確か、2007年の夏過ぎだったと思う。
二課のとある営業さんから、「鈴木くん、正社員にならない?」と言われた。
その前から、他の営業から「営業になれば?」と言われたりしていた。
だが、俺にそんな気持ちは全くなかった。
俺に求人誌の営業など無理である、と思っていた。
営業のサポートをしていて、その厳しさはよくわかっていた。よく新しい営業が入ってきて、よく辞めていた。
営業は弱肉強食な世界であり、俺みたいな素人が出きるはずないと思っていた。
要するに、尻込みしていたのだ。俺も“腰抜け”だった。
営業の雑用や部長の愚痴にイライラしながらも、俺はどこか遠慮があったのは、皆が威張るだけの仕事をしていたからだ。
俺などそんな営業の手伝いをして小銭👛(給料)を得ているに過ぎないと、頭のどこかで分かっていた。
だが、その営業さんが言うには、「立場は営業サポート」や「原稿校正・管理」のままで社員へ待遇を昇格させるという、話だった。
かなり俺の都合“だけ”を考えてくれる甘い話だった。
そして、俺はこれに乗ってしまった。
俺も既に二十代半ば。いつまでもバイトで、休みに日雇い派遣で僅かな金を稼いでいる場合ではない。
それに、ここまで散々と営業の雑用やわがままに応えてきた。
(…俺も少しぐらいは)(…やっぱり正社員になりたい)と思ってしまった。
コキ使われるのは仕方ないが、もうそれなりの給料💴が欲しかった。
それはダメなのか?
というのも、この話の少し前。俺は本社のお偉いさんに注意を受けていた。
俺の通勤交通費は会社から全額出ていたのだが、専務が「なんでバイトなんぞの通勤費を払わないといけないんだ💢」と怒ったらしく、俺の交通費が全額カットされたのだ。
これに俺は相当カチン💢ときた。
入社時に『交通費全額支給』と聞いていたのである。
それが突然のカット💢
これもおそらくは社内の勢力の兼ね合いだったのだろう。
頭に来た俺は、車通勤を止め、二課まで片道一時間の道程を自転車🚲️で通勤した。
毎日、汗だくになった☀️😵💦
二課の皆は驚いた。
「お前、マジか?」「しんどいだろ?」
もちろん長距離の自転車通勤は大変だった。
だが、俺はあえて「交通費、出ないんで…」と応えた。つまり、会社や専務が俺の交通費を無くしたから仕方ない、ということである。
別に遅刻しなければ、通勤方法は何でもいいはずだ。
そして、「今日、自転車なんでもう帰ります…💦」と部長の残念を断り、いつもより早めに帰宅したりした。
部長を含め、二課の連中はそんな俺を哀れには思っていたようだが、別に何もしなかった。
専務の決定に逆らえなかったのである。
そのうち、さすがに毎日の自転車通勤に疲れ、ネットオークションで格安の原付🛵を購入して、それで通勤するようになった。
(今、俺が原付に乗っているのはこの時の経験からだ)
俺は、相当頭に来ていた💢
いきなり交通費を無くされ、いつもあれこれと俺に言ってくる営業の皆が、こうなると“ダンマリ”を決め込んでいたのが、悲しかった。
皆が普通に車通勤する中で、俺だけが自転車🚲️や原付🛵で通勤…。
(…俺はここの仲間ではないのか?)と無言のアピールをしていた。
今から思うと、その時の俺は営業にはならないくせに権利ばかり主張していたな。非常に愚かで子供っぽい。
会社からしたら当たり前の処置だった。
それを二課の皆に“大変”アピール。
情けないな。
ただ、俺は今もこの処分を怒っている。(相変わらず小さい…)
おそらくそんな経緯から、その営業の方は俺に『正社員昇格』を提案したのだろう。
その営業さんは、例の専務と仲が良かったのもあり、(…お願いしたら)という期待があったのかもしれない。主流派から落ちたとは言え、まだ“力”があると思っていたのだろう。
で、甘い俺はその気になってしまった。
…本当にバカだな。
そして、この話がなかなか進まなかった。
確か、夏くらいにこの話が出て、秋を過ぎても一向に正社員昇格の連絡は来なかった。
今から考えたら当たり前だ。
営業でもない営業のサポートをしていたアルバイトを『社員にして』と現場から言われてもすんなり成れるはずがない。
ある日、俺は総務部長で社長の娘婿に呼び出され、怒られて(何故?)、「社員になるには…」などとお説教をされた。
俺はキレてしまった💢
総務部長の顔を指差して「うるさいよ」と言ってしまった。
散々とコキ使われ、愚痴に付き合わされ、交通費は無くされ、「正社員にするから」と散々待たされ、怒られ、果てはお説教…。
俺が何か悪いことしたのか?
会社に迷惑かけたか?
マジで辞めてやろうと思った。
二課に戻り、初めて部長にぶちキレた💢
「もう正社員にはなれないんでしょ!? …それならもう辞めます! クビで良いですよ!」
俺はこの連中(二課)が、俺に“正社員”という餌を見せて、自分らの都合良く使おうと思っていると感じていた。
部長は言い返してくると思った。
だが、違った。
「まあまあ、す、鈴木くん。俺からも“上”にお願いしておくからさー」と怒り狂う俺をなだめてきた。
意外だった。
いつもの愚痴るように「うるせぇ!」と言われると思った。
そう言われたら、辞めるつもりでいた。
バカにされているようだった。
で、俺の正社員昇格の話は白紙になったらしい。
幹部の中には、「あんな口をきくバカを社員になんて…」と俺と総務部長のやり取りを聞いていた専務などは思ったらしい。
俺は本気で退職するつもりだった。こんな人をバカにしてくるところにはいたくなかった。
日雇い派遣をメインに日銭を稼ごうと思っていた。
だが、部長は俺に「正社員にしてあげるから、ちょっと待ってて」と言った。
本当に俺を正社員にするために動いているようだった。
あの他人の事など二の次の部長が、何故なのか?
この部長なりに、俺にかかるストレスを理解していたのかもしれない。
また、これまで散々と愚痴を聞かせてきたのを、それなりに反省していたのかもしれない。
そして、おそらくだが、俺のように言うことを聞く“手下”を手放したくなかったのたろう。
今から思うとだが、この時の会社側(総務部長、専務ら)の対応はかなり理解できる。
当時はまだリーマンショック前で求人案件は多く、会社はそれなりに好調だった。
とはいえ、無駄な人員(俺)を抱えたくはない。
人件費は一番の無駄だ。
営業でもなく、製作でもない、“サポート”をするアルバイト(俺)を、何故、社員に昇格できるか?
するにしても、その前にお説教くらいしたくなるのが普通だ。
こうして数ヶ月待たされ、俺は正社員になれた。
会社の幹部から許可が降りたのだ。
部長らが上を説得したのだ。
給料は最底辺だったが、嬉しかった。
本当に嬉しかった。
ここ数年、雑用に追われ、愚痴らるまくり、我慢した甲斐があった。
部長からは、「もう偉い人に逆らうなよ」も釘をさされ、さらに「正社員なんだから、少し任せる仕事を増やすぞ」と言われたが、気にならなかった。
望むところでもあった。
これが、2007年の年末近くだった。
そして、これが地獄への始まりだった。
リーマンショックの足音はまだしていなかった。
俺は数年ぶりに正規採用になれて、とにかく嬉しかった。
日雇い派遣はもう辞め事にした。