鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

10/6 SNSの功罪と腰抜けのやり方

少し前に、残念なニュースがあった。


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朝倉未来vsメイウェザー戦(9/27)で、大会後、観客席がゴミだらけ。

 

こうした光景を見ると、別の気持ちと反省感じる。

まず、試合に興奮しながらも、“ゴミは”放っておくのか?、という事。

 

そうした事をすると、逆に試合観戦に集中してないのでは?

試合が面白いのと、ゴミを持ち帰らないのは違う。

 

“観戦マナーが…”と叱るつもりはない。

ゴミを放って帰るのは、盛り上がった試合とは別だろ?

…恥ずかしいな。

もう“観戦用”のゴミ用の“袋”ぐらい持ち込めよ。それそれで回収てから帰れよ。無いなら手持ちで帰れ。

 

ただ、こうした事が俺の目の前で行われたら、きちんと注意できるのか?、と自問してしまう。

それが次に感じた事だ。

もし、俺がこの場にいて、観戦後に周囲の客がバラバラとゴミを撒き散らしたら、きちんと注意できるか?

こんなSNSで、しかも他の記事からの転用を観て、憤っても、実効性は薄い。

やはり、“直”で言わないと、その場にいた人間には響かない。

 

だが、SNSの良い部分はそこにもある、と俺は思う。

世の中には“言いにくい事”があるし、怒り💢、嘆き💧、楽しさ😃は人により違う。

俺などとは違い、こうした光景を見たら、大声で注意出来る人間もいる。それは正しい行動だ。

しかし、出来ない人間もいる。(そちらの方が多くないか? )

 

正しい行動ができないが、SNSならできそう。

ならば、それをSNSで発言するのは悪くない。

そういう風にしな言えない人間もいるのだから、憤りや間違いを指摘したり、訴えるのは、ネットの“良い面”だと俺は思う。

 

過剰に主張するのは、“言い付け”になってしまい、それは恥ずかしい…。

バランスが微妙だ。

 

だが、今回は上げた画像は“アリ”に思える。

間違ってんのかな?

それでも“腰抜け”の言い方は良いと思えるのだが。