俺は"愚痴"を言う人間が大嫌いだ。
何故、愚痴を溢す?
何の為に?
誰の為に?
何の意味がある?
そう思うようになった原因は、以前勤めていた地元出版社の上司にある。
この上司はとにかく愚痴が多かった。
例えば…。
何か、自分にとって不都合な決まりを会社の上層部が決める。
すると、
「もう! 何なんだよ! 何で俺が困る事ばかり言い出すんだ?」
「全く現場を分かっていない!」
「…そんな事を言い出しても、出きるわけないじゃん?」
と、周囲に毒づく。
そして、「ねぇ? 鈴木君?」などと同意を求めてくるのだ。
この時に「はぁ?」とか「…そうなんすか?」などとスカしな返しをしてはいけない。
そうすると、どうも自分が"馬鹿にされた"と思い込むらしく、途端に機嫌が悪くなった。
また、「何で、そんな事になるのですか?)などと詳しく聞いてもダメだ。
返って、『うるさい奴だ』と煙たがられる。また機嫌が悪くなるのだ。
スカしてもダメ。
"しっかり"受け止めてとダメ。
一体、どうすれば良いのか?
一度、「大変っすね…」と軽く言ったら、「君に何が分かるんだ!😡⚡」とキレられた。
「上(上層部)にしっかりお願いしたら、どうですか?」と提案したら、
「そんな事出きるわけないだろ!😡⚡」とまた怒られた。
どうしろ、というのか?
全く厄介な上司だった。(殴りてぇ)
しかも…。
本人はその事を全く気にしておらず、いつぞや忘年会の席で"酒の勢い"にみせかけて(本当はそれほど酔っていなかったが…)、
「…ちょっと、アレは無いんじゃないですか? 俺に愚痴らないで下さいよ」
と、遠回しに非道を指摘したが、本人はすっかり忘れていた。
「そんな事、あったっけ?」と惚けていた。
…腹の立つ上司である。
それゆえ、俺は愚痴を吐く人間が大嫌いになった。
自分ではどうしようもない事を周囲に溢して何になる。
誰かが解決してくれるのか?
しかも、この上司のように何とリアクションしても怒るのだから、愚痴など吐かれてはたまらない。
『うるせぇ、馬鹿野郎!』なのだが、上司となるとそんな事は言えない。
またそこも腹が立つ。
(↑これ自体も愚痴か?)
何故、人は愚痴を吐くのか?
今から思えば、"愚痴"は『攻撃性の吐露』である。
何かから、攻撃(ストレス)を受けると、人は"代わり"に何かを攻撃したくなる。ストレスの原因を攻撃出来れば一番良いのだが、社会的に無理な時がある。(上司の場合は上層部)
持って行き場のないストレスは、攻撃しやすい"標的"に向かう。
ちょうど、トコロテンを押し出すように、攻撃性が"玉突き"されてこちらにくる。
全く迷惑な話であるが、少し分かる気もする。
俺も頭に来る事があると、物や人に"八つ当たり"する時があるからだ。
後から思えば、(俺、馬鹿だなぁ)と反省するのだが、"攻撃性"に囚われている時はそう思えない。
"愚痴"を"攻撃性"と見たら、まだ理解できた。
しかし、それでも理解できない愚痴もある。
別の会社での事だ。
ある上司が、
「…朝、早くてまだ眠いよー」
と愚痴った。何度も俺に愚痴った。
これに"カチン❗"と来た。
朝は誰でも眠いだろう。別にアンタだけが、眠いわけではない。
俺)「…昨日、寝てないんすか?」
上)「仕事の準備で寝れなかったんだよ」
ならば、仕方ないだろ?
俺は、真剣に「それが嫌なら仕事を辞めたら良いじゃないっすか?」と言った。
すると、この上司はキレた。
「何を言っているんだ! 仕事を辞められるわけがないだろ! 辞めたら、明日から生活どうするんだ?」
「なら、我慢するしかないのでは?」
そう切り返すと、倍になって怒っていた。
この場合、俺の言い分は100%正しいと思う。
朝早くて眠いのならば、その状態から解放される方法は1つしかない。
その仕事を辞める事だ。
それが無理なら我慢するしかない。俺に愚痴っても仕方ないではないか?(殴りてぇ)
しかし、"社会人"としては100%間違っている。
この上司の「朝、眠い」は"甘え"である。
自らに起こっている事象の解決法を得たいのではなく、"同調"してほしいのだ。
つまり、この場合…、
「…そうっすね、俺も眠いっすよね」くらいに言えば良く、「いやぁ、大変ですね」などと"持ち上げ"られる言葉を期待しているのである。
また、相手(上司)に"同調"したくないのであるなら、
「それなら休んでいて下さいよ。後は、俺がめちゃくちゃにしておきますから(笑)」
などと脅しともつかない冗談で切り返したら良かったのである。
"社会=プロレス"であるなら、それが正しい。
そこで馬鹿正直に解決法を提示しても仕方ない。
『嫌なら辞めろ』は分かりきった"答え"であり、プロレス的に言えば、"シュート"(真剣勝負)である。
それが正しいのは、分かりきっている。
だが、社会という"リング"は、その分かりきった答えを必要としない。
馬鹿馬鹿しいと思っても、相手の"甘え"を"受け身"しなくてはならず、上手い"切り返さ"ないといけない。
そう言う意味では、俺の切り返しは100%間違っていた。
出版社の時の上司も一緒だ。
あの愚痴に対し、『それがどうかしたんすか?』という態度ではなく、もっと相手をやり込める"絶妙"な切り返しがあったはずだ。
しかし、愚痴をどうしても好きにはなれない。
甘えてくる馬鹿野郎(上司)に対し、俺は全く"プロレス"できない。
すぐに"サミング"(目潰し)して、"シュート"を仕掛けてしまう。
どうしたものか?
プロレスには"ロック・アップ"というものがある。
(長州力の個人事務所ではないよ)
プロレスの試合の最初に選手同士が組み合う行為だ。
プロレスの試合は、ここから始まる。(最近見なくなったなぁ…)
ロック・アップはプロレスの"基礎"である。これが出来ないと、プロレスが出来ない(出来なかった…)
何度も書いているが、プロレスの結末は決まっている。
どんなに追い詰められようが、どんなに攻め立てようが、勝者と敗者は決まっていて、揺るがない。(たまに揺らぐが…)
だから、最初がどうかなど関係がない…はずである。
だか、どんな事象にも"起点"がある。
それが"ロック・アップ"だ。
上司が吐く"愚痴"はこのロック・アップでは無いか?
つまり、"プロレス"的な展開の"スタート"では無いのか?
"プロレス"を仕掛けてきた相手には、プロレスで返さないといけない。
"セメント"(真剣勝負)で返してはいけない。
愚痴など吐いたところで何の価値も無い。
愚痴を吐いて、何になる?
愚痴から産み出される事は1つもない。
何故なら、物事に不満や不足を感じていない人間はいない。それを吐き出したところで、何の解決も無い。
せいぜい、吐き出した人間が"清々する"だけである。
虚しい行為である。(それだけでも良いかな?)
愚痴には意味がない。
"意味がない"のは"セメント"(現実)である。
プロレスは"仮想"であり、"幻想"だ。
愚痴はプロレスでは、意味がある。
愚痴を吐く人間は、どうにもならない事を『どうにかしたい』と願う"愚かな"人間である。
愚かだが、セメント(現実)はどうにもならない。
だから、"愚痴"を吐くのだ。
どうにもならない現実だから、人は"プロレス"(幻想)を追う。
自分の意にそぐわない事ばかり決める会社。
眠いのに、働かなくてはならない朝。
どれもどうにもならない現実である。
現実だから、愚痴を吐く。
そして、当たり前の理論で返されると怒る。
どうにかしたいのに、「それはどうにもならないよ」と言われているのに等しいからだ。
現実には、幻想を。
愚痴には、"愚痴"で、"戯れ言"で、"冗談"で返すべきなのだ。
その起点が"愚痴"だ。
それは"ロック・アップ"だ。
そこから始まるのだ。
愚痴を吐く人間は愚かだ。そして哀れだ。
ならば、"ロック・アップ"するしかない。
"プロレス"(幻想)に引きずり込むのだ。