数日前(年末)、生活品などの買い出しに近所の100円ショップに行った時。
よく置いてある求人誌用のラックを見た。
有名な求人誌が並ぶ中に、かつて俺のいた地元求人誌が無い。
一冊もない。
(年末で休刊?)と思ったが、特に気にしていなかった。
クビになったのは、もう10年以上前。俺は、この会社には未だに怒り💢もある。
俺は職探しにいろんな求人誌を検索するが、この元所属のこの求人誌だけは使わなかった。
解雇されたから。
さらに、求人検索はほとんどスマホなどのサイト経由。そちらが便利だったから。そちらばかり使っている(地元求人誌もサイトは持っていた…)
その求人誌が一冊もないのが少し気になって、今日、その会社(地元の求人誌)を検索してみた。
何と、倒産していた😨
去年(2023)の夏に潰れていた!
俺が解雇されたのは2008年初頭、リーマンショック(派遣録50~60)の頃。
あれから『あまり業績が良くない⤵️』とは風の噂🍃で聞いていた。
リーマンショックが終わっても業績が戻らず、そこに“コロナ”が来て、完全に“終わった”か?(予想)
解雇された俺からしたら、『ざまあみろ😜』だが、何故か、俺は“虚しさ”を感じていた。
もし“あの時(2008年)”、俺が解雇になっていなくても、結局その後15年後には会社(求人誌)は“無くなって”いたのだ。
解雇になった当初、(仕方ないよな)とは思っていたが、やはり相当頭に来ていた💢
俺は、散々コキ使われ、会社の業績が落ちたら、紙くずのように捨てられた。
納得がいかなかった。俺を散々残業させた部長、怒ってきた幹部、威張り腐っていた奴ら、小馬鹿にしてきた同僚…。
そして解雇された俺に何の言葉もかけてくれなかった連中…。
俺は今も許せなかった。
“楽しい思い出”もある。
今でも感謝している人間もいる。
そこに“ストーリー”もあった。
あーいう最後では、なければ、俺は今でもあの会社で働きたかっただろう。
それが、まるごと怒り💢💢💢に変わっている。今でも許せない。
だが、こうしてかつていた会社(編集部)の倒産を聞くと、少しおかしな気分になる。
ここには、どう考えても“ここでしか生きられない”と思える人が何人もいた。
部長なんか特にそうだ。
ここは、“アイツら”にとって最適な“居場所”だったはずだ。
そこを奪われて、大丈夫か?
相当頭に来ただろうが、倒産はどうにもならない。
他の会社で働けるイメージがしない。他の求人誌会社とかで働いたりしているのか?
担当企業があるから、それを“糧”に“移籍”なんてしているかも?
…それでも苦労するだろうな。どう考えても“あそこ”でしか“威張れない”奴らだし。
その阿鼻叫喚が目に浮かぶ。
会社の倒産は去年の夏だという。
ちょうど俺が“あのクソ工場🏭️” を辞めた頃。
…つまり、“どうなっても”、俺は去年の夏に無職になっていたのだ。
そこに虚しさを感じた。
まるで“パラレルワールド”の結末のようだ。
“どの道”を選んでも、結果は“同じ”…。
俺の怒り💢は無意味だった。
怒っても、その怒りの“先”が無くなったら意味が無い。
この怒り💢には意味がなかったのだ💦
これが、俺のこの約10年の怒りの出口だったのか?
…虚しいな。
そして、やはり思った。倒産をネットで見てから思った。
みんな、どうなったのか?
どうして倒産したのか?
その時、どうしていたのか?
会社とい組織には、必ず“終わり”がくるのか?
組織とはいつもこうだ。わかっていただろ?
それが無くなってしまえば、居場所はなくなる。
下らない意地も、承認欲求も、パワハラも、それができるの“居場所”があってからこそだ。
なくなったら、こんなものだ。
あの“クソ工場🏭️”もそうだろう。
あそこで威張り腐っていたクソな奴等も、あの工場🏭️があってからこそ…。
外側からみたら、意味の無い話だった。
そしてやはり気になる。
そして、俺はこれを書こう、と思う。
俺の“物語”で。