俺が大学卒業直後に就職した会社(小売り業)は、いわゆる"ブラック企業"だった。
休みは少なく、"名ばかり管理職"で残業代はゼロ。
周囲には"山師"のような狡猾な人間や、パワハラしかしないクソのような人間しかいなかった。
一年半足らずで退職してしまったが、そんな中でも、未だに記憶として鮮明な人間が数人いる。
(この前の"河本君"の他に…)
俺の上司であった部長(後に子会社社長)は強烈に覚えている。
とんでもない人間だった。
常に社員に高圧的であり、少しのミスも許さない。
何かあれば、怒鳴りつけられ、休みは剥奪され(労働基準法違反!)た。
会議で吊し上げ(パワハラ!)られたりしたものだ。
この部長もまた"自己ユーティリティが高い"人間だった。
この部長におかしな習癖がある。
社員の人事権はこの人が握っていたのだが、
ある店舗の売上が良いと、その店の社員を売上の落ち込んでいる『他の店』に移動させ、その『売上の良い店』に新人や少し能力の低い社員を入れるのだ。
『売上の良かった店』の売上は当然落ちる⤵⤵。
俺もこの会社に入り、店舗勤務をして分かったのだが、店には店毎のやり方や"クセ"、"客質"があり、社員か変われば、それも変わってしまうので、それを掴むのに時間が掛かる。
それをこの部長は分かっていない。
売上を落とした社員を怒鳴りまくる。
「前の社員に出来たことが、何故オマエにできない?」と怒るのだ。
当たり前だ。社員も…人間だもの。
それぞれにやり方や考えがあり、異動したら、まずはそれに従って行うのだ。
売上を伸ばした社員の店に、別の社員を入れたから、売上は落ちない…などという事は絶対にない。
第一、異動させたのは部長である。
責任は自分にあるのでは?
(…言えなかったけど)
そこが分かっていない。
(俺がそう思うのだから、部下である社員も必ずそう思うはずだ)という愚かな"思い込み"をしている。
他人は、必ず自分に従うものだと思っている。
まさに、自己ユーティリティが高い。
部長もまた悲しい人間だった。
そんな部長との会話で今も心に残っている話がある。
ある日、俺の勤める店舗に来たこの部長と、何故か、『アルバイトにはどのように接するべきか?』というテーマで話し合った。
俺は(人間は話し合えばわかり合える)などという青臭い考えをまだ持っていたので、部長に対して、
「人は元来真面目であり、誠実だ。だから、アルバイトとは話し合えばわかり合えるはずです」などと持論を交えて力説した。
すると部長は『片腹痛し』とばかりにせせら笑い、「鈴木君は"性善説"なんだね(笑)。……俺は"性悪説"なんだよね(笑)」
つまり、人とは元来悪であり、怠惰であり、放っておくとロクな事が無い。
だから、他人を監視し、管理し、修正すべきところは指摘してあげるべきだ。
と、いうのだ。
そこで分かった。
何故、この部長が社員に高圧的であり、怒鳴りつけるのかが分かった。
本人は"悪"である我々を"改善"している気分なのだ。
人間は悪である。
放っておくと悪いことばかりする。
それでは、困る。
会社として、部長として、悪である我々を"善"なる存在、つまり会社に利益をもたらす存在にする、そうなるように指導する。
何故なら、我々は部長の"仲間"であり、"部下"なのだから……。
部長からしたら、我々(部下)は自分(部長)に従わなくてはならない。
そうでなければ、改善されない。
利益を生まないのだ。
なんと悲しい人間なのか?
部長が我々を仲間だと思えば思うほど、我々社員部下の心は部長から離れていく。
実際、部長のいない時に社員はそこそこ悪口を吐いていた。
部長からしたら意味が分からないだろう。
全て社員や会社の為にしている事であり、自身が嫌われたり忌避されるはずがない。
自分は間違っていない。自分は正しい事を言っている。
そう思っていたのだろう。
なんという"独善的"な話なのか?
"独り善がり"とはこのことばかりする。だ。
本人はその事に気づいていたのか?
この部長の"本質"を垣間見て、俺が思ったのは、プロレスの悪"役"レスラーである。
傍若無人に暴れ、反則も厭わない態度で対戦相手を痛め付ける。
しかも、観客にまで悪態を付け、その憎悪を買う。
そんな悪役をベビーフェイス(正義の味方)が叩きのめす。
悪は倒されるべき存在であり、悪は憎むべき存在だ。この世にあってはいけない。
しかし、プロレスの悪は、"役"である。
考えてほしい。悪役レスラーは他のレスラーと同じくバス(別のバス)で会場に来て、他のレスラーと同じ宿泊場所(ホテル)に戻るのだ。
悪役レスラーが本当に悪なら、そんな事するのか?
また、本当に悪逆非道な人間ならば、悪役レスラーは会社を解雇され、警察に身柄を拘束されているはずだ。
プロレスは、ショーである。
悪役レスラーは、"悪役"を演じて観客を怒らせ、興奮させる為に"役"を演じているのだ。
例の部長も"パワハラ"しまくるのは、我々に、会社に利益をもたらさんがゆえである。
ただ違っているのは、悪役レスラーには悪逆としての自覚があり、自身の悪を認識している。
"役"であり、それが"仕事"と分かっている。
部長には、自覚が悪という自覚は無い。当然
あったとしても、『会社の為、部下の為』という大義名分が部長の瀬女かを押し、『仲間(部下)なんだから俺の言うことを聞け。それならばみんなに利益がある!』という"独善"に繋がる。
自分のやり方、考え方が一番であり、間違っていない。
異動させて、売上好調な店舗を凹ませたなら、それはその社員が悪いのだ。
悪だ。
だから、"改善"する。
俺(部長)の言う通りにしないから悪だ。
恐るべき独善性である。
だから、嫌われてしまい、好調だった店舗の売上は落ち込む。
己の首を、自身で絞めているようなものなのだか、全く分かっていない。
ただ、俺には部長の言っていた『性悪説』だけが印象に残った。
会社を辞めた今でも……。