地元の出版社を解雇された俺は、再々就職活動をしながら、日雇いなどでどうにか食い繋いでいた。
どうにか自分の人生をもう一度"軌道"に乗せたかった。
29だ。
みんな結婚したり、家を建てたり、家族を作っている。
俺も早くそうなりたかった。
俺なりにいろいろと考えた。
俺なりに自分の行動を振り返っていた。
俺の何が悪かったのか?
……ここで俺は大きな"思い込み"をする。
(俺は"付いていく"相手を間違えていた。…頼る相手を間違えたのだ!)
この考え自体が間違いだ。
最初から、『自力でどうにかしよう』という気概が全く無い。他者に頼ることで自分の人生をどうにかしようとしている時点で大間違いである。
自分の人生は、自分でどうにかするしかないのだ。
G馬場が力道山から離れて、全日本プロレスを旗揚げたのは、力道山を喪い、力を無くした"日本プロレス"に見切りを付けたからだ。
それを全く分かっていない。
会社勤めの雰囲気を引きずったまま、『他人が自分の人生を良くしてくれる』と"甘えた"考えを持っていた。
そんな俺が目を付けたのは、民営化されたばかりの公的保険法人の求人だった。
俺は本当に"愚か"だった。
『どうせ頼るなら"親方日の丸"』というわけだ。
この発送からしてかなりフザけた話なのだが、地方出版社を解雇された俺は"もっと頼れる"居場所を探していたのだ。
俺のようなバカであったが、何故か面接を通過し、採用されてしまった。
俺は"アシスタント職員"として契約職員として働く事になった。約一年振りの長期の仕事(日雇いはしていた)である。
…解雇後にパソコンの資格を何個か取っていたのが大きかったのか?
俺が配属されたのは、法人保険を調査する部署だったが、俺の仕事は事務所内の雑務が中心であり、通常の会社でいう"庶務"や"総務"にあたる仕事だった。
初めは戸惑いもあったが、やり出すとそこそこ"働き甲斐"があった。
ここで働き始めると、そこで働く人たちの奇妙な"気質"に気がついた。
ここで働く人たちは、とかく"レアケース"という言葉が好きだった。
「それは、"レア"なケースだから…」
「これは……"珍しい"ケースだな」
やたらと、"レア"であるという事を主張した。
しかし、ここでの仕事の4割ほどが"レア"であった。
何を持ってして"レア"(珍しい)とするかは、その人の感じ方による。
俺から見たら、『それって"通常"の事では?』と思う事でも、この会社の人たちからしたら、"レアケース"なのだ。
何故、そんな"思い込み"をするのか?
ある日の昼食の時、同僚二人が話をしていた。
その時、選挙があった。
同僚A「"投票所"行きました?」
それは、つまり『選挙、行きました?』と聞いているのだ。
だが、聞かれたら相手は、それが分からない。
同僚B「…は?」
同僚A「"投票所"、ですよ?」
同僚B「トウヒョウジョ?」
同僚A「投票所ですよ」
同僚B「…あぁ、選挙の事ですか? そう言ってくださいよ」
黙って二人のやり取りを聞いていた俺は、この同僚B(正規職員)を内心、かなり小馬鹿にした。
(こんな馬鹿が正規の職員なのか⁉)
"トウヒョウジョ"と言われたら、『投票所』しかないだろ?
何故、分からない。
また別の日。
別の職員に言われた。
「あの、柱の時計が遅れているですけど?」
俺はそれを『時計の故障』と思った。
だが、違った。時計の針が5分ほど遅れているらしい。
「時計の裏を動かして、合わせたら良いのでは?」
そうすると、その職員は驚いたように言った。
「えっ、俺がするの?」
(コイツ、馬鹿なのか?)
マジで思った。時計が遅れているなら、自分で合わせたら良いのではないか?
何故、それが出来ない。
確かに俺は"庶務"担当だが、時計の針を合わせるくらいは、俺で無くとも出来るだろ?
それをして、それでも遅れてしまうのなら、故障だろう。
その時点で庶務の俺に話を持ってくるのが"筋"だろ?
"投票所"の件も、この"柱時計"の件も、そこにあるのは、強烈な"思い込み"だ。
選挙は"センキョ"と言わなくてはならず、時計がおかしかった、まずは"庶務"の俺(契約職員)がどうにかしないといけないのだ。
自分らが"通常"であり、自分が"普通"なのだ。
だから、それ以外は"レア"(稀)なのだ。
"レアケース"とは便利な言葉だ。
『これは珍しいパターンだ』と言えば、つまり『普通はあり得ない』事として、対応できす、ミスをしても"仕方無い"と言い訳が出来る。
つまり、"想定外"なのだ。
想定していないのだから、対応できなくて、戸惑っても仕方無い。
本当はそういう事も"想定"していなくては、組織として、社会人としておかしい(社会的適合評価)のではあるが、自らに起きる物事を"レアケース"として言っておけば、とにかく『それは仕方がない』と言える。
そう思い込めば、周囲の見方は変わるし、自分の気持ちも楽になる(のたろう)。
"レアケース"は、その人にとって便利な"思い込"みである。
プロレスの試合は、やたらと"レア"感を演出する。
『世紀の対決』
『ここでしか見れない極限バトルが今!』
などと、"レアケース"を演出する。
何度も書いているが、プロレスはショー👯である。
その勝敗は決まっている。
お芝居だ、とも言える。
どんなに「すげぇ試合だ!」と言っても、それはレアではない。
予め、「すげぇ試合」になるように"構成"されている。
と、外道は煽るが、別に"レベェル"は変わらないのだ。
プロレスはプロレスでしかない。
そこにあるのは、『これはレアであり、それでこの試合を観てくれ!』という事であり、観客には『レアである』と思い込んで欲しいのだ。
だが、実際は"レア"ではない。
珍しくも何とも無い。
プロレスの"レア感"は思い込みである。
思わせたい、とも言える。
そうして試合を観て欲しいし、🎫チケットを買ってほしい。
公的保険機関のレアケースへの"思い込み"は、身勝手な話だ。
一方、プロレスの"レアケース"は営業活動だ。
前者も後者は"思い込み"には変わらない。
変わらないのであるが、『これはレアだから』と"言い訳"にしたがる人間は少しズルい気がする。
思い込みは常に、それを"扱う"人間の用途やタイミング、立場で大きく違う。
会社で『レア、レア』と言う人間は悲しい。
そう言って自分に対する"逃げ"になるし、とても便利な"アイテム"にもなる。
それをこの会社(法人)で学んだ。
そして、周囲を内心小馬鹿にしていた。
何が"馬鹿"って、俺自分が一番馬鹿野郎だ。
周囲とその組織を蔑視しながら、俺はその組織にいることで"安心"していた。
『バカか、コイツら?』と思いながら、その"バカ"のいる会社(法人)にいるのは、俺だ。
しかも、俺はもっと愚かだった。
『こんなバカばかりの会社なら、俺でも正規職員になれるだろ?』
そう思った。
救いの無い馬鹿野郎である。根っからの"甘え体質"だ。
他人に、組織に頼る事でしか自分の人生を見ることができなかった。
今からしたら、『お前なぁ~』と怒ってやりたい話なのだが、その頃の俺は、これで『自力の人生が良くなる』と思っていた。
これで大丈夫だと、思った。
ブラック企業にコキ使われ、地元の会社を"理不尽"に解雇になった俺には『ようやく報われる時が来た』とさえ思っていた。
本当に愚かだ。
この後、こんな甘えた俺にはやはり"天誅"が下る。
"地獄"はすぐそこまで迫っていたのだ……。
俺は、それを知らず自分の"明るい甘い未来"を夢見ていた。
"ケンカキック"が待っていた。