俺が正社員になった頃だ。
アメリカのサブプライムローンとやらが「破綻した」という話を聞いた。
俺が担当していた、課長補佐の派遣会社の受付と電話で世間話していた時だ。
「うちもリーマンショックで、これから大変かも…」と言った。
よく分からない俺は「…そうですかね?」と曖昧に答えた。意味が分からなかったからだ。バカだ。
この『リーマンショック』が俺の運命を大きく関わる、とは思ってもいなかった💦
そして、2008の年明けにかけて、日本の経済は(というか世界中が)、大減速し出した。
『年越し派遣村』などが出来て、派遣社員が大量解雇され、話題になった。
俺は“正社員だから大丈夫”と思っていた。
根拠は無い。
だが、本当に思っていた。
発行以来、最大ページを連発していたうちの求人誌は、たちまちページ数が減った。
半分以下になった。
凄まじい落ち込み方だった。
それまで掲載のメインが派遣案件だった事が原因だ。
不況になり、その求人応募が無くなったので、俺のいた求人誌はその影響をモロに受けた。
製作部は一気に暇になった。
それまでは、なかなか原稿が出来ず、二課の営業に催促されたりした。
それが少なくなった。
俺の仕事も当然減った。
この頃、正社員になったので、俺には、『印刷補助』の仕事が新たに加わり、おれば印刷工場での仕事に追われていて、それなりに忙しかった。
それでも誌面の減少はよくわかっていた。
明らかに仕事は減っている。
掲載依頼も激減。
広告代理店からの依頼も減った。
それでも俺は「大丈夫だ」と思っていた。本当に愚かだ。
県内と県外にあった事務所が次々と閉鎖され、本社に吸収させてきた。
そして、“不要な”社員が次々とリストラされていった。
そんな状況にも関わらず、俺は「俺は正社員になったばかりだから、大丈夫」と思い込んでいた。
本当にバカだ。どうしようもない。
製作部にいる社員の中で一番の“不要社員”は間違いなく俺だった。
(会社の上層部からの印象も悪いまま…)
あれは2月の寒い日だった。
俺は本社で仕事をしていて、喉が渇き、何気なく会議室へ入った。ジュースの自動販売機があったからだ。
そこに製作部の部長と課長(平先輩とは別)が何やら話し合いをしていた。
部長は俺を見ると、「おー、ちょっと来い」と手招きした。隣の課長が少し慌てていた。
「なんすか?」と、またお叱りかな?と思っていたら、部長は俺の前に一枚の紙切れを出した。
『解雇通知書』だった。
紙切れ一枚だった。
「今、会社が大変なのは分かるよな? …ま、そういうことだ。仕方ないよな? すまんな」
部長はそれだけ言った。
俺は頭が真っ白になった。正社員になれてまだ半年も経っていない。
もうクビ?
部長は優しく「もう帰っていいよ」と言った。
俺は思わず「二課の人たちには?」と尋ねると、「大丈夫。こちらで対処する」と言った。
そして、「ただ、二課にあるお前の荷物はまとめてくれ」と言われた。
俺は本社にあった自らの荷物をまとめると、すぐに本社を出た。
二課に向かった。
二課の連中の態度は冷ややかだった。
皆、俺に苦笑いしか浮かべなかった。
皆、俺の解雇を事前に知っていたようだ。
俺が一番お世話になった部長代理に「今日でクビになりました…」と報告すると「ごめんね。俺から言える事はないよ」としか言わなかった。
他の営業もそんな感じだった。
あれほど愚痴や文句を俺に吐いていた部長は無言で、まるで無関係と言いたいようだった。
俺は寂しかった。
半年とは言え、紙切れ一枚で解雇された。
それは仕方ない。
別に「どうにかしてくれ」とは言わない。
でも、一言くらい「力になれなくて悪いな」「今までありがとう」とか言えないのか。
「…何も言えないよ」は要するに「こちらに文句を言ってくるなよ」という俺への牽制だった。
何だか俺自体が“厄介事”そのものにされた気がした。
特に、あの部長からは一言欲しかった。
だが、アイツは俺を完全に無視しやがった。(俺は知らんよー)という態度。腰抜け。
俺にこの時の二課の部長の態度を今でも許していない。たぶん、一生許さない💢
しかし、解雇された事には少し納得している。
営業でもなく、原稿制作するわけでもなく、単なる営業サポートの俺など、まさに“余剰戦力”であり、一番のリストラ候補だ。
それを(俺は大丈夫だろ?)と根拠もなく思っていた俺は、本当に愚かだ。
だが、このあとにさらに許せない事があった。
俺の解雇を聞いて、例の“彼氏”(元同級生は既に退職)が「送別会をする」と言い出した。
そして、また「鈴木から、みんなに声、かけといて?」と俺に言ってきたのだ。
何で、自分の送別会を“送別される者”が開くんだよ?
自分の誕生会を自分で開くようなものである。俺がそういうと、バカは笑って諦めた。
コイツは他人の解雇を、飲み会のネタ、くらいにしか思ってな言ってらしい。
最後までこんな人物しか俺の周りにはいなかったのである。
こうして、俺は無職になった…。
もう二十代後半だった。
誰も助けてくれなかった。
そして、俺の日雇い“第二期”が始まる。
これが地獄である。