昨夜、大雨の中で浜松の街中で飲んでいた。
かなりの雨だった。
あまりの雨の強さに、飲んでいた居酒屋の大将が心配していた。
で、帰宅して、すぐに就寝。
汗まみれ💦で、軽い二日酔い🍺😵で起きて、納豆ごはん🍚を食べながら、YouTubeやニュースを観ていた。
『負け組男子』という言葉を見てしまった。
俺が独り暮らしを始めてそろそろ1ヶ月。
だいぶ馴れたし、生活はそこそこ出来ている。快適、と言って良い。金はないが、そこそこ悪くないと思える。
もう40を越え、両親に厄介をかけたくないので、こうした生活しているのは、良いのでは、と思えている。
ここから己の人生を“どうにか”していこうかな、と思っている。
しかし、“負け”なのか?
『負け組男子』とは、40~50才で子供も無く、低収入で生きて、SNSとかで文句を吐く社会の底辺を蠢く男性、らしい。
う~ん🤔🤔🤔
認めたくないが、俺はそうかも?
『40~50才で子供も無く、低収入で生きて…』は俺に当てはまる。昨夜も居酒屋で1人で飲み🍶ながら、世間に愚痴を吐いていた(心の中で)
俺は『負け組男子』だ。
もう認めるしかない。
子無し、金無し、仕事無し(派遣で細々)。これは負け組だな。
しかし、負け組には“負け組”の人生がある。
負けたから、“終了”ではなく、その人間の人生は続く。
では、そんな負け組(俺)はどうする?
俺と同年代の男性が、大物政治家を殺した。
少し前まで、俺のように派遣で働いていたらしい。
『母親が宗教に…』『政治的な信条からではない』などと供述しているらしいが、少し考えてみると、彼もどこかで“負けた”のではないか?
それで行き着いた先が、“銃撃”だったのでは?
そんな気がする。
それで“負け組”である自身が変わる事などあり得ないのだが、もうどうしようとさもなく、最後には“暴力”に頼る。
その気持ちの“動き”は、俺には分かってしまう(気がする)
思想、信条の違いではない。
民主主義への挑戦でもない。
政治家への誹謗でもない。
自分の人生を豊かにしたかった、ではないのか。
それが、どこかで“曲がって”しまい、暴力に頼るようになってしまった…。
それは激しく間違っているが、人間にはそれが『それしかない』と思ってしまう時がある。
俺にもある。よくある。
『負けた』では終われないからだ。
『勝てない』のなら…、と思うと、勝者に“攻撃”したくなる。
キレたくなる💢のだ。
“勝っている”(…と思える)人間に、無性に怒りたくなる。
だが、“キレ”てはならない。
キレたくなるが、それはダメだろう。
“その一線”は簡単に越えられてしまうが、越えたらダメ。
そう思っている俺は、まだ大丈夫なのかな?
独り暮らしを始め、俺もそろそろ人生や生活を見直そうと思う。
そんな事を参議院選挙の日の朝に思っている。