鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

プロレス心理学77 フリーバード(西村)

入社直前の介護事業社に"入社取り消し"された俺は再びアテの無い"放浪"(無職)生活に戻った。

もう何かの組織(会社)に所属するのは、辞めた方が良いのか?
いや、そもそも俺にはもう何かに所属する事自体が無理なのか?

「私も組織の人間です…」と俺に言ったあの介護会社の担当者の言葉に苛立ちを覚えていた。
それか社会的に見たら、"当然"の事だとしても、やはりショックは拭えなかった。

俺を『病気持ち』『能力の低い奴』と決め付けてくる"社長"に、頑張って参加する価値があるのか?

『俺は違う! 病気は治ったし、もっと出来る奴だ!』

そう言いたかった。

しかし、脳腫瘍だったのは本当。そんなに凄く仕事が出来るわけではない。
そんな風に俺を"決め付け"てくるのは頭に来たが、反論もしにくかった。

これが"世間"という奴だ。
俺は痛感した。

また、そう思い込むことは悪い事ではない。
前回も書いたが、リスクに成り得る可能性のある人間を事前に"拒絶"するのは、別に悪ではない。

social relevance assessment(社会的適合評価)だ。
それは社会的には"良い事"とさえ判断される。

企業を存続させる為の行為であり、社会人としては当たり前な事だろう。
"組織の理論"だ。

いくらそんな"理論"に腹を立てても、よく考えたら、俺も組織に所属していた時(ブラック企業など)、それに従い、組織の利益を第一に働いていた。
それに疑問を持たなかった。

ならば、やはり俺はもう何かに"参加"することは諦めた方が良いのではないか?

俺が今のような"フリーライター"の仕事に目を向けたのはこの時だった。

元々、地元出版会社にいた頃、"スポーツライター"に憧れ、東京の大手出版社の主催する"養成塾"に通っていたりした。
ライターとしての"流れ"は分かっている(と思う)。

ただ、それですぐに仕事ができたわけではない。

実際、金は無く、『もう会社とかには"入らない"!』と思いながら、今もちょこちょこと"派遣"なんかで日銭を得ている。

ただ、気持ちは常には"フリー"(自由)だ。
誰にも媚びないし、縛られない。
やりたい仕事をして、やりたくない事はしない。
嫌な人間関係には加わらない。

そうして生きて行こうと決めたし、そうして過ごしている今はそれなりに快適だ。

しかし、快適ではない一面もある。
収入だ。金は無い。年中財布👛の中は寂しい。
自由の代償、だ。

勝手に生きる。誰にも文句は言わせない。
そんな奴に仕事は回ってこない。
だから、金は無い。
当たり前の話だ。

だが、それを受け入れる"覚悟"があるならば、人は自由だ。
何かに所属している人間は窮屈で我慢を強いられる。
だが、その分、金を手に出来る。

金か、自由か?

俺は『自由を選んだ』と認識している。だから貧乏は覚悟している。
それでも何とかこうして生きて来た。

こんな俺でもそれなりに収入があり(少ないが)、今年中には実家を出ようかと思っている。

金が無いなら、無いなりの生き方がある。(子供がいないのもあるが…)

要は"覚悟"だ。

数ある"理不尽"、特に人間関係や組織のそれは、その個人がそれをどう受け止めるかによると思う。

『嫌だが、お金(収入)を得る為に我慢しよう』、と思うのも正解。

『こんなもん、やってられるか! 金なんぞ要らん!』、と思うのもまた正解だ。

2000年代初頭、プロレスは低迷し、多くのレスラーが"フリーランス"になった。
また、所属する団体が崩壊して、"フリーランス"になった。

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天龍がフリーになったのは驚いたな。

プロレスラーの『フリーランス』とは、特定の団体のリングに上がらず、各団体と個別に契約するシステムを取る。
期間が区切られ、払われるギャラ(給料)もバラバラ。

レスラー個人がいかに観客を集められるか、がポイントになってくる。
所属団体があるのなら、その団体に所属する他の"スター"のお陰で観客を集める事もある。

だが、フリーランスは違う。

一試合ごとが勝負だ。そこで結果(興奮)を出さないと次は無いからだ。

ある意味、"思い込み"がポイントになっていく。
『あのレスラーの試合は面白い』となれば、上がるリングが増える。
どこにも所属しない不安感から、"好評"という印象(思い込み)から、自分の収入が増える事に繋がるからだ。

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フリーランスはある意味で、チャンスである。

だが、その逆も大いにある。
『アイツ呼んでも、盛り上がらんな…』と思われたら、もう契約できない。

何にも囚われない、縛られない代わりに、破滅はすぐそこに口を開いている。

それもやはり"覚悟"だ。

組織に加わる事を"捨てた"(諦めた)のなら、そうした"リスク"を込みで生きていかないといけない。

嫌なら、"我慢"して組織に加えてもらうしかない。

覚悟か、我慢。この二択しかないのだ。
自由も覚悟。所属もまた覚悟だ。

ならば、所属の方が良くないか?、と思えるが、そこではいかなる理不尽が待っているか、わからない。
しかもそれは社会的に見たら、"正解"と認識される。

それに我慢出来るか?

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プロレスは自由では無い。
何故なら、その勝敗は予め決められ、レスラーは決められた結末に向かい、"演技"する。
人気レスラーが他のレスラーに負ける事は無く、リングの上の"物語"は、観客の興奮を得る為に描かれる。

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それを拒否するなら、そこ(団体)を離れるしかない。
また、そんなプロレスの"仕組み"が嫌なら、"100%真剣勝負"のMMA(総合格闘技)をやれば良い。

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だが、そこにはアナタへの擁護も忖度も無い厳しい世界だ。

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やはり覚悟がいる。

そして、そこに"プロレス"はない。
(プロレスっぽい展開は大いにあるが…)


他にレスラーに方法ない。
プロレスレスラーであり、"フリー"でいたいならば、常にチラつく破綻の陰を覚悟しながら"プロレス"をするしかない。

『決め付け』、『思い込み』とは迷惑なものだが、そういう中でしか、我々は生きていけない。

だが、同時に受け入れ、利用するしかないのかもしれない。

『人の評価など聞くに値しない』という言葉を昔聞いた。(@ウワサの真相…rhymestar)
評価というものはすぐに変わる。
人間の思い込みが自由なのだから、自分の評価か良くなる時は必ずある(逆も…)

自由=フリーランスとは、つまり他人の評価にあまり左右されない事を旨とするべきなのだ。

決め付けされなければ、また決め付けもしない。
難しく、また我々はついつい利益(お金💰)で物事や他人を判断しがちだ。

だが、自由=フリーランスでいたいのなら、決め付けを止めよう。
自分へも、他人へも。

俺が自由ならば、他人もまた自由だからだ。

こうして俺は今の生活に入ったのである。