テレビで冤罪の話をしていた。
そこにあるのは些細な事であったり、善意だったりと、悪い人は介在しないように感じる。
俺は自分の小説でも度々書いているが、『究極の悪意は“善意”である』と思っている。
『あの人は怪しい…』
『あの人は虐待しているのでは?』
そんな“善意”が誰かへの“攻撃性”に転化してしまう。
それで人の人生が狂ってしまう。
冤罪だとわかって観ると、冤罪に“させられた”人間側から見ると腹立たしいが、逆から見たら、『なんて往生際の悪い奴なんだ!』とか『嘘つき!』『卑怯!』となる。
だが、冤罪だ。
決めつけ、思い込みは禁物だが、人には立場や主観があり、どうしても、そう思う。
“善意”という“大義名分”があると、人は簡単に決めつけて、思い込んでしまうのだ。