鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

挨拶の出来ない友人の話(友情利用?)

学生時代、簡単な挨拶が出来ない友達がいた。

俺も挨拶などロクに出来ないタイプの人間だが、その友人もそうだった。

 

朝、顔を合わせて、軽く「おはようさん」というような何気ない挨拶をしないのだ。

その友人は、いつもいきなり本題から話し出す。

「…で、昨日さー」、「今日さー」といきなり話しかけてくる事が度々とあった。

かなり驚いた。

 

何故、そんな風に話すのか?

そう尋ねたら、友人、曰く「俺達は友達だから、挨拶とか面倒だろ?」という事だった。

 

『親しき仲にも礼儀あり』という事もある。俺もロクに礼儀なとしない人間だが、「おはようさん」くらいは言う。

 

だが、それすらも友人は嫌う。『意味ないだろ?』などと言っていた。

理由は「俺達は友達だから…」である。

『俺達は友人であり、そんな二人には、いちいち挨拶など不要だ』という事らしい。

 

それは、本当に友達か?

 

友人の理由に苛立ち💢を感じ、「それでも『おはよう』の挨拶ぐらいはするだろ?」と突っ込むと、「どうせ仲が良いのだから、今さら挨拶など不要だ」とさらに言い出した。

 

そんな『挨拶不要論』を展開した友人を俺は冷めた目でみていた。

 

俺も挨拶などは必要とは思えないが、親しい友人くらいにはそうした簡単な挨拶くらいは必要だろう?

必ずしも、不要ではないと思う。

 

こんな俺でも、嫌いな他人にも挨拶くらいはする。

 

それよりも、俺が気になったのは、「友達だから…」という友人の言葉だ。

“友”と言えば、何でも“通る”と思っている感じが、その友人にはあった。それが怖い。

「友達だから」と付けたら、“何でもあり”になるのか?

 

その友人は、確かに「友達だから…」という事で、やたらといろんな“誘い”をしてきた。

「“友達だから”、飲み会開いて」

「“友達だから”、遊びの予定を立ててくれ」

「“友達だから”、◯◯をしよう」

「“友達だから”、他の友達を呼んでくれ」

 

それは本当に友情か?

俺を友情を使って、使役してないか?

 

彼にとって、友達とは何のためにあるのだろうか?

 

彼は、俺の言う“先導者”(マニュピレーター)ではなかったのか?

“友達”という言葉で巧みに人を“誘う(いざなう)”人間だったのでは?

 

…という話を居酒屋(次郎)でダラダラ飲みながら書いている。