鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

7/10 大雨の後に…


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昨夜、大雨の中で浜松の街中で飲んでいた。

かなりの雨だった。

あまりの雨の強さに、飲んでいた居酒屋の大将が心配していた。

 

で、帰宅して、すぐに就寝。

 

汗まみれ💦で、軽い二日酔い🍺😵で起きて、納豆ごはん🍚を食べながら、YouTubeやニュースを観ていた。

『負け組男子』という言葉を見てしまった。


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俺が独り暮らしを始めてそろそろ1ヶ月。

だいぶ馴れたし、生活はそこそこ出来ている。快適、と言って良い。金はないが、そこそこ悪くないと思える。

もう40を越え、両親に厄介をかけたくないので、こうした生活しているのは、良いのでは、と思えている。

ここから己の人生を“どうにか”していこうかな、と思っている。

 

しかし、“負け”なのか?

 

『負け組男子』とは、40~50才で子供も無く、低収入で生きて、SNSとかで文句を吐く社会の底辺を蠢く男性、らしい。

 

う~ん🤔🤔🤔

認めたくないが、俺はそうかも?

『40~50才で子供も無く、低収入で生きて…』は俺に当てはまる。昨夜も居酒屋で1人で飲み🍶ながら、世間に愚痴を吐いていた(心の中で)

 

俺は『負け組男子』だ。

もう認めるしかない。

子無し、金無し、仕事無し(派遣で細々)。これは負け組だな。

 

しかし、負け組には“負け組”の人生がある。

負けたから、“終了”ではなく、その人間の人生は続く。

では、そんな負け組(俺)はどうする?


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俺と同年代の男性が、大物政治家を殺した。

少し前まで、俺のように派遣で働いていたらしい。

 

『母親が宗教に…』『政治的な信条からではない』などと供述しているらしいが、少し考えてみると、彼もどこかで“負けた”のではないか?

 

それで行き着いた先が、“銃撃”だったのでは?

 

そんな気がする。

それで“負け組”である自身が変わる事などあり得ないのだが、もうどうしようとさもなく、最後には“暴力”に頼る。

 

その気持ちの“動き”は、俺には分かってしまう(気がする)

思想、信条の違いではない。

民主主義への挑戦でもない。

政治家への誹謗でもない。

 

自分の人生を豊かにしたかった、ではないのか。

それが、どこかで“曲がって”しまい、暴力に頼るようになってしまった…。

それは激しく間違っているが、人間にはそれが『それしかない』と思ってしまう時がある。

 

俺にもある。よくある。

『負けた』では終われないからだ。

『勝てない』のなら…、と思うと、勝者に“攻撃”したくなる。

キレたくなる💢のだ。

“勝っている”(…と思える)人間に、無性に怒りたくなる。

 

だが、“キレ”てはならない。

キレたくなるが、それはダメだろう。

“その一線”は簡単に越えられてしまうが、越えたらダメ。

そう思っている俺は、まだ大丈夫なのかな?

 

独り暮らしを始め、俺もそろそろ人生や生活を見直そうと思う。

 

そんな事を参議院選の日の朝に思っている。