今週はもうWBC優勝“一色”🏳️🌈
特に栗山監督の評価がどこを観ても高い。
とにかく、選手と“対等”なコミュニケーションが取るタイプの監督らしい。
プロ野球の指導者としたらかなり珍しいタイプだ。
“上司”は必ず“上”から指図してくる。
ただ威張りたいだけの“クソ上司”を山ほど観てきた俺としたら、こんはフランクな“上司”だったら、働き易かったかな?
しかし、それ(指図)が出来ないと、『甘い』とか『指導力不足』なだと言われる。
監督として、“引っ張っる”というのは、“上”からバンバン言える上司を“頼もしい”と思う部下もいるだろう。
俺も“栗山タイプ”の上司に憧れながら、こうした“上から指図”してくるクソ上司と“揉める💢💢”のが好きだったりする。
揉めなければ、仕事ではない。
人間が集まれば、揉める。
それは俺の“社会論”の1つだ。
さらに、上司は常に“決断”しなければならない。
俺は日雇いなどで“決断できない上司”を観てきた。
栗山監督は“信じる”決断の出来る人間だ。
メキシコ戦(準決勝)の村上の逆転タイムリーの場面などそうだろう。
ここまでノーヒットの主砲に“任せる”のは、…しかも、決勝をかけたあの場面で“信じて続行”させるのが、凄い。
運が良い?
違う。
愚直さだと思う。
『信じる』という行為は都合が良い。
聞こえも良いし、責任は上司にありそうで、“信じた選手”の結果に寄る。
ただただ、信じて使う。失敗したら、自分(上司=監督)の責任になるだけ。
だから、信じる。
そんな上司、どうなか?
理想か?
今回たまたま優勝できたが、危うさも感じないか?
“対等にコミュニケーション”を取ってくれるのは、嬉しいが、上司はそこをどうしても“リスク”と感じてしまう。
ま、あの“クソ上司”よりは、何倍もマシだよ。