学生時代、簡単な挨拶が出来ない友達がいた。
俺も挨拶などロクに出来ないタイプの人間だが、その友人もそうだった。
朝、顔を合わせて、軽く「おはようさん」というような何気ない挨拶をしないのだ。
その友人は、いつもいきなり本題から話し出す。
「…で、昨日さー」、「今日さー」といきなり話しかけてくる事が度々とあった。
かなり驚いた。
何故、そんな風に話すのか?
そう尋ねたら、友人、曰く「俺達は友達だから、挨拶とか面倒だろ?」という事だった。
『親しき仲にも礼儀あり』という事もある。俺もロクに礼儀なとしない人間だが、「おはようさん」くらいは言う。
だが、それすらも友人は嫌う。『意味ないだろ?』などと言っていた。
理由は「俺達は友達だから…」である。
『俺達は友人であり、そんな二人には、いちいち挨拶など不要だ』という事らしい。
それは、本当に友達か?
友人の理由に苛立ち💢を感じ、「それでも『おはよう』の挨拶ぐらいはするだろ?」と突っ込むと、「どうせ仲が良いのだから、今さら挨拶など不要だ」とさらに言い出した。
そんな『挨拶不要論』を展開した友人を俺は冷めた目でみていた。
俺も挨拶などは必要とは思えないが、親しい友人くらいにはそうした簡単な挨拶くらいは必要だろう?
必ずしも、不要ではないと思う。
こんな俺でも、嫌いな他人にも挨拶くらいはする。
それよりも、俺が気になったのは、「友達だから…」という友人の言葉だ。
“友”と言えば、何でも“通る”と思っている感じが、その友人にはあった。それが怖い。
「友達だから」と付けたら、“何でもあり”になるのか?
その友人は、確かに「友達だから…」という事で、やたらといろんな“誘い”をしてきた。
「“友達だから”、飲み会開いて」
「“友達だから”、遊びの予定を立ててくれ」
「“友達だから”、◯◯をしよう」
「“友達だから”、他の友達を呼んでくれ」
それは本当に友情か?
俺を友情を使って、使役してないか?
彼にとって、友達とは何のためにあるのだろうか?
彼は、俺の言う“先導者”(マニュピレーター)ではなかったのか?
“友達”という言葉で巧みに人を“誘う(いざなう)”人間だったのでは?
…という話を居酒屋(次郎)でダラダラ飲みながら書いている。