鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

11/24 『人の評価はほとんど聞くに値しない』を確信

GK権田修一 ドイツ戦はPK献上の失態から好守連発!「強靭メンタル」の源泉とは(日刊ゲンダイDIGITAL) https://news.yahoo.co.jp/articles/6abca02e423c892d3b2297828e9df9c5b40b1c7a

 

日本、ドイツ撃破!

この話題で今日は持ちきりだ。

 

そんな中、昨夜は仕事(Wワーク)で帰宅が遅くなり、時間通りには観ていなかった。

 

前半終了時に観たネット記事では、このGKの権田選手をボロカスに書いていた。『PK献上』『残念』『起用に疑問』と完全に“戦犯”扱い。

(ヤフーの下の方の記事に出てくる…)

 

それを読みつつ、帰宅すると、


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前半は、ドイツ先行のままで終了。

内心(GK権田、試合後に批判されるだろうなー)と思っていた。

 

このまま試合を観ると負けそうで、その後は観ずに、


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別の番組観ていた〈この『n番事件』の話、怖かった…〉

 

 

で、『日本逆転勝利!』の一報が流れ、驚いた👀‼️

 

そしたら、ネットは“手のひら返し”でこの⬆️の記事だ。

ボロカス書いた権田選手に対し、『強メンタル』『好守』と賞賛。

 

ボロカス書いていたのは、昨夜の話。

僅か数時間で、これだ。

 

書いていた人間は違と思うが、どういう情緒?

恥ずかしくないのか?

 

『ネットの記事など“風向き”で変わる』『世間は風見鶏』『他人の評価など聞くに値しない』という事を実感した。

俺なども、少しだけ見て判断しがちだし、他人にあれこれと評価するのは愉快だ。

 

だが、それもまた“評価には値しない”のだろう

他の人間があーだ、こーだ言ってもそれは、状況ですぐに変わる。「恥ずかしくないのか?」と書いたが、俺もそんなものだと思う。

 

ならば、他人や物事を批判したり、賞賛する事に意味は無くなる。

だが、批判したくなるし、賞賛したくなる。

それがネット、それがメディア。

 

それが分かった(再認識)のが、今回W杯の収穫だな。