だいいちテレビの『校閲ガール』をよく見ている。
と言うのも、俺自身もかつてはとある編集社に勤務していて、編集員として似たような仕事をしていた。
また、学生時代には地方の某求人雑誌の学生スタッフをしていたからだ。
100文字ほどの紹介記事を何回も書き直させられたりしたなぁ。
(俺の書いた文章が下手だからだが…)
そんな俺からすると、あのドラマは少しおかしい。
ま、あんな可愛い校閲社員(石原さとみ)なんか居ないが…。
本来、校閲は書かれた文章の『誤字、脱字、日本語表現の間違い、事実確認』をだけを行う部署だ。
だが、主役の石原さとみ演じる校閲社員、河野悦子は校閲以上に文章、作品のニュアンス、在り方まで口を挟む。
そんな奴、まずいない。
と言うか、間違いなく"居られない"。
俺にも覚えがある。
記事のチェック中におかしな表現を発見し、上司や作成した営業に言うと、「うるせぇな」と嫌みを言われたもんだ。
何度も言って、「向こう(クライアント)がそれで良いって言っているから良いんだよ」なんて怒られ、そのうち避けられたりしたな。
例えば…。
『馬から落馬した』
これは間違った表現だ。
『落馬』はその言葉自体が『馬から落ちた』時にしか使えない表現であり、『馬から』と付けるのは間違いである。
だが、こんな文章ならどうか?
『ナポレオンは欧州的政策傾向という"馬"から落馬した』
俺はこれなら『馬から』という付け足しはアリだと思う。
『そんなわけねぇだろ』『間違いだ』『そもそもお前の歴史認識が間違っている』など批判もあるはず。
文章はその人の考え、感情、知識が現されるからなかなか正解が見つけにくい。
(誤字、脱字は別として)
だから、河野悦子のように自身の感情を叩き込んでいくような行為はありえない。
やるとするなら、編集の仕事のはずだ。
例えば…。
『彼女は憮然として怒りの表情を浮かべた』
『憮然』の本来の意味は『驚き、呆気にとられる様』であり、怒りの表現ではない。
「憮然は怒りを表す言葉ではない」と指摘するのが校閲の仕事。
「『憮然として』を『猛然として』に変えては?」と提案するのが編集の仕事。
「それじゃ、前後の文章を変えないと…」と協議するのも、編集と制作者(著者)の仕事のはず。
だが、河野悦子はガンガン口を挟む。ポストイットで提案する。
しかもそれが、制作者(著者)から好評を博すという"おかしな話"なのだ。
(ま、ドラマだからね)
現実はそんなに甘くはあるまい…。