無職になった俺は、すぐに仕事を探し出した。
求人誌の編集部にいて、求人を探す🔍️というのは変なおかしな話だったが、生きるためには働くしかない。
だが、世の中はリーマンショックの最中。
全く見つからなかった。
無職の俺は仕方なく、正社員昇格後から止めていた日雇い派遣に再び登録した。
一社では足りず、複数の派遣会社に登録した。
この間にやった仕事は…、
家電宅配
倉庫ピッキング
イベント手伝い
模擬試験官
…などをメインにしていた。
本当はバイトで継続的な収入を得たかっていうが、それさえ見つからなかったほど、景気が悪かった。
どの仕事も大変だった。思い出したくない現場もある。
そしてその前に、俺は解雇された事から自らの行動を省みていた。
何が悪かったのか?
何故なら、まだ会社に残っている同僚がいたからだ。
それはつまり、『会社にとって必要』と思われる人間なら、解雇などされない。
俺は『会社にとっては不要』と思われたので、“切られた”のである。
営業するわけでもなく、原稿を作る事もない。印刷は補助作業、そしてメインは原稿校正と管理。さらには営業のサポート…。
そして、社員らに平気に“噛みついて”くる。
そんな奴、組織(会社)に必要か?
それで『正社員になれる!』と思ったのが、そもそもの間違いではないか?
そんなもの、こうして不況に陥れば、1番の“不要人員”である。
なぜなら、他の人間が出来るからだ。
…書いていて、悲しくなってきたが俺は自らを“不要品”のように感じていたと思う。
特殊技術、とまではいかなくても、誰にも真似できない技術、経験を持たないと、組織(会社)には居られないのだ。
俺は二課で働いていた時、たまに「鈴木くん、ありがとう」とか「お前がいてくれて良かった」などと言われたりした。表面上は照れただけだったが、内心では(…俺はここでは“なくてはならない”人材だ)と思い上がっていたのではないか?
それが、リーマンショックでリストラされていく社内を見ても、「俺は大丈夫」という謎の自信になっていたのではないか?
部長を含め、二課の連中から厄介事を頼まれるうちに、おかしな自信が出来ていたのだ。
(…ここは俺がいないと)などと思い上がっていた。
本当は俺なんていなくても、仕事は勝手に回っていた。思い上がりだ。俺の解雇など、その仕事に影響は無かったのだ。
何故なら、俺は解雇されたからだ。
必要なら、解雇などされないだろ?
それなのに解雇された俺が泣きついてきても、二課の皆からしたら、「…何も言えないよ」てある。
居ても居なくても変わらないからだ。
無視していた部長の態度は未だに許せないが、皆の態度はよく考えたら、当たり前だ。当然だ。
ならば、俺はどうする?
考えた。
ハローワークに通い詰め、そんな風に自問自答していく中で、俺は『短期職業訓練』のポスターを見つけた。パソコンの技術などを学べる講座だった。
パソコンの作業は得意とは言えなかったが、もっと基本的なパソコンの知識と技術くらいは手に入れようと俺はこの訓練口座に参加することにした。給付金も出た。
なので、解雇後の約3ヶ月、浜松の街中にある専門学校に通っていた。
この時まで、俺は日雇い派遣を再開するつもりはなかった。
この職業訓練が終われば、またすぐ、市内の企業に正社員採用されると思っていたからだ…。
世の中はそう甘くはなかった。