村上春樹のデビュー作『風の歌を聞け』を読んだのはもう数十年前だ。
その時の印象は『生まれ育った町に戻ってきた主人公が指が数本無い女性とセックスする話』(失礼)というものしかない。
独特な文章展開、表現、テンポは『これは小説ではなく"歌"では?』と思い、今でもそれが俺の"村上春樹評"になっている。
『歌だから、表題が"風の歌を聞け"な訳か…』と一人、勝手に納得した。
実は数ヵ月前に所有していた車が故障し、廃車にした。
バイクがあるので移動にはあまり苦労しないが、寒さが厳しくなり、最近は電車を多用している。
その為か、駅周辺(主に遠州鉄道)のファミレス、喫茶店に入る機会が増えた。
基本、一人で利用するのたが、一人で席にいると、様々な人間の、様々な話が聞こえてきてしまう。
この前など平日の昼間から女子大生らしき二人組が彼氏らのベッドでのやり取りを赤裸々に語っていた。
一昨日はアパレル関係に勤めているであろう二人組が、社内の人間関係を事細かに話していた。
年末のファミレスではカップルが今夜の行き先を探し合い、1週間前の喫茶店ではヤンキー二人組が迫る先輩の新年会の"出し物"を練っていた。
そう言えば、真剣にアイドルデビューを画策する女子高生グループってのもいたな…。
ちなみに全て聞き耳を立てていた訳ではなく、向こうから勝手に"聞こえてきた"のだ。
街にはこんな"話"が飛び交っている。
飛んでもない話や、思わずツッコミたくなる話、こちらも勝手に考え込んでしまう話。
正直、自身にはどうでも良いと思える。
益にも毒にもならない。
聞きながら腹の内で『……なんじゃ、そりゃ』と言う。
そして、ネタにする。
そう考えると、これらの"話"なかなか馬鹿に出来ない。
『煩いな』『馬鹿か…』と思いながらも、それらは俺の"益"になっている。
……これらを"話"とはせずに"風"と思えばどうか?
風は常に勝手に吹く。風の事情は知らないし、風にはこちらの事情など関係ない。
そして、そんな風が気になるのは、風が"歌"に聞こえるからだ。
どこかの誰かの"風"が誰かが歌う"歌"に聞こえるなら、それはやはり歌なのだろう。
風を力に歌を聞く。
まさに風力発電。
そんな"街"の歌聞いていると、昔読んだ、あの本を思い出してしまう。
あの表題は間違っていなかった。
風の歌は聞いとくべきだ。