい』でも格好悪い。

ならば、しない方が良いのでは?

弱い者イジメは誰にでもできる。
だから、俺は"強い者イジメ"を心がけている。

"強い者"は正しい。
他人や組織の事を考え、"悪"を許さない。正しいからみんなに支持され、権威があり、"力"がある。

俺は"そういう奴"が昔から苦手だ。嫌いだ。
とにかく反抗したくなる。
そういう正しい"善"な人間に人は集まる。
それが頭に来る。
無性に逆らいたくなる。強者をイジメたくなる。
権力、権威、圧力、正当性…。
全てが"強者"だ。

だから俺は強者を嫌う。
どんなに正しくても、権威や権力があろうと、強者が弱者を虐げるように、俺は強者を攻め続ける。

そうする事が俺の"癖"であり、社会のバランスにもなると思っている。

何もみんなして、弱者をイジメなくても良いのだ。
弱者は"悪"であるが、自分が"善"とは限らない。
強者が"善"であるから、批判されたり攻撃されない理由にはならない。

だから、俺はこの"弱者"のおばさんの肩を持っていたが、もしもこのおばさんが"強者"になったら俺は猛烈に反抗するだろう(意味無くても)。

多数派=強者だからだ。
強者は必ず攻撃したい!
…それが俺だ。

おばさんが弱者で有る限り、それを攻撃する強者を俺は嫌悪する。

プロレスにおいて、善(ベビーフェイス)と悪(ヒール)を演じることを、"ジョブ"という。

社会にでれば、人は厭が応にもジョブをしなければならない。
しかし、それは"役"であり、その場や他者との関係で目まぐるしく変わる。

"ジョブ"と分かっておけば、必要以上に傷付かないし、傷付けないのでは?