以前、働いていた職場で同僚の女性から相談された事がある。
「あの人、いつも私にキツく当たってくるの。どうしたら良いの?」
彼女は職場の別の同僚から何かとイビられていた。本人にも幾らか原因があるのとも思ったのだが、確かに彼女に対する同僚女性の態度は厳しかった。
だが、俺はその相談に対して、大した答えが出来なかった。
「ま、相手にするなよ。あんな馬鹿野郎。放っておけや」
そんな事しか言わなかった気がする。もっと他の言葉を掛けたら良かった。
「噛み付いてやれ!」…とでも言ってやれば良かったのだ。
2003年、新日本を退団した橋本真也は、自分の団体『ゼロワン』を立ち上げ、会見をしていた。
そこに『WJプロレス』を立ち上げていた長州力が現れ、橋本と口論になる。
これがプロレス界で有名な『タココラ問答』である。
問答で興奮し、互いを罵りまくった二人が相手を攻撃する言葉を失い、最終的に「タコ!」「コラぁ!」としか言い合うだけになった。
(実際は「タコ!」は一回程しか言っていない…)
これが橋本ー長州、の“開戦”に繋がっていくのである。
何度も書くが、プロレスはショー👯であり、その闘いは『勝敗の決まっている“ストーリー”』と言える。
ならば、橋本ー長州の闘いは“筋書き”の決まった“プロレス”のはずだ。
しかし、橋本ー長州の“確執”は本当だ。
長州は新日本の頃、自分に従わない(靡かない)橋本に苛立ちを感じていた。また橋本は長州政権下で次第に冷遇されていく事を感じ、現場監督の長州を恨んだ。
互いに互いを憎んでいた。それは本物だ。
何故、二人は“プロレス”をする事を望んだのか?
それは、“生きるため”である。
いがみ合う者同士がリングで相対し、“プロレスする”。
プロレスは本来、互いに“協力”して闘いというショー👯♀️を観客に見せる。だから、闘うレスラーは闘い以上にいがみ合っている事は無い。
たが、時に本当にいがみ合っている者同士を闘わせる事がある。
気持ちは“真剣💢”たが、闘いは“ショー👯♀️”という、少しチグハグはプロレスになる。
だが、こうしてプロレスのリングに上がると、互いに気持ちの入った熱戦になる。本当に相手が憎いのだから、当然そうなる。
それを長州は分かっているのだ。
『プロレスは“サプライズ”と“インパクト”』という信念。
過去に「噛ませ犬」発言した藤波との争い。
そして、長州は橋本の会見に乗り込み、橋本に「噛みつくなら、しっかり噛み付けや❗」と怒鳴った。
長州力は分かっているのだ。
プロレスはショー👯♀️であり、プロレスはその魅せる熱狂、レスラーから出される怒気が、試合を大いに盛り上げるのだ。
長州は完全にプロだ。プロレスラーだ。
橋本との関係を考慮し、プロレスラーとして『何が観客の興奮を引き出すか?』をよく分かっている。
新日本から続く橋本との遺恨を、対戦として“プロレス”にする長州は、プロレスを分かっている。
そうする事で注目されたら、また“実入り”も大きくなる。
長州は分かっていたのだ。
嫌いな人間は誰にでもいる。
貴方にもいる。
貴方以外にもいる。
俺にもいる。
貴方を嫌いな人間もいる。
貴方以外を嫌いな人間もいる。
俺を嫌いな人間も、また必ずいる。
それらを、ただ『何だよ?』とか『それを、どうしたら?』と拒絶するだけでは、何にもならない。
『噛み付く』事が大事だ、と思う。
相手への苛立ち、憤りは溜めておくだけでは解決しない。
『自分を攻撃してくるバカがいる』のなら、やり返してやれ。
「そんな事しても意味がない」?
「他人にやり返す事だけでは解決しない」?
それは“プロレス”的ではない。
以前、『身の内側から沸き上がる怒りの“信者”になってはいけない』と書いた。
攻撃してくる他人に対し、ただキレて“噛み付く”自分は、また単なる『怒りの信者』にしかない。
ただ単純に、怒りに従う人間は、長州の『噛ませ犬』や『タココラ問答』を分からない。
あれは内心は“キレていない”。
キレながら、自分の“怒り”が周りの他人(観客)にどのような影響を与えるか、それで自分にどんな利益があるか、よく分かっている。
『タココラ問答』は、“橋本に噛み付いた俺(長州)”を周囲(メディア)に見せるのが目的だ。
ただ怒る、拒絶だけでは何も解決しない。
“噛みつく”のだ。
自分にあれこれ言ってくる気に入らないバカには思いっきり噛み付いてやれ!
そして、『タココラ問答』だ。
まずは他人に怒りを見せてやれ。噛みつくほど怒っている自分を見せるのだ。
…プロレスのように。
噛み付け。
噛み付いて、見せてやれ。自分は“噛み付いてくる人間”だと思わせてやれ。